どうせ錯覚するなら都合よく錯覚しよう・・・

「哲学の謎」(野矢茂樹 著)という本の感想、3回目。

昨日次のようなことを書いた。
「意志」や「自由」に関する記述を読んで、次のようなことと解釈した(関連個所を最後に抜粋)。

1.自分の行動は自分の意志が決めているわけではなく自然の摂理に従っているだけ
2.意志が決めたように思えるのは錯覚(後付け解釈)にすぎない
3.あるいは自分の意志が決めているとしてもそれ自体が自然の摂理に従った結果である
4.かといって決定論的ではなく非決定論的(確率的決定論)であり未来は未確定

このように、自分の行動を自分の意志で決めていると思うのは錯覚であり、自然の摂理に従って動いているだけなのかもしれない。

ただし、このような錯覚をもつ人間が生存競争を勝ち抜いているということは、この錯覚は生き抜く上で役に立っているに違いない。

ということで、例え錯覚だったとしても、錯覚することをマイナスにとらえることなく、どんどん錯覚していきたい。



また、どうせ錯覚するのであれば、自分に都合よく(より自己満足できたりよりサバイバルできたりするように)錯覚するのが良さそうだ。



さらに、自然の摂理に従っているだけと考える方が都合が良い場面ではそうすれば良い・・・。
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2018-02-25 13:03 : 雑記 : 編集

60年代は働けば豊かになれた 投資なんかしなくてよかった・・・

「欲望の経済史 ~日本戦後編~」という番組の第2回が放送されていた。

番組の中で、1960年代は働けば豊かになれて働かなければ豊かになれなかった、というようなコメントがあった。さらに、その原則が80年代のバブルでおかされたとのこと。

バブルとともに格差社会が広がったということだろう。

極端にいうと次のような感じか。

【1960年代】
・働けば豊かになれた
・働かなければ豊かになれなかった

【現在】
・働いても豊かになれない (庶民)
・働かなくても豊かになれる (金持ち)


庶民にはつらい時代になったものだ。

働いても豊かになれないから投資しろということか・・・。





仕事で健康的なリスクをとらされる上に投資で金銭的なリスクをとらされる・・・。

という被害妄想・・・。
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2018-02-25 09:03 : 雑記 : 編集

積立投資の集中で月初株高・・・

『「月初株高」の原動力』という記事が日本経済新聞に掲載されていた。

東京株式市場では2月まで20カ月連続で、その月の第1営業日の日経平均株価が前営業日に比べて上昇している。積み立て投資の投信買い付け資金の流入が「月初の株高」の原動力になっているようだ。

株価に影響が出るほど積立投資が広がっているようだ。

幸い自分は月初に積立設定していないが(そもそも日本株に投資していないのだが)、設定日には注意が必要だ。

毎営業日の積み立てが良さそうだが、営業日数によって積立額が異なるのと、自由に設定できない会社の確定拠出年金とかぶってしまうのがいまいち。

とりあえず今まで通り、特定口座・つみたてNISA・確定拠出年金の3つの積立日を等間隔くらいに離しておくとしよう。



なお、どうでも良いけど、日本経済新聞は送り仮名をつけて「積み立て投資」と表記しているようだ・・・。
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2018-02-25 08:04 : 雑記 : 編集

子供心に小馬鹿にしていたものが大人になって凄いと感じることもある・・・

自分が小学生高学年の頃に「たま」というバンドの「さよなら人類」という歌が流行っていた。

当時、テレビで演奏を観た自分はなんだかインチキ臭いグループだなと感じていた・・・。



あれから約25年、先日「たま」の動画をたまたまネットで観たとき、インチキ臭いどころか逆に「凄い!!」と感じてしまった。

子供の頃は彼らの凄さを理解できなかったということだろうか、それとも単に感性が変わっただけだろうか。



このようなことは他にも多々ありそうであり、要注意と感じた。

すなわち、今はインチキ臭いと感じていることも、将来のある時点からは凄いと感じるようになるかもしれない。



ということで、インチキ臭いと感じているサラリーマン生活も、そのうち「凄い!!」と感じる日が来ることを信じてとりあえず続けていくとしよう。

アーリーリタイアできる日を夢見ながら。
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2018-02-24 09:08 : 雑記 : 編集

資産形成は自然の摂理のなすがまま・・・

「哲学の謎」(野矢茂樹 著)という本の感想、2回目。

「意志」や「自由」に関する記述を読んで、次のようなことと解釈した(関連個所を最後に抜粋)。

1.自分の行動は自分の意志が決めているわけではなく自然の摂理に従っているだけ
2.意志が決めたように思えるのは錯覚(後付け解釈)にすぎない
3.あるいは自分の意志が決めているとしてもそれ自体が自然の摂理に従った結果である
4.かといって決定論的ではなく非決定論的(確率的決定論)であり未来は未確定



例えば、自分の意志で資産形成していると考えるのは錯覚であり、自然の摂理のなすがままなのだ。

あるいは、自分の意志で資産形成しているとしても、それ(自分の意志による決定)自体が自然の摂理のなすがまま。

かといって資産形成の結果が既に決まっているわけではなく、資産形成がうまくいくかどうかは未確定であり、よって、アーリーリタイアできるかどうかはまだ決まっていない。



また、このような訳のわからないブログを書いてしまうのも自然の摂理のなすがまま(ブログを書かない選択肢もあり得たが確率的に書くことになってしまった)ということで・・・。





ちなみに、「責任」という考え方は、その人の意志で悪い行為をしたから責めるというよりも、悪いとされる行為をする性質を有すること自体を責める(確率的に悪いとされる行為をとりがちな人を排除する)、ということなのだろう。





以下、関連箇所の抜粋。
君が腕を上げるとき、君は君自身の力で君の腕を上げなければならない。つまり、それは君の意志が動力となって生じた動きでなければならない。これがまず、一手目。

さらに、その意思もまた君自身の力で引き起こしたものでなければならない。つまり、「腕を上げよう」という意志も、再び君の意志が動力となって生じた心の動きでなければならない。これが二手目。

そして、意志の意志を出してもそれで終わりにならないことは明らかだ。二番目の意志の能動性を言うために君は三番目の意志を持ち出さねばならず、以下、無限に続く。三手詰み。

確かに、現在の量子力学は非決定論的で、それを決定論的に作り直そうとする人たちはむしろ異端視されているらしい。

だって、非決定論といっても、別に「自然は決定しませんからどうかあなたが決めて下さい」などと言っているわけではない。自然の動きは相変わらず自然の側で自立している。ただ、その動きが非決定論的だというにすぎない。

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2018-02-24 07:09 : 雑記 : 編集

素朴な疑問を突き詰めると世界がゲシュタルト崩壊していく・・・

「哲学の謎」(野矢茂樹 著)という本を読んだ。

時が流れるとはどういうことか? 実在の世界はどこにあるのか? などの(一度は頭をよぎったことがあるような)素朴な疑問を起点に哲学的なことを考える本。



この本を読みながら、哲学者というのは認識している世界がゲシュタルト崩壊してしまった人たちではなかろうかと感じた。

漢字をきれいに書こうと意識しすぎると、そもそもどんな漢字だったのか訳がわからなくなってしまうことがある。それと同様のゲシュタルト崩壊だ。

すなわち、この世界の素朴な疑問について考えすぎると、そもそもどんな世界に生きているのか(生きてきたのか)訳がわからなくなってしまうような・・・。



みなみに、むかしゴルフの練習をしていたとき、体の細部の動きを意識しすぎるとそもそもどうすれば体が動くのか訳がわからなくなる感覚に陥ったことがある。これもある意味ゲシュタルト崩壊に違いない。



自分は素朴な疑問を突き詰めて考えがちなので、自分の認識している世界がゲシュタルト崩壊してしまわないように気をつけていきたい。

考えることは大切だが、考えすぎは危険だ。何事もほどほどに、バランスが重要ということで・・・。





ちなみに、そもそもお金とは何だろうかと突き詰めて考えていくと、資産形成に意味はあるのだろうかなんて考えてしまうことになりかねないので危険かも・・・。
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2018-02-24 05:05 : 雑記 : 編集

商売とは欲を抱かせてお金を使わせることと改めて思った・・・

妻が観ていた「ねほりんぱほりん」というNHKの番組で「ホストに貢ぐ女」が取り上げられていた。

ホストクラブでは、承認欲求や勝ちたい欲求や嫉妬心などをうまいこと利用してお金を使わせる仕組みが出来上がっているようで、関心してしまった。

ある意味、商売のお手本と言えそうだ。生産性という観点からは優等生に違いない・・・。



紹介されていた利用客(ホストに貢ぐ女)の中には、すでに一億円以上使っている人もいるようで衝撃的だった。

風俗で稼いだお金をホストクラブで使っているとのこと。

と言うより、ホストクラブで使いたいがために風俗で働いているようだった。

率直な感想としては、欲を刺激されて都合よく利用されているだけのように思えてしまったのだが。

欲の力はそれほど強力ということなのか・・・。



と言うことで、消費者の立場としては欲に付け込まれないように気を付けたいと思いつつ、一方、仕事の上では欲を利用する術を見習っていきたい・・・。
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2018-02-18 12:04 : 雑記 : 編集

中国やインドは大量消費社会にはなれない・・・

「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」(ダニエル・コーエン 著、林昌宏 訳)という本の感想、4回目。

消費と資源に関する記述が気になった。
中国がアメリカと同じような消費スタイルになれば、二○三○年に中国の穀物の消費量は、世界の穀物生産量の三分の二に達し、これは現在の世界の供給量に相当する。中国がアメリカと同じように紙を消費すれば、中国は三億五○○万トンの紙を消費することになり、地球上の森林は全て消えてしまう! アメリカの環境活動家レスター・ブラウンは、次のように語っている。「西側諸国の経済モデルを、(二○三○年の)人口十四憶五〇〇○万人の中国に適用するのは無理である」。

中国やインドがアメリカのような大量消費社会になるには地球の資源が足りないようだ・・・。

経済が発展しても資源は有限なため限界にぶち当たる。株価の足枷になるのかな・・・。



また、資源不足になると外から資源が入って来にくくなりそうだから、限りある資源を分け合うには人口減少はある意味好都合?



ちなみに、浪費を楽しむなら今のうちかもしれない。

そのうち浪費しようにもモノがなくなってしまうかも。

無駄酒を飲むのも今のうちか・・・。
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2018-02-18 08:13 : 雑記 : 編集

あんなヤツらと協力し合うくらいなら滅んだ方がましだ・・・

「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」(ダニエル・コーエン 著、林昌宏 訳)という本の感想、3回目。

ヨーロッパ人が支配した国の繁栄に関する記述が興味深かった。
メキシコとアメリカ、南アフリカとニュージーランドの違いは、何だろうか? なぜ、一方は貧しく民主化が遅れ、もう一方は繁栄した民主国家になったのだろうか?

ヨーロッパ人がいわゆる「インディアン」などの先住民を撲滅した国家は、今日では裕福だ。逆に、入植者が少数派でありつづけた国家は貧しい!

ヨーロッパ人が少数派でありつづけた地域では、彼らは人々の安全保障と所有権の確立を約束する近代国家を設立しようとしなかった。

これとは逆に、白人が「自分たちだけで暮らす」ときには、彼らは入植地を「即時入居可」にするために近代国家の樹立を急ぎ、自分たちの出身国イギリスから社会制度を導入した。

すなわち、ヨーロッパ人の国になった(多数派になった)ことが社会的インフラを整える動機付けになり、それが繁栄につながったということのようだ。

自分の所有物は大切に扱うけど、シェアしている物は我先に利用しつくす、という感覚かな。

すなわち、自分の国なら社会的インフラを整えるけど、シェアしているのなら我先に資源を獲ってしまえ・・・。



なお、多くの国でシェアしているこの地球も、我先に利用しつくすべしと国々は考えているに違いない・・・。

あんなヤツら(他の国々)と協力し合うくらいなら滅んだ方がましだ!!、とか思っているのかな、無意識のうちに。
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2018-02-18 06:27 : 雑記 : 編集

幸せを感じるには経済成長し続けるしかない? あるいはスケープゴートをつくるか・・・

「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」(ダニエル・コーエン 著、林昌宏 訳)という本の感想、2回目。


幸せの感じ方に関する2つの記述が印象的だった。
一九七五年のフランス人は、一九四五年のフランス人よりも比較にならないほど裕福だが、彼らがより幸せだったというわけではない。なぜだろうか? その答えは単純だ。現代の幸せは、実現した経済的な豊かさのレベルに比例するのではなく、経済的な豊かさの出発点がどこであろうと、その増加レベルに比例するからである。

近隣の家が同じサイズであるかぎり、自分の家が大きかろうが狭かろうが、どうでもよい。だが、隣に豪邸が建つと、自分の家はあばら屋になってしまう。

すなわち、幸せとは相対的なものであり、過去や他人との比較が効いてくるということ。

そのように考えると、幸せを感じられる社会にするには、経済成長し続けるか、あるいは、スケープゴートをつくるかして、相対的に豊かであり続ける必要がありそうだ・・・。





もっと言うと、市民に不満を抱かせずに社会を平穏に保つためには、経済成長を目指し続けるか、あるいは、スケープゴートをつくるかして、市民に幸せを感じ続けさせる必要があるのだろう(不満を抱くと暴れ出す・・・)。

スケープゴートと言えば、自分のようなさえない人は、できる人たちにとってのスケープゴートなのかもしれない。

すなわち、できる人たちは自分のようなさえない人をいじめることで優越感を抱き、それが幸福感につながっているに違いない。

ある意味、(スケープゴートとして)世界平和に貢献する大役を担っているということで・・・。
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2018-02-17 08:03 : 雑記 : 編集

毎日が戦争だ・・・

「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」(ダニエル・コーエン 著、林昌宏 訳)と言う本を読んだ。

経済を中心とした人類の歴史にスポットをあてた本。



狩猟採集民と産業革命初期の労働者を比較した箇所が興味深かった。
抜け目のない社会になるほど、労働時間当たりの生産性は落ちる。狩猟採集民は、産業革命初期のイギリス人労働者と稼ぎは同じくらいだったが、労働時間はきわめて短かった。十九世紀初頭の労働者は、狩猟採集民と最終的に同じ所得を得るために、一日一○時間、平均して年間三〇〇日以上も働いた。逆に、ヴェネズエラの狩猟採集民ユイット族の社会では、彼らの慣例や風習から推測すると、一日平均二時間程度しか働いていなかった。

狩猟採集の社会では動植物を相手に戦えばよかったが、資本主義の社会になると人間を相手に戦うことになった。

敵として考えると、人間というのは最も戦いたくない動物であり、そんな相手と戦わないといけない資本主義社会は大変だ。よって生産性は低くなる。

また、敵としての人間はどんどん高度な武器(テクノロジー)を使うようになっているため、戦いは厳しくなる一方であり、生産性はますます低くなっていく・・・。



そのように考えてみると、職場はある意味戦場であり、毎日が戦争なのだ。

しかも、戦況はどんどん悪くなっていき、かつ終わりが無い・・・。
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2018-02-17 07:08 : 雑記 : 編集

過度なリスクをとらされる・・・

「心に響くコミュニケーション ペップトーク」(岩崎由純 著、日本ラーニングシステム 監修)という本の感想、3回目。



ペップトークでは、リスクを恐れて怖気づいた状態から、果敢に挑戦しようとする状態に切り替えようとする。

一方、人の歴史の大部分を占める狩猟採集の時代には、リスクを恐れて怖気づくくらいの方がちょうど良かったに違いない。果敢に挑戦していたら命がいくらあっても足りなかっただろうから。

そのように考えると、過度なリスクをとらされる今の世界は、狩猟採集時代の体を受け継いでいる現代人にとってはある意味異常な世界と言えそうだ・・・。



と言うことで、臆病な自分が異常なのではなく、過度なリスクを強いる今の世界が異常なのだ、と都合よく考えておくとしよう・・・。





もっと言うと、過度なリスクをとらせようとするという意味で、ペップトークはある意味「悪魔のささやき」なのかも・・・。
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2018-02-17 05:09 : 雑記 : 編集

過去よりも現状と未来・・・

「心に響くコミュニケーション ペップトーク」(岩崎由純 著、日本ラーニングシステム 監修)という本の感想、2回目。

「現状の容認」という言葉が気になった。
 失敗したり窮地に陥ったりすれば、ネガティブな感情が心を占めてしまいがちです。成功者であっても、まったくの不安を感じないわけではないでしょう。しかし、その負の感情ばかりにとらわれるのではなく、自分の置かれている現状を素直に受け入れて、次に何をすべきかを考えています。そうすることで、どん底からでも上を向き、目標に向かう姿勢を示せるのです。
 これは、ポジティブシンキングの大原則である「現状の容認」と呼ばれるものです。

過去をくよくよと思い煩いがちな自分には都合の良さそうな話。

すなわち、過去のことはひとまず置いといて現状からの向上に努めるべし、と理解した。

そのためには、自分(意識)の置かれている状況(意識以外の自分(肉体や無意識の部分)とそれを取り巻く環境、その多くは不都合な真実)をよくよく把握することが重要となりそうだ。



と言うことで、過去のことはひとまず置いといて、自分の置かれている状況の把握と、そこからの向上に努めていきたい。

ただ、過去を持ち出して反省することも必要だろうが・・・。
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2018-02-12 18:27 : 雑記 : 編集

リスクへの過剰反応? 失敗したらどうしよう問題・・・

「心に響くコミュニケーション ペップトーク」(岩崎由純 著、日本ラーニングシステム 監修)という本を読んだ。

先期放送されたドラマ「先に生まれただけの僕」に出てきて気になった本。

ペップトークとは、スポーツの競技前に選手をやる気にさせるための短い訓話のことであり、ビジネスの世界でも使われているとのこと。



ペップトークの肝は、ネガティブな感情をポジティブに変えることのようだ。

それに関連した次の記述が興味深かった。
たとえばあなたが、ゴルフ場のティーグラウンドに立ったときに、グリーン横の池が目に入ったとしましょう。「なんだか池に入れてしまいそうな気がする」と思ってしまったときには、そのイメージどおりに池ポチャしてしまうことが多いのです。

苦手意識があると、池が視界に入った途端に失敗してしまうイメージが脳裏をよぎってしまいます。頭の中で思い描いたそのイメージが潜在意識に作用することで、「池ポチャ」という結果が現実世界でも再現されてしまうのです。潜在意識自体は善悪の判断基準を持たないため、頭に描いたイメージは、「そうしよう」という命令として身体や心に作用してしまうのです。

プレッシャーは克服しようとするのではなく、その状況を楽しもうとする感覚を身につけなければなりません。そのためには、「失敗したときのイメージ」ではなく「成功したときのイメージ」を活用して、潜在意識を自らコントロールし、味方につけることが大切です。

なるほどと思うものの、苦手意識があるような状況を楽しんだり、成功したときのイメージを活用したりするのは難しそうだ。できるような気がしない・・・。



と言うことで、そのような「失敗したらどうしよう問題」(苦手意識のある状況では失敗しそうだというネガティブな感情が生じてしまいそのネガティブな感情が失敗を招いてしまうという問題)の対策についてアレコレ考えてみた。

普通の人が共通して抱える問題のようなので、進化の過程でふるい落とされずに残った性質ということになる。

すなわち、人にとってプラスとなる何らかの役割があるに違いない。

それはおそらく、リスクの高い行動を思いとどまらせることだろう(失敗しそうだというネガティブな感情で行動を思いとどまらせる)。

ただ、多少の失敗では死ぬことがなくなった今の時代となっては過剰反応になってしまう。

遊びのゴルフで池ポチャしたとしても身の危険は何もない。

つまり、「失敗したらどうしよう問題」とはすなわち「リスクに過剰反応してしまう問題」なのだ。

自分の先祖たちはその性質のおかけで命をつないで来れたに違い無いのだけど・・・。



なお、もしそうであるならば(命を守ることにつながっているならば)、それはかなり強力な性質だろうから、まともに考えて対処できる問題ではないのかもしれない。

過剰反応だから気にする必要はないと頭で考えたとしても、体が勝手に反応してしまうに違いない。

したがって、その性質に対処するためには、興奮するなどして我を忘れる必要がありそうだ。

ペップトークとは、ある意味、人を興奮させる手段なのだろう。





と言うことで、「失敗したらどうしよう問題」とは「リスクに過剰反応してしまう問題」と考え、過剰反応機能をオフにする必要があるときには、冷静に考えるのを止めて我を忘れた興奮モードに切り替えたい・・・。

自分を興奮させる手段としてのセルフペップトーク・・・。





ちなみに、「失敗したらどうしよう問題」とは逆で、投資においては興奮するのではなく冷静に考えることが大切だ・・・。
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2018-02-12 16:04 : 雑記 : 編集

人はサイコロになれない・・・

「考えることの科学」(市川伸一 著)と言う本を読んだ。

陥りやすい失敗などの例を挙げながら「推論」について解説する内容。

「推論」とは、あることがらを前提として何らかの結論を導き出すこと。



乱数作成に関する次の箇所が興味深かった。
「人間は乱数を作れるか」というのは、実は私の卒業研究でもあったなつかしいテーマである。つまり、サイコロとかクジのように物理的な「ランダム装置」が作り出す数字列と見分けがつかないようなものを、人間が作れるだろうかということである。「そんなの簡単だ」と思う人は、とりあえず1から9までの数字をできるだけランダムになるように100個ほど続けて書き出してみるとよい。こうした主観的ランダム系列に関する心理学での研究は数十年ほど前からあり、どうしても人間の作った系列には何らかのクセが出てしまうと言われている。

人はサイコロになれないということか・・・。

逆に考えると、人が何かを選択する時、全くの適当なんてありえないということだ。

多かれ少なかれ、意識していようがしていまいが、何らかの意向が反映されているのだ。

意識していなかったとしても、無意識のうちに推論している、とでも言ったところか。

今後は、そのような「無意識の推論」に着目してみたい。

すなわち、「無意識の推論」を意識化していきたい。



と言うことで、サイコロになれないのであれば、徹底的に意識化してやるまでだ!!









さて、早速だけど、「サイコロになれない」ということを前提として「徹底的に意識化してやる」という結論を導き出す過程で、どのような推論を行ったのだろうか?

おそらく、災い転じて福となしたいという無意識な意向が反映されたに違いない(無意識の推論)。

すなわち、自分のこの体は、「一石二鳥」などとともに、「災い転じて福となす」は資産形成に不可欠な考え方と思い込んでいるのだ。

という感じ・・・。
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2018-02-11 14:42 : 雑記 : 編集

「つみたてNISA」の期間が終わるまで資本主義は続いているのか?

「シリーズ 欲望の経済史~ルールが変わる時~」という番組がNHKにて放送されていた。

一昨日放送された6回目(最終回)にて、「資本主義の本質とは?」という質問をしていた。

その中で、ドイツの経済ジャーナリスト ウルリケ・ヘルマン氏の回答が気になった。
資本主義が非常に魅力的なことは明らかです。人類が考案した最初の経済成長を生むシステムだからです。それは、成長を生みますが、残念ながら永久に成長し続けられないのも事実です。

現在の消費社会は、いわば、地球を2つ分必要としています。実際は1つしかないのにね。つまり、今の資本主義社会の終焉は見えているのです。資源の限界と環境の限界、2つの限界がその理由です。

一方に目覚ましく成長し続ける資本主義、他方にエコロジーな循環型経済。いまだこの2つが結びついていません。悲劇的なことに、両者の結びつきに関する研究がまったく進んでいないのです。車は発進しているのに、どうブレーキをかければ良いのか研究が進んでいないという状況ですね。

資本主義は持続不可能な経済システムと言うことか。

今はつかの間の春を謳歌している感じなのかな。

株式投資もつかの間の春を謳歌しているんだろうな。

問題は、このつかの間の春がいつ終わるのかと言うことだ。



そういえば、以前このブログに関連することを書いた気がすると思い、読み返してみた。

例えば、「読書メモ15 『2052 今後40年のグローバル予測』」というブログ開始当初の記事には、安全も見て2040年までなんて書いているぞ。



と言うことで、とりあえずは過去の自分を信じて投資を続けるとしよう。

ただ、2040年というとあと20年程度であり、結構近い未来だな・・・(2040年という数字はあてにならないけど)。





と言うようなことを考えていると、「つみたてNISA」が気になった。

2040年と言うと「つみたてNISA」の全期間の半ばくらいではなかろうか・・・。
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2018-02-11 12:02 : 雑記 : 編集

総監視社会 結局は金儲けか・・・

「プリ・クライム ~総監視社会への警告~」というドイツで制作された番組が、NHKの「BS世界のドキュメンタリー」にて放送されていた。

監視カメラの情報を元にした犯罪の事前予測などがとりあげられていた。



あるIT企業CEOのコメントが印象的だった。
全ての人が監視され数値化される社会を私たちは望んでいるんでしょうか?中国では2020年までに全ての国民が数値化されると言われています。この数値によって、良き国民かどうか、しかるべき地位につく資格があるかどうか、2人目の子供を作れるかどうか、決まるんです。なぜ私たちはそうするんでしょうか?経済成長を望むからです。言ってみれば、お金儲けのためなんです。金融会社や大手IT企業は個人のデータで大金を稼げることに気づきました。そして、それを元にビジネスモデルを作り上げました。

国民を数値化して管理するという話は恐ろしく感じたが、それ以上に恐ろしく感じたのは、結局は金儲け(経済成長)のためという部分。

まあでも、よくよく考えたら、戦争すら金儲けの手段にしてきたわけだから今さら驚く話ではないのかもしれない。戦争も結局は金儲け・・・。

今の社会では、結局はすべてが誰かの金儲けの手段なのだ・・・。



「結局は金儲けかよ!!」と批判したくなるけど、そういう自分も結局は金儲けなんだよな・・・。

ということで、「結局は金儲けで何が悪い!!」と開き直って資産形成に励んでいきたい・・・。
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2018-02-11 08:19 : 雑記 : 編集

サイコパス度が低すぎる?

「猟奇的犯人の素顔」というイギリスで制作された番組が、NHKの「BS世界のドキュメンタリー」にて放送されていた。

「サイコパス」をとりあげ、その原因や治療法を探る内容。



この番組を観ながら、自分はサイコパスとは対極にあるのかもしれないと感じた(悪い意味で)。

サイコパス:尊大、口達者、刺激を求める、衝動的、罪悪感の欠如、他者を気にしない・・・
自分   :卑屈、口下手、事なかれ主義、考えすぎ、罪悪感過剰、他者を気にしすぎ・・・



さらに、いわゆる「健常者」はサイコパスと自分の中間ではなかろうかと思った。

サイコパス度「高」:サイコパス
サイコパス度「中」:健常者
サイコパス度「低」:自分



そのように考えると、自分はサイコパス度が低すぎるようであり、自分がさえない原因はそこにあるのかもしれない・・・。

しかし、残念なことに、サイコパスの治療法(サイコパス度を下げる治療法)は今のところ確立していないようだったので、逆のサイコパス度を上げる治療法も無いに違いない。

したがって、サイコパス度を上げることを考えるよりも、低いサイコパス度のままいかに生き抜くかを考えた方が良さそうだ。



ちなみに、出演していた心理学者が、本人は正常でサイコパスは異常だと白黒ハッキリ区別していたのが気になった。

サイコパス度の低い自分からすると、その心理学者も十分にサイコパス的なのだけど・・・。

サイコパスかどうかは白黒ハッキリするものではなく、レベルの問題に違いない。すなわち、サイコパスかどうかではなく、サイコパス度が高いか低いかが問題なのだ。

サイコパス度の低すぎる自分からすると、健常者もサイコパス的であり、そう考えると社会はサイコパスであふれた(自分にとっては)異常な世界なのだ・・・。



と言うことで、サイコパス度が低すぎる自分はサイコパス度不足者の生き抜き方を模索していきたい。特にサラリーマン生活が問題だ・・・。
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2018-02-10 15:04 : 雑記 : 編集

夢の無い時代・・・

「日本人が知らない世界と日本の見方」(中西輝政 著)という本の感想、5回目。

人間(西洋文明)の希望喪失に関する記述が気になった。
十九世紀から二十世紀初頭の時代は、まだ人間に夢を持っていました。人間は素晴らしいもので、西洋文明の未来は輝かしいものと思っていた。ところが二十世紀を通じて、そうした希望は失われた。第一次世界大戦の経験ですでに大きく失われつつありましたが、その後、人類はファシズムやホロコーストを経験します。

つまり十九世紀から二十世紀初めにかけて、西洋思想がドン詰まりに行き着いた結果として起こったのが、第一次世界大戦なのです。そしてこれが西洋文明や、人間の「限りなき未来」を信じるという本来非合理な楽観論に対し、ものすごい幻滅を与えました。

なるほど、人間(西洋文明)の輝かしい未来という根拠無き妄想(夢)が第一次世界大戦をきっかけに崩れ去ったということか・・・。

今となっては「世界終末時計」なるものまであり、人間なんて風前の灯なのかも・・・。夢がない。



輝かしい未来という夢は、人間に高揚感をもたらす。そして、その高揚感が人間を生かすのだろう。

高揚感の源としての夢がなくなると、高揚感不足に陥るため、他から高揚感を補う必要が出てくる。

男性の場合、昔からおなじみの「飲む、打つ、買う」などは高揚感の補給源と言えそうだ。



と言うことで、夢の無い時代を生きる一人間として、高揚感の補給を意識していきたい。

お金やお酒だけでは心もとないため、新たな高揚感の源を開拓するとしよう・・・。







まあでも、自分の祖先をさかのぼっていくと、今の自分の生活よりも夢のある生活を送った祖先がどのくらいいるだろうか?

祖先たちからしてみると、「平和ボケもここまできたか・・・」という嘆かわしい話をしているのかもしれない・・・。

嘆かわしいさえない子孫になってしまったのは、そんな祖先たちのせいでもあるのだが・・・。
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2018-02-10 09:05 : 雑記 : 編集

建前は生きるために 本音は自己満足のために・・・

「日本人が知らない世界と日本の見方」(中西輝政 著)という本の感想、4回目。

フランス人とイギリス人の違いに関する記述が興味深かった。
フランスは哲学の国ですから、功利的・機能的な考え方や経験主義的な思考は「海峡の向こう側にいる、頭の悪い島国の発想」と考えます。つまりイギリス人は頭が悪いから、機能的発想しかできない。経験主義といっているけれど、要は知的に二級の人間のすることで、そんなことをやると知性が一段下がる。だから彼らは昔から「ショップキーパー」、つまり小さな商人にしかなれないと軽蔑しているのです。

イギリス人は自分の住んでいるところがあんなくだらない島だから、それに絶望して、船に乗って世界の海に出ていったのだ。おまけにあの退屈な国民性だから「世界の海を支配する」などとバカなことをいって、人生を楽しむことを知らず、インドなどつまらない土地へ行き、野蛮人を相手に喜んでいる、人生の何たるかを知らない人だと。十八世紀頃のフランス人は、完全にそのようなイギリス観に凝り固まっていて、「知性尽きる島」というのが、デカルト以来のフランス人の見方です。

ちょっと違うかもしれないが(まったく違うかも?)、フランス人は自己満足重視、イギリス人は生きること重視、と言ったところか。

自分は、自己満足が大切と思いながらも、生き抜くことだけでアップアップしており、なかなか自己満足まで手が回らない・・・。



自己満足と生きることのどちらを重視すべきかを改めて考え直してみると、「建前は生きること重視で本音は自己満足重視」が良さそうに思う。

と言うのも、なぜそのような行動をとるのか?と問われたとき、生きるためと言う方が他人を納得させやすそうだし(「生きるため」というのは誰もが否定しがたい大義名分になりそう)、一方で、自己満足のためと言う方が自分を納得させやすそうだ(「生きるため」を重視すると「そもそもなぜ生きるんだ?」という疑問がわいてくる・・・)。



まあでも、自己満足が無ければ生きる意欲を失いそうだし、生きないと自己満足を得られないし、と言うようなことを考えると、「自己満足」と「生きること」は相互依存の関係にありそうだ。

すなわち、片方だけでは成り立たず、必ずセットで必要だ。



と言うことで、建前は生きることを目的としながらも本音では自己満足を目的としつつ、「生き満足」していきたい・・・。

※必ずセットで必要ということで、「生き満足する」(=生きる×自己満足する)という便利な言葉を勝手に作ってみた・・・。

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2018-02-10 07:08 : 雑記 : 編集

金儲け至上主義者は理想を語りたがる・・・

「日本人が知らない世界と日本の見方」(中西輝政 著)という本の感想、3回目。

現実主義と理想主義に関する記述になるほどと思った。

すなわち、現実主義者はその目的を達成するために理想主義者のふりをする、と言うようなことが書かれていた(関連箇所を最後に抜粋)。

そのように考えると、企業が掲げる「経営理念」なんていう理想主義の見せかけは、現実主義(金儲け至上主義)の極致に違いない。「金儲け至上主義者は理想を語りたがる」とでも言ったところか・・・。




と言うことで、金儲け至上主義の自分は、「自分は理想主義の見せかけなんかするものか!!」という理想主義をふりかざして金儲け(資産形成)に努めていきたい・・・。




以下、関連個所の抜粋。
 また、現実主義の極致は「理想主義に見せかける」ことです。十八世紀のドイツの専制啓蒙君主フリードリヒ大王を評した言葉に「最高のマキャベリズムとは何か。それはマキャベリズムを否定することだ」というものがあります。
 自分を理想主義に見せかけるのが、最もマキャベリストだ、というのです。マキャベリズムとは、目的のために手段を選ばない権謀術数主義とされています。念のために申しますと、これはフリードリヒ自身の言葉ではありません。フリードリヒ大王は、自分は善人の側からマキャベリズムに反駁するという態度で、『反マキャベリ論』という有名な書もあります。
 しかしフリードリヒの行った政治を検証すると、ドイツ史上、最悪のマキャベリストだったといわざるを得ない。ですから皮肉なことに、フリードリヒの『反マキャベリ論』は、「マキャベリズムの極致」といわれているのです。

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2018-02-09 16:02 : 雑記 : 編集

人生とは「嘘の体系をどのように管理するか」ということ・・・

「日本人が知らない世界と日本の見方」(中西輝政 著)という本の感想、2回目。

「嘘」に関する次の記述が興味深かった。
下手な嘘をつく人は、賞味期限を偽ったり、客の残した料理を別の客に使い回したりします。これは最低ですが、企業経営とは「嘘の体系をどのように管理するか」ということでもあります。国家戦略とは、まさにいかにうまい嘘をついて、国際社会を納得させるかです。真実の意図を示すことは、往々にして国益を害することになります。ただ、嘘をあまり派手にやりすぎると、もっと大きな国益を失うことになるのです。

なるほど。手段としての「嘘」をいかにうまく管理するかが重要ということか・・・。

これは、企業や国家だけでなく、自分自身にも当てはまりそうだ。

すなわち、”サラリーマンとは、まさにいかにうまい嘘をついて、関係者を納得させるかです。真実の意図を示すことは、往々にして自分の立場を害することになります。ただ、嘘をあまり派手にやりすぎると、もっと大きな立場を失うことになるのです。”

あるいは、”人生とは、まさにいかにうまい嘘をついて、周りを納得させるかです。真実の意図を示すことは、往々にして自分の信用を害することになります。ただ、嘘をあまり派手にやりすぎると、もっと大きな信用を失うことになるのです。”

さらには、”ブログとは、まさにいかにうまい嘘をついて、読者を納得させるかです。真実の意図を示すことは、往々にして読者を失うことになります。ただ、ウソをあまり派手にやりすぎると、もっと多くの読者を失うことになります。”



と言うことで、このような姿勢でブログを書き続けていきたい・・・。



と言うより、そもそも読者はいるのか・・・?
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2018-02-09 14:37 : 雑記 : 編集

損だから嘘をつかないのか? 悪だから嘘をつかないのか? 嫌だから嘘をつかないのか?

「日本人が知らない世界と日本の見方」(中西輝政 著)という本を読んだ。

「国際政治」に関する大学での講義をまとめた本。



「嘘」に関する記述が興味深かった。
 要は Honesty will pay で、「正直者は得をする」というわけです。これがイギリス的プラグマティズムです。
 日本人も「嘘をついてはいけない」といいます。ただしその理由として「損をするから」と教える人はあまりいません。親が子供を教育するときも、そのように教えないでしょう。そこに日本人とイギリス人の「嘘」に対する決定的な違いがあります。

確かに、嘘を損得の観点から教えられたことは無かったような。

自分もそうだったし、善悪の観点から教えられるのが日本のスタンダードに違いない。



これは「嘘」に限らず多くのことに当てはまりそうだ。

すなわち、日本では善悪の観点から教育(しつけ)されて、イギリスでは損得の観点から教育(しつけ)される。

最近流行の生産性を上げたいのであれば、ここを見直さないといけないように思う。

つまり、生産性向上のためには善悪よりも損得を優先するべし・・・。



ちなみに、自分は人の行動を「損得」「善悪」「好嫌」の3つの観点から考えるようにしているけど、生産性を上げるには、「損得」の観点で商売して「好嫌」の観点でどんどん消費する、必要がありそうだ。

あくまで「善悪」の観点に固執するならば、儲けにこだわるのは「善」であり消費しまくるのも「善」であると教え込めば良いのかな・・・。



また、次のような記述も興味深かった。
おそらく日本人の多くは、「大事な真実とわかっていて、それに触れないのは心が痛む」と感じます。社会的にも、嘘をついていたのと同じぐらい非難や制裁を受けることが少なくありません。

一方、欧米人は少し違います。「大事な事実に触れないのは、嘘ではない。口に出して話す内容さえ真実ならいい」と考えます。もちろん個人差もありますが、欧米の場合、大事な事実をかくしていたことに対する道徳的非難はそれほど強くありません。「調べる側の能力が低かった」と思われるまでです。

なるほど、嘘の定義も国によって異なるということか。

「つまらないものですが」なんて謙遜癖のある日本人は、ある意味嘘つきな信用できない人たちなのだ・・・。
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2018-02-09 13:52 : 雑記 : 編集

確信犯になろう・・・

「中動態の世界 意志と責任の考古学」(國分功一郎 著)という本の感想、4回目。

昨日も引用した次の記述が気になってしかたない・・・。
選択がそれまでの経緯や周囲の状況、心身の状態など、さまざまな影響のもとで行われるのは、考えてみれば当たり前のことである。ところが抽象的な議論になるとそれが忘れられ、いつの間にやら選択が、絶対的な始まりを前提とする意志にすり替えられてしまう。過去から地続きであって常に不純である他ない選択が、過去から切断された始まりと見なされる純粋な意志に取り違えられてしまうのだ。


意志の弱い自分の負け惜しみかもしれないが、「意志は胡散臭い」と言わんばかりのこの記述に共感してしまう。

さえない自分には確固たる意志は無く、それゆえ途方に暮れる場面も多いけど、一方で、できる人には確固たる意志があるように見える。

もしかしたら、そう見えるのは彼らがそう見えるように振る舞っているだけではなかろうかと思えてきた。

いわゆる確信犯と言うヤツだ。

すなわち、彼らにも意志は無いけど、意志があるように振る舞っているだけということ・・・。



と言うようなことを考えると、自分に足りないのは意志ではなく、確信犯になる覚悟ではなかろうかと思えてきた。



と言うことで、これからは確信犯になることを躊躇せず、意志を捏造していきたい・・・。





というこのような意思は確信犯の捏造か? やればできる??
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2018-02-04 08:39 : 雑記 : 編集

「仕事道」より「お金道」・・・

「優しさ競争では若者は育たない」という記事が先日の日本経済新聞に掲載されていた。

次の記述が気になった。
 ドイツ人と知り合う機会が何度かあり、ショックを受けた。日本人は欧州から「ワーク・ライフ・バランス」を学ぼうとしているが、彼らにとってワークはプライベートライフを充実させるための手段でしかないというのだ。
 だからNHKの「プロジェクトX」を見てもウソっぽく感じるそうだ。仕事は神から与えられた罰というのが根底にあるらしい。日本には「仕事を通じて成長し、人生を豊かにする」という仕事観ある。「仕事道」といってもいい。欧州とは大きく異なる。

そう言われると、日本の「ワーク・ライフ・バランス」は、あくまで仕事をメインに据えたまま、サブとしてのライフの質を上げようとしているように思われる。

仕事をすることは美徳とされ、仕事を通じて成長することに喜びを見い出す。

極端に言うと、日本人は仕事をするために生まれてきて、仕事をさせるために子供を作るようなものか・・・。

まさに「仕事道」を極めるための一生・・・。

「課長」「部長」・・・「社長」などの段位もあることだし、極めがいもある?



昔はそれでうまくいったのかもしれないし、それ故うまくいったのかもしれない。

しかし、グローバル化した今となっては欧米流がスタンダードと見なされてしまうだろうから、「仕事道」を極めて高段位(役職)を目指すような日本流はそのうち通用しなくなりそう・・・。

また、流行りの生産性向上の観点からしても、「仕事道」を極めるような姿勢は効率が悪そうだ。

生産性を上げるには「仕事道」より「お金道」か??



と言うようなことを「仕事道」の落ちこぼれな自分が書いても負け惜しみにしかならないのだけど・・・。
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2018-02-04 06:47 : 雑記 : 編集

インデックスファンドの積立投資は意志薄弱な自分に向いている?

「中動態の世界 意志と責任の考古学」(國分功一郎 著)という本の感想、3回目



「中動態」とは何か?

インド=ヨーロッパ語には、現在の能動態と受動態を対比させる考え方以前に、能動態と中動態を対比させる考え方があったとのこと。

能動態 : 主語が動詞の示す過程の外にある
中動態 : 主語が動詞の示す過程の内にある

中動態は主語がその座となるような過程を表しているのであって、主語は過程の内部にある。それゆえに、動詞は主語に作用するのであるし、主語の利害関心が問題になるときにこの態が用いられるのである。


能動態の例:曲げる、与える、(他人に)贈り物を運ぶ、(司法官として)判決を下す
中動態の例:眠る、想像する、(自分がもらった)贈り物を運ぶ、(原告として)訴訟を起こす



また、能動態と受動態を対比させる考え方には意志の存在を伴うが、能動態と中動態を対比させる考え方には意志の存在を伴わない、と言うようなことが書かれていた。

そもそも、中動態が使われていた古代ギリシャには「意志」という考え方がなかったとのこと。

「意志」という考え方はパウロが発見してキリスト教とともに広まったようだ。



なお、自分が理解した範囲では、この本で著者が一番言いたかったのは次のようなこと。

すなわち、意志に重きを置く現在の「能動態/受動態」思考にとらわれすぎずに(行動を選択する要素の一つにすぎない意志に重きを置き過ぎるのは不自然)、意志の存在を伴わない中動態的な考え方も取り入れるべし、と言うこと。




ちなみに、自分がさえない理由の一つに意志が無い(弱い)というのがある。

主語をあいまいにする日本語で育ったためか、意志が無くてもやってこれた。

しかし、さすがにサラリーマン生活では意志を見せないとやっていけないため、意志がある振りをする必要がある・・・。

そのようなことを考えると、ある意味自分は中動態的な世界を生きているのかもしれない(意志がないという意味で)。

一方、できる人はたいがい意志が強く(意志を前面に押し出し)、能動態/受動態の世界を生きているように思う。




と言うことで、そもそもが意志薄弱な自分には、「中動態の世界」よりも「能動態/受動態の世界」の方が必要なようだ・・・。






ちなみに、インデックスファンドの積立投資は、意志の弱い自分のような人に向いているような。

・少しの意志で始められる(少額から始められるため)
・少しの意志で投資先を選定できる(投資候補となりそうなインデックスは限られるため)
・少しの意志で継続できる(自動積立の設定をしておけば自動的に継続できるため)

逆に、意志の強いできる人には物足り無いに違いない・・・。
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2018-02-04 05:08 : 雑記 : 編集

「未来は知り得ない」のにリスクとリターンを想定して長期投資するなんて・・・

「シリーズ 欲望の経済史~ルールが変わる時~」という番組がNHKにて放送されている。

昨日放送された5回目にて「バブル」が取り上げられており、大変興味深かった。



気になるコメントを抜粋。

トーマス・セドラチェク氏(CSOB銀行 マクロ経済チーフストラテジスト)のコメント
世界は本質的に不確実だ なのに「来年は2.4パーセント成長するだろう」とか信じて投資したりするのは 未来は不確実だ という自然な感覚を失っている 未来は知り得ない

リスクは計算が可能だが不確実性は計算できない リスクと不確実性を混同したら危険な世界が待っている


『雇用 利子および貨幣の一般理論』J.M.ケインズからの引用
たとえば ルーレットの確率や人の寿命 明日の天気予報は さして不確実とは言えない 不確実性とは ヨーロッパで戦争が起きるかどうか 20年後の銅価格や利子率 ある発明がいつ陳腐化するかなど こうした事柄を予測するための科学的な根拠は無い


ダニエル・コーエン氏(パリ経済学院教授)のコメント
どのような経済モデルなら未来の危機を予測できるか? 残念ながら それは不可能です




自分も、「長期的に株価は上がる」と勝手に思い込んでインデックスファンドに投資しているけど、「長期的に株価は上がる」という共通認識こそがバブルを証明しているのではなかろうか? と思えてきた。

また逆に、「バブルでは?」という共通認識も常にありそうなので、それがバブルではないことを証明しているようにも思えてくる・・・。



と言うことで、やはり分散投資が大切かな・・・。

あるいは、分散投資こそバブルなのか?



いやいや、そんなことよりサラリーマンバブル??



そもそも人類自体がバブルなのでは???



あるいはこの世界自体がバブルかも・・・。






と言うようなバブル心配? だったら良いけど・・・。
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2018-02-03 17:09 : 雑記 : 編集

自分にとってはパッシブ運用がアクティブ運用・・・

「中動態の世界 意志と責任の考古学」(國分功一郎 著)という本の感想、2回目



「中動態」についてはまた改め書くとして、「能動」と「受動」に関する記述が気になった(この記事の最後に関連個所を抜粋)。

次のように理解した。

「能動」と「受動」の区別は、行為の方向に着目するよりも、その人の本質が反映された行為かどうかに着目した方がうまく説明できる。

【行為の方向に着目する場合】
 能動:自→他
 受動:他→自

【本質の反映に着目する場合】
 能動:その人の本質が反映されている
 受動:その人の本質が反映されていない



例えば、自分がサラリーマンとして働くのは、行為の方向に着目すると能動的だが(自分から働きかけて就職した)、本質が反映されているかどうかに着目すると受動的である(会社勤めに適した性質ではないし好きでも何でもない)。

また、「いじられる」というのは、行為の方向に着目すると受動的だが、いじられキャラの人にとっては、その人の本質が反映されているという意味で能動的である。

さらに、投資におけるパッシブ運用は、自分のような受け身的な性質の人にとっては、その人の本質が反映されているという意味でアクティブ運用(能動的な運用)と言えるのかも。



と言うようなことを考えていると、そもそも受け身的なさえない自分は、自分の本質を反映した行為をしていてはこの社会を生き抜けそうにないという意味では、能動的に生きていくことはできない。

すなわち、生き抜いていくためには、自分の本質を反映していないという意味での受動的な行為(行為の方向的には能動的な行為)に終始する必要があり、その最たるものがサラリーマンとして会社勤めをすることだ。

言わば、強いられる能動を受動的に行わざるを得ない、とでも言ったところか・・・。







以下、関連個所の抜粋。
スピノザは神なる実体とはこの宇宙あるいは自然そのものに他ならず、そうした実体がさまざまな仕方で「変状」したものとして万物は存在していると考えた。すなわち、あらゆる物は神の一部であり、また神の内にある、と。

われわれの変状がわれわれの本質によって説明できるとき、すなわち、われわれの変状がわれわれの本質を十分に表現しているとき、われわれは能動である。逆に、その個体の本質が外部からの刺激によって圧倒されてしまっている場合には、そこに起こる変状は個体の本質をほとんど表現しておらず、外部から刺激を与えたものの本質を多く表現していることになるだろう。その場合にはその個体は受動である。

一般に能動と受動は行為の方向として考えられている。行為の矢印が自分から発していれば能動であり、行為の矢印が自分に向いていれば受動だというのがその一般的なイメージであろう。それに対しスピノザは、能動と受動を、方向ではなく質の差として考えた。

脅されてお金を渡す行為をわれわれは能動とは言わない。しかし、一般的な能動と受動の区別では、たとえば困っている人に義の心からお金を手渡す行為と、脅されてお金を渡す行為をうまく区別できない。なぜならば行為の方向はどちらも同じだからである。

しかし、二つの行為は明らかに違う。スピノザ哲学はわれわれが直観しながらもうまく説明できないでいるこの事態を明確に説明するものである。困っている人に義の心からお金を手渡す行為は、その人の本質が原因となって起こっている行為であって、限りなく能動に近い行為と言いうるだろう。

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2018-02-03 11:43 : 雑記 : 編集

選択は意志が主役というポジティブ幻想社会・・・

「中動態の世界 意志と責任の考古学」(國分功一郎 著)という本を読んだ。

哲学の専門家が「中動態」について解説した本。



「中動態」については改めて書くとして、「意志」と「選択」に関する記述が気になった(この記事の最後に関連個所を抜粋)。

次のように理解した。

「選択」には、「意志」の他にも様々な要素(置かれた状況やそれまでの経緯や無意識など)が関わっているはずなのに、「意志」の影響力が過大評価されている。その結果、「責任」という考え方が生じる。

すなわち、「選択」の主役である「意志」には「責任」がある、という考え方になる。



そのようなことを考えていると、先日ブログに書いた「ポジティブ幻想」という言葉を思い出した。
「錯覚の科学」という放送大学の番組(全15回)の14回目「自己の錯覚」が大変興味深かった。

「ポジティブ幻想」という言葉が出てきた。

すなわち、精神的に健康な人は現実を自分に都合よく歪めて認識しているとのこと。

例えば、(現実はどうであれ)自分は平均的な人より良い特性を備えた人間だと思い込んだり、自分の影響力を過剰に認識したり、過度に楽観的になったり、など。

一方、抑うつな人はより客観的に正しく認識する現実主義的。

この中の「自分の影響力を過剰に認識する」というのは、すなわち、「自分の”意志”の影響力を過剰に認識する」ということだろう。

その結果、「選択」の担い手の一つに過ぎない「意志」を、「選択」の主役だと思い込んでしまう。

すなわち、「選択」の主役である「意志」には「責任」がある、という考え方には、ポジティブ幻想がベースにあるに違いない。



自分はそもそも「責任」という考え方にしっくりきていなかったが、それはポジティブ幻想が弱いからなのだろう、と腑に落ちた。

そういう自分には、「選択は意志が主役というポジティブ幻想社会」は生きづらいけど、まあでも、そういうゲームだと割り切って生きていくしかなさそうだ・・・。






以下、関連個所の抜粋。
選択がそれまでの経緯や周囲の状況、心身の状態など、さまざまな影響のもとで行われるのは、考えてみれば当たり前のことである。ところが抽象的な議論になるとそれが忘れられ、いつの間にやら選択が、絶対的な始まりを前提とする意志にすり替えられてしまう。過去から地続きであって常に不純である他ない選択が、過去から切断された始まりと見なされる純粋な意志に取り違えられてしまうのだ。

たとえば、ある人が何かを選択するにあたり、その選択行為が明確に意識されるよりも前の時点で、脳内で何らかの活動が始まっていたことが実験によって証明されたとしよう。これによって否定されるのは、単に、選択の開始地点は人の明晰な意識のなかにあるという思い込みに過ぎない。そして、ある選択が、行為として行われた時点に至るまでのさまざまな要素によって影響を受けているのは当たり前であって、そんなことはわざわざ指摘するまでもない。また、脳内で起こることをすべて意識できるはずがないのだから、選択が意識されるよりも前に、脳内で何らかの活動が始まっているのも当然である。

さまざまな要素が参与しているのだから、意識された思考が選択を決定するわけではないだろうが、意識が選択とまったく無関係なわけでもないだろう。意識されない思考が意識される思考に影響を与え、意識される思考もまた意識されない思考に影響を与える、そのような相互作用を思い描くことができる。

選択は無数の要素の影響を受けざるをえず、意識はそうした要素の一つに過ぎないとしたら、意識は決して万能ではない。しかし、それは無力でもない。

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2018-02-03 07:17 : 雑記 : 編集
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ちゃーも

Author:ちゃーも
■自己紹介
・アラフォーサラリーマン
・さえないエンジニア
・お金好き、お酒好き、読書好き

■資産形成の方針
・仕事:開き直ってストイックに稼ぐ
・節約:消費するよりアーリーリタイア
・投資:パッシブに増やす

■投資の内容
・インデックスファンドの積立投資
 (先進国株式、ゴールド)
・利用している主なファンド
 eMAXIS Slim 先進国株式インデックス
 たわらノーロード 先進国株式
 SMT ゴールドインデックス・オープン(為替ヘッジあり)

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資産状況202006

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