流され続けて40年・・・

「勉強の哲学 来たるべきバカのために」(千葉雅也 著)という本の感想、3回目。

無限の選択肢から絞り込む方法が書かれており、なるほどと思った。
 勉強の対象、範囲を有限化するためには、三つの方法があることになる。ここで、決断と中断の対比は、アイロニーとユーモアに対応している。
(1)環境のノリに合わせる:保守的な有限化
(2)アイロニー:決断による有限化
(3)ユーモア:比較の中断による有限化

自分の言葉にすると、
1.周りの流れに身を任せるか
2.なぜ?なぜ?なぜ?と追究するとキリがないためエイヤ!で決断するか
3.これは?あれは?それは?と連想し続けるとキリがないためこだわりを重視するか
※アイロニーとは追究(なぜ?)のこと、ユーモアとは連想(あれはどうなんだ?)のこと

自分の場合、エイヤ!の決断力は無く、こだわりも弱いため、周りの流れに身を任せがち。

それで良いのか??

流され続けて約40年、気付いたらこんなブログを書いている・・・。
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2018-03-31 15:06 : 雑記 : 編集

マゾヒズムのすすめ? 投資も仕事も人類も続ける秘訣はマゾヒズム・・・

「勉強の哲学 来たるべきバカのために」(千葉雅也 著)という本の感想、2回目。

「痛気持ちいい」という言葉が気になった。
つらい環境には、自分に耐えられる限度を超えた苦痛があるのかもしれません。が、そうだとしても同時に、ぎりぎり生きていられているのであれば、自分はそこで最低限にでもマゾヒズムを働かせているはずです。なぜなら、ひらすら苦痛だけを感じ続けて生きることはできないからです。なんとか苦痛をやりすごせるよう、「痛気持ちいい」という矛盾した状態を成立させている。苦痛からちょっとでも快楽を得ようとしている。

この考え方は、レオ・ベルサーニという、精神分析やゲイ文化の研究をしている人から借りています。ベルサーニは、人間の根本にはマゾヒズムがあると考えている。

どんなにつらい環境でも、自分にはそのノリと癒着してしまっている面がある。

なるほど。

辛いことの多い人生を、なぜめげずに生き続けていけるのだろうかとよくよく考えてみると、「痛気持ちいい」というマゾヒズムが潜んでいるのかもしれない、という話は大変納得できる。

辛い日常にも気持ちよさを感じてしまうマゾヒズム的な遺伝子が生き残ってきたに違いない。

マゾヒズム的でなければすぐに絶望してしまって生き残れないに違いないから・・・。



自分は、サラリーマン生活は辛いと言いながら、同時に気持ちよさを感じているのかもしれない。

また、最近の株の暴落は痛いけど、同時に気持ちよさを感じているのかもしれない。

さらには、人類に未来は無さそうだと思いながら、同時に気持ちよさを感じているのかもしれない。





ということで、先祖代々受け継いできたマゾヒズム的性質を発揮して、辛いサラリーマン生活にも気持ちよさを見い出し続けていきたい・・・。
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2018-03-31 08:12 : 雑記 : 編集

サラリーマンの哲学? 開き直ったバカを目指して・・・

「勉強の哲学 来たるべきバカのために」(千葉雅也 著)という本を読んだ。

勉強するとはどういうことか?、どのように勉強するべきか?、ということを哲学者が書いた本。

自分の理解した内容を以下のように整理してみた。



勉強には「追究」(なぜ?)と「連想」(あれはどうなんだ?)の2つの次元があり、追究が基本。

ただし、なぜ?なぜ?なぜ?と追究し続けてもキリがなく、結局真理にはたどり着けない。

また、これは?あれは?それは?と連想し続けてもキリがなく、話を転々とするだけだ。

ただ、通常は各自の「こだわり」にとらわれるため無限に連想し続けることはなく、「こだわり」のある有限の分野に落ち着く。

というようなことを踏まえると、ある程度「追究」したら「連想」で「こだわり」のある他の分野に移り、そこでまたある程度「追究」する、という「追究→連想→こだわり→追究→・・・」のサイクルを回すべき。

一方で、勉強すると小賢しくなり、周りから浮いたバカのできないノリの悪い状態になってしまう。

しかし、勉強を続けて各自の「こだわり」を追究すると、周りに関係なく自分でノっている状態(バカのできる状態)になる。著者はこれを「来たるべきバカ」と呼んでおり、ポジティブにとらえているようだ。



以上が自分の理解した内容であり、おおむね納得できる話だったが、肝心の「来たるべきバカ」という考え方がいまいち腑に落ちなかった。

周りにはノレずに浮いた存在ではあるものの、自分の「こだわり」をノリノリで楽しんでいるような状態というようなことだろうか?

だとすれば、いわゆるオタクやマニアは「来たるべきバカ」と言えるのだろうか。

自分も、周りから浮いているけどお金やお酒や読書をノリノリで楽しんでいる「来たるべきバカ」なのだろうか。

ちなみに、哲学者は「来たるべきバカ」の代表選手なのだろう。周りから浮きまくっているがこだわりの哲学を超ノリノリで楽しんでいる・・・。





周りから浮き気味でノリの悪さに苦労しているさえないサラリーマンの自分からすると、「来たるべきバカ」になっても恩恵を受けられそうにない。

それよりも、次のような「開き直ったバカ」を目指すべきかと思った。

すなわち、周りから浮いたノリの悪い存在になってしまうとサラリーマン生活に支障をきたすため、あえて意識的にノリの良い存在(本人からすればバカ)になって周りに溶け込もうとする。これを「開き直ったバカ」と呼んでみる。

例えば、サラリーマンとして働くことにどんな意義があるのだろうか?、なんてノリの悪いことを考えるのはいったん止めて、世のため人のためという経営理念的な考え方に染まったことにして会社に溶け込む。

でも、よくよく考えると、空気を読める人にとってはそんなことは当たり前なのかもしれない。

つまり、開き直れていない自分(開き直れないバカ)は少数派で、会社は「開き直ったバカ」の集団なのかも・・・。





ということで、サラリーマンとして収入を得続けるために「開き直ったバカ」になるべく今さらながら努めていきたい・・・。







ちなみに、自分のノリの悪さは勉強云々というより、生まれつきの性質のように思う。

いま思えば幼少のころからノリが悪かったような・・・。






最後に関連個所を抜粋。
勉強はアイロニーが基本である。しかしアイロニーをやりすぎず、つまり、懐疑(疑い)を深めすぎず、ユーモア的に多数の可能性を連想する。しかし、そうした可能性の増殖はきりがないので、切断して足場を仮固定するために、享楽的こだわりを刃にする。その刃に、また、やりすぎないアイロニーをかける。このようにプロセスが進むのです。

環境のなかでノっている保守的な「バカ」の段階から、メタに環境を捉え、環境から浮くような「小賢しい」存在になることを経由して、メタな意識をもちつつも、享楽的こだわりに後押しされてダンス的に新たな行為を始める「来たるべきバカ」になる。

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2018-03-31 06:03 : 雑記 : 編集

株式のリスクプレミアムは5%?

株式のリスクプレミアムは5%なのだろうか?という先日の疑問が気になったのでネットで調べてみた。

検索してみると、疑問の発端となった山崎元氏のちょっと古い記事『株式の「リスクプレミアム」は5%なのか』が東洋経済オンラインに掲載されていた。

関連個所を長々と抜粋。
リスクプレミアムは、ある意味では投資家の頭の中にあるものだ。「それなら、直接聞いてみよう」というアプローチが考えうる。米国ブラウン大学のウェルチという先生が、米国内外のファイナンスないしは経済学の先生数百人を対象に、ネットでアンケートを行なった。

結果を見ると、07年末の時点で、1年間の株式のリスクプレミアム(リスクフリー資産は財務省短期証券3ヵ月物とする)について、先生たちの平均値はほぼ5%だった(米国の先生たちの数字がやや高く、米国以外の回答者の数字がやや低い)。ただし、これらの先生たちが教室で生徒に教えるときに使う数字は平均6%程度と、やや高いものを使っているらしい。

日本の機関投資家が投資計画を立てるときに使う株式のリスクプレミアムの数字は、厳密に計測したわけではないが、5%から6%くらいであることが多い。

筆者が、個人向けの資産運用の説明で使う数字も5%だ。ただし、筆者のイメージとしては、株式そのもののリスクプレミアムは6%で、現実に投資する際にかかる手数料などのコストを1%程度見込んで(実際にはもっと抑えたいが)、保守的な数字として5%を使っているつもりだ。

ということで、みんなの経験則からするとリスクプレミアムは5%くらいかで想定しておくのが良さそうだ、という程度のノリと理解した。

結局なんだかよくわからなかったけど、5%というのはその程度のノリだと解釈しておこう・・・。
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2018-03-25 12:22 : 雑記 : 編集

典型的な理系のつもりが 今となっては歴史や経済が趣味になっている・・・

「競争社会の歩き方」(大竹文雄 著)という本の感想、3回目。

経済学は文系か?理系か?という話題が取り上げられており、次のような結論が書かれていた。
さて、経済学は文系なのか、理系なのか。数学を使えば理系なのか、実験をするのが理系なのか、人間を対象とすれば文系なのか。そんなことはどうでもいいのではないか。


学生時代の自分は、数学や物理が大好きで国語や歴史が大嫌いな典型的な理系?だった。

しかし、年をとるにしたがって歴史や経済などの文系的な分野に興味が出てきた。

今となっては、数学や物理は金儲けの手段にすぎず、歴史や経済が趣味となっている。



ただ、よくよく考えると、文系的な分野に興味が出てきたというよりも、歴史や経済の中に理系的な要素を見い出すようになったという方が正確なのかもしれない。

すなわち、極端に言うと、人間も物理法則に従って思考したり行動したりしているにすぎないと考えると、歴史や経済も物理法則の範囲内なのだ。



一方、逆も成り立つのかもしれない。典型的な文系?の人からすると、数学や物理も文系的な思考の範囲内なのかもしれない。



そのように考えると、冒頭の話題に関して、理系的な人にとっては経済学に限らず全ての分野は理系的であり、文系的な人にとっては経済学に限らず全ての分野は文系的である、と言えるのかもしれない。



さらに、より極端に言うと、人は各々独自の見方で世界を見ているのであり、経済学は理系とか文系とかいうよりも人それぞれの俺系の経済学なのだろう・・・。
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2018-03-25 08:39 : 雑記 : 編集

さえない自分が競争社会を生き抜くには・・・

「競争社会の歩き方」(大竹文雄 著)という本の感想、2回目。

次のような記述を受けて、さえないサラリーマンが競争社会を生き抜く術を考えてみた。
プロスポーツの人材市場において、ジョーダンがバスケットボールを選んだおかげで、野球に特化したメジャーリーガーが一人生まれたと考えれば、強者が相対的に不得意な分野を他の人に任せることで弱者の活躍の場も生まれると見ることができる。これが市場経済における競争のメカニズムで、メリットである。

得意な分野かどうかが強調されているが、やりたい分野かどうかや儲かる分野かどうかも重要に違いない。

つまり、競争する分野の選択において、最低でも次の3つは考慮に入れる必要があると思う。

1.得意/不得意
2.やりたい/やりたくない
3.儲かる/儲からない



さえない自分はどんな分野で戦うべきか改めて考えてみた。

「1.得意/不得意」に関して、さえない自分の中で得意な分野であっても他の人と比較したらそれほどでもないに違いない。
→他の人よりも得意な分野はなさそうなので比較的まし(自分の中では得意)な分野で戦うべし

「2.やりたい/やりたくない」に関して、多くの人がやりたがるような分野は競争が激しいだろうから、他の人よりも得意でないとやっていけないに違いない。
→競争の激しい分野では勝てないので多くの人がやりたがるわけではない分野で戦うべし

「3.儲かる/儲からない」に関して、儲かる分野も競争が激しいだろうから、他の人よりも得意でないとやっていけないに違いない。
→競争の激しい分野では勝てないので儲かるわけではない分野で戦うべし

これら3つを合わせて考えると、比較的まし(自分の中では得意)な分野で、かつ、多くの人がやりたがるわけではない分野で、かつ、儲かるわけでもない分野で戦うべし(戦わざるをえない)といったところか。

このように考えてみると、サラリーマン(エンジニア)としての今の仕事はそこそこ理にかなっているのかもしれない・・・。

ある意味悲しい現実・・・。

競争社会というのはさえない自分には辛い社会だな・・・。



ということで、アーリーリタイアを実現できるまでは、もしかしたら理にかなっているのかもしれない?さえないサラリーマンという(罰ゲームのような)辛い役割を演じ続けるとするか・・・。
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2018-03-25 05:15 : 雑記 : 編集

バブル崩壊を忘れたのか? もはや想定外だったんなて言い訳は通用しない・・・

そもそもなぜ株式に投資するのか?、先日に引き続きネチネチ考えてみた(自分への戒め)。



日経平均はバブル時の最高値である1989年末の38957円を30年近く経った今でも全然回復できていない。

日本の多くの個人投資家はそれを知っているに違いないと思うのだが、それを知っていながら株式に投資するなんて株価のいい加減さを忘れてしまったのだろうか?

あるいは、そこから学んだからこそ日本株式以外へも分散投資をしているのだろうか?

または、そこから学んだからこそ積立投資をしているのだろうか?

それとも、そこから学んだからこそ自分の知らない多くの技を使っているのだろうか?

いずれにせよ、バブル崩壊の事例がある今となっては、例えうまくいかなかったとしてももはや想定外だったなんていう言い訳は通用しないのだ・・・。



また、一方、個人に投資させようと勧める側は、バブル崩壊の事例を忘れさせるために海外の事例や分散投資や積立投資を持ち出してくるのかもしれない。

証券会社やお偉いさんたちは庶民を煙に巻こうと必至に違いない。

だが、いくら執拗に勧められたからと言っても、バブル崩壊の事例がある今となっては、もはや想定外だったなんていう言い訳は通用しないのだ・・・。






まあでも、己の稼ぐ能力の低さを身を持って思い知っている自分としては、自分の稼ぐ能力の低さが想定外だったなんていう言い訳もまた通用しない。

その対策(埋め合わせ)としての株式投資なのだ。

つまり、株価のいい加減さを思い知っているつもりだが、自分の稼ぐ能力の低さはそれ以上だと思い知っているつもり・・・。



ちなみに、将来、もし仮に自分の稼ぐ能力の低さよりも株式のいい加減さの方が勝っていることが明らかになった場合、それはそれである意味うれしいのでそれをネタに自己満足にひたるとしよう・・・。

ということにしておこう・・・。
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2018-03-24 13:37 : 雑記 : 編集

弱者は競争社会を否定したがる・・・

「競争社会の歩き方」(大竹文雄 著)という本を読んだ。

競争社会にスポットをあてた本とういうより、経済的な雑学を紹介するような内容。



次のような記述を読むと、著者は競争社会に肯定的なようだ。
競争は勝者と敗者を生み、厳しく辛い面もあるが、競争が繰り返された結果、自分が真に活躍できる場を見つけられる確率が高まるのであればそれは喜びとなるはずだ。誰にも得手不得手がある。不得意な分野で消耗戦を続けるのは、本人にとっても社会全体にとっても不利益でしかない。

一方の自分は、競争社会に否定的。一刻も早く競争社会から抜け出したい(さっさとアーリーリタイアしたい)・・・。

その違い(競争社会に肯定的か否定的か)はどこからくるのだろうかと改めて考えてみると、強者(勝者)か弱者(敗者)かの違いなのだろう。

すなわち、競争社会で勝者となるような人は、競争社会は都合が良いため肯定的になる。

一方、競争社会で敗者となる自分のような人は、競争社会は都合が悪いため否定的になる。



ただし、競争社会が行き過ぎると一握りの勝者以外は全て敗者となってしまい、そのような社会は多数決で否定されそうだ。

逆に、頑張りがまったく恩恵をもたらさない競争要素ゼロの社会も多数決で否定されるに違いない。

すなわち、競争社会か否かの問題ではなく、程度の問題だ。

つまり、強者になるほど競争要素のより強い社会を望み、弱者になるほど競争要素のより弱い社会を望む。そして、中程度の人は中程度の社会を望む。



とういうことで、多数決で決まるのであれば中程度の競争社会になりそうだ。

ただ、社会の仕組み形成への影響力が大きいのはこの本の著者のような強者であることを考えると、実際は中程度よりも競争要素の強い社会になってしまいそう・・・。



ということで、弱者な自分は過度な競争社会で消耗戦を続けるよりもさっさとアーリーリタイアだな・・・。



ある意味、「自分が真に活躍できる場」を探した結果行き着いた先がアーリーリタイアなのかもしれない・・・。
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2018-03-24 06:33 : 雑記 : 編集

意地悪な読者はどういう意味にとろうとするか・・・

「理科系の作文技術」(木下是雄 著)という本の感想、4回目。

誤解されない書き方に関する記述になるほどと思った。
まぎれのない分―― 一義的にしか読めない文、意地わるく読もうとしてもほかの意味にはとれない文――を書くにはどうすればいいか.

私自身は、
 1つの文を書くたびに、読者がそれをどういう意
 味にとるだろうかと、あらゆる可能性を検討する
ことを自分に課している.

前回書いた「あいまいな表現」に通じるところもありそうだが、「断定しない」というのと「いく通りにも解釈できる」というのは違うだろう。

すなわち、前者は「はっきり言えよ!!」という文句がくるのに対して、後者は「どっちの意味だ!!」という文句がきたり意図せぬ意味に解釈されてしまったりする。



問題となるのは、意図せぬ意味に解釈されて思いもよらぬ不利益を被ってしまうこと。

意地悪な人はただでさえ重箱の隅をつつくような解釈をして人を陥れようとしてくるかもしれないというのに、自分からそんな隙を与えてしまうなんて・・・。



ということで、あいまいな表現を使うのは良しとしても、意地悪に解釈されてつけ入る隙を与えてしまうような表現には注意していきたい。特に仕事の場面では・・・。
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2018-03-24 05:03 : 雑記 : 編集

断定的な表現は日本語ではない? はっきり言い切るなんて思いもつかない・・・

「理科系の作文技術」(木下是雄 著)という本の感想、3回目。

日本文学研究者ドナルド・キーン(米国コロンビア大学教授)からの引用が笑うに笑えない・・・。
「鮮明ではない言葉はフランス語ではない」という言葉があるが、日本語の場合、「はっきりした表現は日本語ではない」といえるのではないか、…… 数年前に日本人に手紙を出したが、その中に「五日間病気でした」と書いたので、友人は「日本語として正確すぎる」と言って「五日ほど」と直してくれた.小説の人物の年齢も多くの場合、「二十六、七歳」となっていて、二十六歳とも二十七歳ともはっきり定められないようである.……

自分もあいまいな表現を必要以上に使ってしまうという意味では正しい日本語使い?だが、明確さを良しとする欧米人からするとわざとあいまいにするなんて思いもつかないことのようだ。

断定せずにあいまいにしようとするのは村社会を生き抜くための知恵(村八分を回避するための知恵)に違いない。

グローバル化時代といわれようとも、日本人はまだまだ村社会に生きているのだ。地域という村、学校という村、職場という村、SNSという村。

日本人が3人集まれば村が生まれ、村が生まれると村八分の恐怖におびえる。そして、村八分の恐怖におびえると言動があいまいになっていく・・・。



といことで、日本社会を生き抜くためにこれからもあいまいな表現をどしどし使っていきたいと思うが、自分がさえない理由の1つはあいまいすぎることにあるようにも思うので、たまには村八分になるのも覚悟の上で容赦なく断定していきたい、と思わなくもない・・・。
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2018-03-23 22:29 : 雑記 : 編集

「自分の稼ぎ」に賭けるより「株式」を信じよう・・・

『「経済成長」に賭けるより「マーケット」を信じよう』という山崎元氏のコラムが楽天証券のHPに掲載されていた(記事へのリンク)。

率直な感想としては、なぜリスクプレミアムを5%と想定できるのだろうか?という1点が気になってしかたなかった・・・。



ただ、これを機に改めて考えてみた。自分はなぜ株式に投資しているのだろうか?

アレコレ考えてみた結果、以下のような(我ながら)納得できる結論が得られた。



おそらく、多くの他の個人投資家と比較しても、自分は株式の将来に悲観的な方だと思う。

ただし同時に、多くの他の個人投資家と比較して、自分自身の将来の稼ぎにも悲観的なのだ。

すなわち、株式の将来を信じているわけではないけど、自分自身の将来の稼ぎはそれ以上に信じられない。

つまり、相対的に考えると、自分の稼ぎ以上に株式を信用できそうだ。



ということで、自分の稼ぎを信じられない自分は、自分の稼ぎに賭けるより株式を信じよう・・・。
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2018-03-21 14:42 : 雑記 : 編集

「事実」とは皆が認める「意見」??

「理科系の作文技術」(木下是雄 著)という本の感想、2回目。

「意見と事実の区別」に関して、「事実」を次のように定義していた。
(a)自然に起こる事象(某日某地における落雷)や自然法則(慣性の法則);過去に起こった、人間の関与した事件(某年某地における某氏の出生)などの記述で、
(b)然るべきテストや調査によって真偽(それが事実であるか否か)を客観的に確認できるもの

「事実」という言葉を普段何気なく使っているが、改めて事実とは何かと考えてみると、よくわからなくなってくる・・・。

上記定義の中に「客観的に確認できるもの」とある。

すなわち、個人的に確認できただけでは事実とは言えず、客観的に確認できて初めて事実となる。

逆に言うと、個人ではなく皆が確認できたと言えばそれは客観的となって事実となるのだろう。

つまり、極端に言うと、皆が認める意見は客観的に確認できた事実となる。

実際、いま「事実」とされているものも、皆が認めているから事実なのである。

そして、事実は「皆」の指すものが誰かによって異なる。すなわち、集団(社会)によって事実は異なる(例えば、日本人が認識している事実と中国人が認識している事実は異なる)。



ということで、「事実」を突きつけられたときには、それを事実と認めているのはどんな集団(社会)なのか、さらには、なぜ彼らはそれを「事実」と認めているのか、考える必要がありそうだ。







ちなみに、昨今のニュースをみていると、上層部が認める「事実」を真に受けるとえらいことになりそうだ・・・。
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2018-03-21 10:01 : 雑記 : 編集

読者にモヤモヤ感を抱かせるか? 順路を案内するか?

「理科系の作文技術」(木下是雄 著)という本を読んだ。

理科系の技術者や研究者を対象に作文の技を紹介する内容。

ポイントは、1.内容を精選し、2.意見と事実を区別し、3.順序良く、4.明快・簡潔に、ということ。

「順序良く」に関連して、日本での研究歴もあるイギリス人物理学者レゲットのエッセイからの引用が印象的だった。
日本語では、いくつかのことを書きならべるとき、その内容や相互関係がパラグラフ全体を読んだあとではじめてわかる――極端な場合には文章ぜんぶを読んだあとではじめてわかる――ような書き方をすることが許されているらしい.

英語ではこれは許されない.一つ一つの文は、読者がそこまでに読んだことだけによって理解できるように書かなければならないのである。また、英語では、一つの文に書いてあることとその次の文に書いてあることの関係が、読めば即座にわかるように書く必要がある.たとえば、論述の主流から外れてわき道にはいるときには、わき道にはいるところでそのことを明示しなければならない(わき道の話を読み終わってからその話と主流との関係がわかるのではいけない).

英語のことはよくわからないが、確かに日本語の文章を読んでいると、モヤモヤしながら読み続けて最後になって霧が晴れるような感覚を覚えることがあるような。

明快・簡潔を良しとする場面では注意する必要がありそうだ。

すなわち、霧の中を進ませるような文章ではなく、道案内の標識を見せて順路を案内するような文章を書くべきということだろう。





ちなみに、このブログはモヤモヤしながら読み続けても、いつまでたっても霧の中に違いない。

そもそも案内できそうな道が無い。人生霧の中・・・。
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2018-03-21 08:19 : 雑記 : 編集

マイ通念? しっくりくる考え方を探し求めて・・・

「ヤバい経済学」(スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー 著、望月 衛 訳)という本の感想、5回目。

「通念」に関する記述が気になった。
「通念(conventional wisdom)」という言葉を作ったのはウルトラ筆達者な経済学の賢人ジョン・ケネス・ガルブレイスだ。彼は通念という言葉をいい意味では使わなかった。「私たちは真理を自分に都合のよいことと結びつける」と彼は書いている。

「自分の利益や幸せと一番相性のよいことを真理だと考えたり、あるいはしんどい仕事や生活の大変な変化を避けるために一番いいやり方を正しいことだと思ったりする。また、私たちは自尊心を強くくすぐってくれることが大好きだ」。ガルブレイスは続けて、経済・社会的行動は「複雑であり、その性質を理解するのは精神的に骨が折れる。だから私たちは、いかだにしがみつくようにして、私たちのものの見方に一致する考えを支持するのだ。」

無意識のうちにしがみついている”いかだ”(通念)はたくさんありそうだ。

まあでも、社会生活を送るためにはある程度の(というより多くの)通念の共有は必要なのだろう。

また、共有しないにしても(自分独自のものとしても)、生き抜くのに適したものの見方や考え方(言わばマイ通念)を身に付ける必要がありそうだ。

そのように考えると、自分が読書をするのはしがみつくのに適したいかだ(通念)を探すためなのかもしれない。

さらに、自分がせっせとブログを書いているのは、自分専用にカスタマイズしたしがみつきやすいいかだ(マイ通念)を作りたいがために違いない。




ということで、自分がしがみついているいかだ(通念)の把握と、よりしがみつきやすいいかだ(通念)の探索や製作に励み続けていきたい。





というようなマイ通念を作ってみた・・・。
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2018-03-18 08:03 : 雑記 : 編集

相関関係という現実? 因果関係という妄想??

「ヤバい経済学」(スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー 著、望月 衛 訳)という本の感想、4回目。

相関関係と因果関係に関する記述が興味深かった。
回帰分析は、相関関係は示してくれるが、因果関係は示してくれない。煎じ詰めると、2つの変数が相関するにはいろいろな形があるのだ。XがYを起こしているかもしれない。YがXを起こしているかもしれない。別の要因があって、それがXとYの両方を起こしているのかもしれない。回帰分析だけでは、寒いから雪が降るのか、雪が降るから寒いのか、それとも2つ一緒に起きることが多いだけかはわからない。

改めて考えてみると、相関関係はともかくとしても、因果関係を明らかにするのは難しそうだ。

極端に言うと、宇宙のはじまりが「ビッグバン」とするならば、すべての原因はビッグバンに行き着くわけであり、この宇宙で起こる一切合切はビッグバンの結果と言えるのだろう。

さらには、そもそもビッグバンも何かの原因が引き金になって起こったのだろうと考えると、ビッグバンを引き起こした真の原因があるはずだ。そしてさらに、その真の原因を引き起こした真の真の原因があるわけで・・・、ときりがない。



次に、具体例を挙げて考えてみる。

例えば、いま自分がアルコールを飲んでいるとして、さらに酔っ払っているとする。

「アルコール」と「酔っぱらう」の間に相関関係がありそうなことは納得できる。

ただ、自分が酔っぱらっている原因は何だろうか?、と考えていくと訳がわからなくなってくる。


1.アルコールを飲んだ(アルコールを含む液体に満たされたコップを口元に運んで液体を口の中に流し込んだ)ことが原因?

2.体内に入ったアルコールが何らかの化学反応を引き起こしたことが原因?

3.一杯目で終われば酔っぱらうまでいかなかったのに、一杯目のアルコールで気が大きくなって二杯目三杯目まで飲んでしまったことが原因?

4.アルコールを体内に取り込むと酔っぱらうように進化してきたことが原因?

5.アルコールを飲む文化があることが原因?

6.サラリーマン生活が辛いことが原因?

7.自分やアルコールが存在していること自体が原因?元をたどればビッグバンが原因??

などなど考えていくときりがない・・・。



思うに、原因と結果を明確にすることは不可能に違いない。

したがって、人が「原因」と「結果」の話をしていたら、その人が勝手に作った物語(妄想)だろうと疑うべし。

という結論にしておこう。







以上、酔っ払いサラリーマンの妄想・・・。



なお、「酔っぱらう」と「妄想」の間に相関関係はありそうだけど、因果関係があるのかは不明だ。

ただ、酔っぱらったことが原因でこんな妄想記事を書いてしまった、という物語(妄想)にしておこう・・・。
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2018-03-18 07:35 : 雑記 : 編集

結局、ストレスがお金を稼いでくれるということか・・・

「ヤバい経済学」(スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー 著、望月 衛 訳)という本の感想、3回目。

給料に関する次の記述になるほどと思った。
たくさんの人がやりたいと思い、たくさんの人がやれる仕事は、普通、給料が悪い。これは給料を決める四つの重要な要因の一つだ。他の三つは、その仕事に必要な特殊技能、その仕事のつらさ、そしてその仕事が提供するサービスに対する需要である。

すなわち、稼ぐためには次のような仕事をする必要があるということか。
1.人気がない
2.難しい
3.辛い
4.需要がある

改めて考えてみると、小学校から続く永い永い学校生活というのは、「2.難しい」ことが人よりもできるようになるために(その代わり「1.人気がない」仕事や「3.辛い」仕事をしないでもすむように)、特殊技能を身に付けるための期間ということなのだろう。

ただし、難しい仕事ができるようになったとしても、それはそれで(もしかしたらより一層?)大変だろうから、仕事が楽になるわけではないに違いない。

結局のところ、「4.需要がある」は大前提として、「1.人気がない」仕事か「2.難しい」(これも大変)仕事か「3.辛い」仕事か、あるいはそれらの組み合わせか、いずれにしても大変な思いをしてお金を稼ぐしかなさそうだ。

すなわち、お金を稼ぐにはストレスが付いて回るわけであり、逆に言うと、ストレスがお金を稼いでくれるのだ。

何というか、夢が無い・・・。





そんな夢の無いサラリーマン生活において、せめて投資にはささやかな夢を見させて欲しいな。

そして、夢の無さに打ちのめされる前にさっさとアーリーリタイアだ・・・。









とりあえず、アルコールでひと時の夢をチャージしておこう・・・。
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2018-03-18 06:27 : 雑記 : 編集

9割方の専門家は恐怖をあおって金儲けしようとする・・・

「ヤバい経済学」(スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー 著、望月 衛 訳)という本の感想、2回目。

専門家の情報優位性に関する記述が気になった。
専門家ってやつはどいつもこいつも自分の持っている情報を利用して人をひどい目に合わせようとしてるんだって思ったなら、あなたは正しい。

情報で武装した専門家は、そうは言わないかもしれないが、とてつもない武器を持っている。恐怖だ。血管形成手術を受けなかったばっかりに心臓発作を起こしてお風呂の床で倒れて死んでいるあなたを子供がみつける恐怖。安物の棺桶にしたばっかりに、あなたのおばあさんが地面の下でひどいことになる恐怖。2万5000ドルの車は事故でオモチャみたいにぺしゃんこ、5万ドルの車だったらあなたの愛する人を鉄壁でできた繭みたいに守ってくれてたのにという恐怖。商売の専門家が作り出す恐怖なんてKKKの恐怖に比べればどうということもないけれど、仕組みは同じだ。

専門家は、情報の優位性につけこんで恐怖をあおって金儲けしようとする、ということのようだ。

有利な立場を悪用してけしからん奴らだと思ってしまいそうになるが、まあでも、よくよく考えると専門家になるのは仕事をするためであり、それはすわなち金儲けのためなのだから、専門家のメリットを活かして稼ごうとするのは当然か。そのために専門家になったのであり、ボランティアではないのだから・・・。

もっと言うと、恐怖をあおるのは(今流行りの)労働生産性を高めるための手段であり、欲望をあおろうとする企業のテレビCMなどと同じようなものと言えそうだ。

できる企業はうまく欲望を抱かせて金儲けするように、できる専門家はうまく恐怖を抱かせて金儲けする。

一方、消費者はそのような欲望や恐怖を抱かされて消費させられる・・・。



そういうと消費者は被害者のようになってしまうが、しかし、(自分も含めて)多くの人は欲望や恐怖を抱かせながら働く側であり、かつ同時に欲望や恐怖を抱かされて消費する側でもある。

すなわち、専門家や企業と消費者は同一人物であり、人々はお互いに欲望や恐怖の押し付け合いをしているだけなのかもしれない。

このように、資本主義の社会は欲望や恐怖をお互いに抱かし合うことで消費を促進して発展していくのだろう。永遠に続く狐と狸の化かし合いのような。

何というか、きれいに見える大本営発表の裏側は泥仕合状態・・・。



そのような泥仕合から抜け出すという意味でも、さっさとアーリーリタイアしたいな。





そうすれば、このような被害妄想?も抱かなくなるかも・・・。
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2018-03-17 15:08 : 雑記 : 編集

ヤバい経済人間物理学? ヤバすぎる資本主義経済人間物理学??

「ヤバい経済学」(スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー 著、望月衛 訳)という本を読んだ。

学問的(抽象的)な経済学の話ではなく、現実世界の具体的なデータをもとに社会通念の真偽を確かめようとするような内容。



次の記述になるほどと思った。
経済学は突き詰めるとインセンティブの学問だ。つまり、人は自分の欲しいものをどうやって手に入れるか、とくに他の人も同じものが欲しいと思っているときにどうするか、それを考えるのが経済学だ。

すなわち、人の行動の因果関係について、特に損得の観点(経済的な観点)にスポットをあてて考えるのが経済学ということだろう。

より一般的に、善悪の観点(道徳的な観点)や好嫌の観点(本能的な観点)などもまんべんなく取り入れて人の行動の因果関係を考えるのが社会学なのかな。



また、視点を変えると、物体の振る舞いの因果関係を解明するのが物理学で、人の振る舞いの因果関係を解明するのが経済学や社会学なのだろう。

そのように考えると、自分のような理系の人にとっては、社会学は「人間物理学」、経済学は「経済人間物理学」とでも呼んだ方がしっくりくるのかもしれない・・・。



ちなみに、サラリーマンは、資本主義社会における人の行動の因果関係を経済的な観点にスポットをあてて考えるのが仕事だ。

すなわち、資本主義社会における人の経済的な振る舞いの因果関係を解明して儲けるのが仕事。



ということで、サラリーマンとして働くことを「資本主義経済人間物理学」を極めることと言い換えると、仕事嫌いな理系サラリーマンの自分も仕事に興味を持てるようになるかもしれない・・・??
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2018-03-17 09:12 : 雑記 : 編集

あ、手段の目的化!!!! 使うよりも貯め込む方が条件反射的に好きな人・・・

「伝え方が9割 2」(佐々木圭一 著)という本を読んだ。

前作「伝え方が9割」で紹介された数々の技を使いこなせるようにするための本。実践例や補足が書かれている。

半年前に読んだ前作をすっかり忘れていたのでよい復習になった・・・。



”すっかり忘れていた”ということで、本を読むだけでは駄目だなと改めて思った。

読む → 考える → 使う

という一連の流れを習慣化する必要がありそうだ。



よくよく考えると、お金にしてもそうだけど、自分は使うよりも貯め込む方が好きな人のようだ。

使うために貯め込んでいるはずなのに、いつの間にか貯め込むこと自体が目的になっている。手段の目的化というやつか・・・。

上手に使うことが貯め込むこと以上に重要なのだ。



ということで、「使うよりも貯め込む方が好きな人」から「上手に使うことが貯め込む以上に好きな人」にシフトしていきたい・・・。









最後に、またすっかり忘れてもすぐに思い出せるように紹介されている技をメモ書きしておこう。

■「イエス」に変える7つの切り口
1.相手の好きなこと
2.嫌いなこと回避
3.選択の自由
4.認められたい欲
5.あなた限定
6.チームワーク化
7.感謝

■「強いコトバ」を作る8つの技術
1.サプライズ法
2.ギャップ法
3.赤裸裸法
4.リピート法
5.クライマックス法
6.ナンバー法
7.合体法
8.頂上法

ブログ上では特に『「強いコトバ」を作る8つの技術』を毎回使っていきたい。

早速タイトルにサプライズ法(「あ、」「!!!!」)とギャップ法(「使う」/「貯め込む」)と赤裸々法(「条件反射的に」)を使ってみた(つもり)。

なんだかわざとらしいが、しばらくはわざとらしいタイトルをつけ続けていきたい・・・。
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2018-03-17 07:05 : 雑記 : 編集

株と債券の相関性がプラスに戻る?

「分散投資、受難の時代」という記事が昨日の日本経済新聞に掲載されていた。

株と債券の相関性に関する記事。
90年代後半まで株と金利(債券利回り)は反対に動いていた。つまり、株と債券を価格で見ると同じ方向に動いていた。90年代後半からは、株と金利が同じ方向に動き、価格は反対に動くようになった。

金利が成長率より高く、資金が不足しがちだった時期は、金利の影響力が大きかった。金利が上がると景気が後退し株価が下がった。90年代後半からは金利は成長率を下回り、資金はだぶついた。景気や株価は金利に鈍感になり、潤沢なマネーが債券と株を行き来する動きが影響力を増した。相関に影響を与える主役が「金利からマネーにシフトした」わけだ。

なるほど、株と債券の相関性は資金の過不足(金利と成長率の大小関係)に影響されるとのこと。

すなわち、資金が不足しているとき(金利が成長率より高いとき)は「金利上昇→景気悪化→株価下落→株価と債券価格は正の相関」となり、逆に資金が余っているとき(金利が成長率より低いとき)は「資金が株と債券を行き来(金利の影響は小さい)→株価と債券価格は負の相関」となるようだ。



なお、トランプ大統領の影響で株と債券の相関性はプラスに戻ると予想しているようだ。
関税に減税と、トランプ大統領は金利の上昇圧力になる政策を打ち出している。株と債券の相関を決める要因が金利に戻りそうな気配だ。

金利が上昇して成長率を上回るようになり、その結果、資金不足となることで株と債券が正の相関に戻るということだろう。



金利が上昇すると債券価格は下がることになりそうだし、さらにその上、株価との相関性もプラスになるとの予想もあるようなので、(現在も債券へは投資していないけど)債券への投資がますます縁遠くなりそうだ・・・。
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2018-03-11 08:35 : 雑記 : 編集

経済学には空想経済学と現実経済学がある? 投資も同様?

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、11回目。

次の記述が気になった。
理論経済学者は現実世界のことを忘れ、デカルトよろしく夢を見なければならない。さもないと、モデルを使って理論を展開することができない。その見返りとして到達する結論は、モデルと同じく抽象的で、現実世界には応用できない代物になりがちである。その一方で、経済学者が経済学を実用的に語らなければならないとき、たとえば経済政策を論じなければならないときには、精緻なモデルのことは忘れ、無用に高度化した理論ツールは投げ捨てて、現実の経験に基づいて話す必要がある。

すなわち、現実世界の経済的モデリングは困難なため、不備のあるモデルを元に理論を構築することになり、その結果、現実世界には当てはまらない理論になってしまう、ということだろう。

そして、現実の経済について実用的に考えるときは、理論ではなく経験が頼りになるということ。



極端に言うと、経済学には、不備のあるモデルを元に理論を構築する空想経済学と、現実世界での経験をベースとした現実経済学の2つの経済学があるということだろうか。





なお、経済の影響をもろに受ける投資についても同様のことが言えそうだ。

すなわち、実際に投資する上で頼りになるのは理論よりも経験(個人の経験値や他人の経験談)なのだろう・・・。
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2018-03-11 07:06 : 雑記 : 編集

衝動的すぎる人は怖いし計画的すぎる人も怖い・・・

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、10回目。

次の記述になるほどとなった。
人間が本質的に恐れるものは二種類あるように思われる。一つは過剰な動物性(あまりに自然のままで生気がありすぎる)、もう一つは過剰な機械性(あまりに冷静で死人のようである)だ。

人間の位置付けは、二つの間のどこかにある。すべてを説明できる合理的なホモ・エコノミクスになり切ることもできないし、アニマルスピリットに全面的に身をまかせることもできない。


関連する反対語を整理してみる。
冷静 ⇔ 興奮
合理的 ⇔ 非合理的
衝動的 ⇔ 計画的

冷静・合理的・計画的は結びつきが強そうで、また、興奮・非合理的・衝動的は結びつきが強そう(すなわち、冷静な人は合理的で計画的、興奮気味な人は非合理的で衝動的)。

人間は「冷静・合理的・計画的」と「興奮・非合理的・衝動的」の2つの間のどこかに位置し、どちらか一方に偏りすぎる人には恐ろしさを感じる、ということなのだろう。

また、どちらか一方に偏りすぎると生きていくことも難しそうなので、生き抜くためにもバランスが重要だ。



ということで、自分の「冷静・合理的・計画的」度と「興奮・非合理的・衝動的」度をモニタリングして、どちらかに偏りすぎないように注意していきたい。もっと言うと、場面に応じて調整できるようになりたい。



また、人に恐怖を感じさせたい場合は、どちらか一方に偏った行動をとれば良いのかもしれない。

逆に、人を変に警戒させないためには、中間的な行動をとるのが良さそうだ。





ちなみに、自分は「冷静・合理的・計画的」に偏りがちで興奮や衝動が足りないように思うけど、仕事上では計画性の足りなさに打ちのめされる・・・。

ということで、興奮や衝動や計画性をもっと身に付けていきたい。

あれ、衝動の不足と計画性の不足は矛盾しているような・・・。

人生は難しい・・・。
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2018-03-11 05:31 : 雑記 : 編集

過去の経済の説明も満足にできないのに未来の株価を予想する・・・

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、9回目。

次の記述に妙に納得してしまった。
経済学者は未来を説明したがっているが、じつは過去さえ説明できないことがままある。カール・ポパーは、その名も『歴史主義の貧困』という本を書き、過去の出来事を説明することは現実には不可能か、逆に何通りもの説明を与えることが可能だという結論に達した。たとえば、経済学者は一九二九年の大暴落の原因についていまだに意見が一致していないし、大恐慌が終わった理由についても一致してない。この例一つで十分だろう。

物理学者は過去の事例をもとに法則を導き出して飛行機を飛ばすことができる(ある意味未来を予測している)が、経済の問題は複雑なので過去の事例から法則を導き出すことすら困難なのだろう。

複雑であれば統計で把握できるのかもしれないが、サイコロになれない(ランダムな数列を作ることができない→ランダムに動くことができない)人間の動きは統計でも把握できないにのかもしれない(統計に詳しくないのであてずっぽうだが・・・)。



まあでも、いずれにせよ、過去の事例から推測すると、経済の飛行機は飛び続けることなくそのうち理由もわからずに墜落する運命にあるのだろう。

そんな経済に翻弄される株価も、いつ浮上するのかいつ墜落するのかわかったものではなさそうだ。



ということで、インデックスファンドへ投資するということは、いつ墜落するかわからない飛行機に乗っているようなものだと心に留めておきたい。

まあでも、投資せずに給料と貯金に依存することもいつ墜落するかわからない飛行機に乗っているという意味では同じだろうけど。

そういう意味では、分散投資とは、どうせいつ墜落するかわからないのであれば、多くの飛行機にちょっとずつ乗っておこうということなのだろう。



そのように考えていくと、分散投資しているアクティブファンドってなんだか矛盾しているような。

まあでも、矛盾を恐れていては生き抜くことはできない。

生きるとは、矛盾といかに折り合いをつけるかということなのだ・・・。





サラリーマンとしての仕事も満足にできないのに経済や人生について語ろうとするなんて・・・。
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2018-03-10 09:12 : 雑記 : 編集

「目には目を」が有利か? 「左の頬をも差し出す」のほうが有利か?

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、8回目。

ゲーム理論に関する記述が興味深かった。長々と抜粋。
長い間ゲーム理論の分野では、ゲームを繰り返し行う場合に活用されるのは、しっぺ返し戦略すなわちやられたことをやり返す戦略であると考えられてきた。

より効果的な戦略が発見されたのは、ごく最近になってからのことだ。不完全な情報やノイズが飛び交う世界では、信号が途絶えてしまい、多くは無用の報復が始まりかねない。そのうえ、この戦略は応酬するうちに最悪の事態へと向かう悪循環になりがちだ。ネイルバフは、最終的には「より親切にすること」の方が効果的だと主張する。

繰り返し行われるゲームでプレーヤーがどちらも「目には目を」戦略をとった場合、つまり善には善で、悪には悪で報いた場合、悪がはるかに優勢になる。たった一回の悪、それもおそらくは偶然の結果が、延々と悪の応酬につながる。悪の小さな波は、放っておけば徐々に消えて行くのか、それとも破滅的な大波になるのかは、わかっていない。しかし悪に報復していたら、悪は消えずに膨張する。ネイルバフが指摘するように、悪の最小化には慈悲や寛容のほうが、しっぺ返し戦略よりもはるかに効果的である。

ゲーム理論と言えば「目には目を」のしっぺ返し戦略だと馬鹿の一つ覚えをしていたが、言わば「左の頬をも差し出す」寛容戦略の方が有利という考え方もあるようだ。

確かに、ささいなことにも「目には目を」で報復していたら、人生は終わりのない報復合戦になってしまいそうだ・・・。

しかし、逆に、重大なことにも「左の頬をも差し出す」寛容な姿勢でいると、そのうち命まで差し出すことになりそう・・・。



ということで、しっぺ返し戦略か寛容戦略かの二者択一ではなく、臨機応変に使いわけることが重要なのだろう。

何事もほどほどに、バランス良くが重要だ。

自分はそれが苦手なのだけど・・・。







ちなみに、自分が利用しているインデックスファンドを比較すると、業界最低水準の運用コストを目指し続ける(すなわち他社がコストを下げると自分も下げる)「eMAXIS Slim 先進国株式インデックス」はある意味しっぺ返し戦略だ。

一方、「たわらノーロード 先進国株式」は寛容戦略のようだ・・・。
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2018-03-10 07:26 : 雑記 : 編集

真理進化論? 真理は永遠不変ではなく現実に矛盾しないように変化していく

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、7回目。

次の記述になるほどと思った。
あるものが真理と見なされるのは、解決できない問題や矛盾に突き当たるまでだけで、矛盾にぶつかると、新たな真理が創造あるいは発明される。

真理というと、永遠に通用するようなイメージを抱いてしまう。しかし、ある真理が通用し続けているのは、その真理が通用しない場合もあることにまだ気づいていないだけなのだろう。

そして、通用しない場面に出くわすと、そのような場面にも矛盾しないように真理は変化していく。

物理法則の変遷などを考えると大変納得できる話。

ある意味進化論のようなイメージだ。真理の自然淘汰。




表現を変えると、ある真理が通用したのは過去の話であり、未来も通用し続けるかどうかはわからない。

次の瞬間に矛盾が明らかになるかもしれないのだ。





このようなことは投資の世界にも言えそうだ。

ある投資手法がお勧めなのは、過去を振り返るとおすすめだったからであり、今後もおすすめであり続けるかどうかはわからない。将来その投資手法が通用しなくなることにまだ気づいていないだけなのかもしれないのだ。

現在自分が実施している、インデックスファンドを用いた株式への長期・分散・積立投資も同様だ(つみたてNISA的にはおすすめの投資手法?)。過去には通用してきたのかもしれないが、今日から通用しなくなるかもしれない。

そして新たなおすすめ投資手法が生まれる。投資手法進化論・・・。







逆に言うと、自分が通用しなかった(さえなかった)のは過去の話であり、未来も通用しないかどうかはわからない。

(自分ではなく状況が変わって)今日から通用するかもしれないのだ。

ちゃーも無進化論・・・。
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2018-03-10 06:01 : 雑記 : 編集

読書は絶望の底に突き落としてくれる・・・

「大学生の読書 さらに短く」という記事が日本経済新聞に掲載されていた。

若者の「本離れ」は止まらず、読書時間ゼロの学生が53.1%と初めて5割を超えた。読書をする学生に限ると平均読書時間は51.1分と12年より1割長く、読む人と読まない人で二極化が進む実態も浮かんだ。

自分の読書時間はというと、通勤電車で読んでいるため毎日50分くらいであり、読書をする大学生の平均とちょうど同じくらいだ。

ただ、他のサラリーマンと比較すると長い方に違いない。



そもそも読書好きということもあるが、自分のさえなさを少しでもカバーできればという思いもあり本を読んできたのだけど、はたして読書は役に立っているのだろうか? と改めて考えてみた。

あれこれ考えてみた結果、さえなさはあまりカバーできてなさそうだが、この世に希望は無さそうだということを教えてくれたという意味で読書は役立っているに違いない、と思った。

すなわち、(読書を通して)真実を知れば知るほど絶望するしかないように思えてくる・・・。「不都合な真実」ではないが、都合の良い真実なんて無さそうだ・・・。



一方、普段の生活の中では、教育やメディアなどがあの手この手で希望を持たせようと画策してくる。

変に希望を持たされて後から梯子を外されるよりも、さっさと絶望しかないことを教えてくれた方がある意味親切というものだ。年とってから絶望させられるよりもある程度若いうちの方が・・・。



ということで、読書をして絶望しよう!

絶望すれば何でもできる!!

絶望すれば希望も持てる!!!

絶望して(開き直って)からが人生だ!!!!







調子にのって言い過ぎたけど、これだけは真実、絶望すればアルコールがすすむ・・・。
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2018-03-04 12:04 : 雑記 : 編集

好嫌は個人の趣味 善悪は集団の趣味 損得は人類共通の趣味

「蓼食う虫も好き好き」というように、好き嫌いの基準は人ごとに異なる。

また、宗教ごとに善行や禁止事項が異なるように、善悪の基準は集団ごとに異なる。

一方、国境を越えて世界中で商売が行われているように、損得(お金)の基準は人類共通だ。

というより、為替レートを共有するなどして共通の基準にするべく努めているのだ。



色々な集団が関わるグローバルな場面では、(集団ごとのローカルルールである)善悪の基準を持ち出すと収拾がつかなくなるだろうから、(世界共通ルールとしての)損得の基準で話をつけるに違いない。

一方、日本の日常生活においては、損得の基準よりも善悪の基準を重視する傾向にありそうだ。

そこで困るのは、日本社会における善悪の基準は明確ではなくあいまいなため、善悪の基準で行動しようとすると集団の他のメンバーの顔色をうかがって善か悪かを確かめながらの行動になってしまうこと。空気の読めない自分にとってはハードルが高く、すぐにフリーズしてしまう・・・。



ということで、空気の読めないさえない自分が善悪の基準を用いるのはハンデを抱えることになってしまうため、善悪の基準を用いるのはなるべく控えていきたい。

その代わりに、好嫌の基準と、特に(シンプルでかつ世界に通じる)損得の基準を重視していきたい・・・。







ちなみに、善悪は基準というより手段として用いていきたい。

例えば、金儲けのために善人のふりをする、というような・・・。
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2018-03-04 08:13 : 雑記 : 編集

「色眼鏡」を通して世界を認識し 「見えざる手」によって導かれている

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、6回目。

経済学の教育に関する記述が気になった。
考えてみれば、今日の経済の教え方はひどく奇妙と言わねばならない。選択の自由を信奉しているにもかかわらず、学生に経済理論を選ぶ自由を与えない。教えるのは主流派経済学だけである。学生たちは数年かけて洗脳された後に初めて、他の理論、つまり異端の存在を知り、経済学の歴史を知るという段取りになっている。その経済学の歴史にしても、無知で原始的な「試行錯誤」の歴史であって、その末にようやく主流派経済学の真理にたどりついた、というような具合に教えられる。

教育が個人の世界観に与える影響は大きそうだ。

改めて考えてみると、自分の行動は次の2つに支配されているだろう。
1.生まれ持った性質(進化の結晶であり、生き抜けるように導いてくれる「見えざる手」)
2.生後植えつけられた世界観(しつけや教育を通して知らないうちにかけられた「色眼鏡」)

すなわち、「色眼鏡」を通して世界を認識し、「見えざる手」によって導かれている。

ただ、普段はありのままの世界を見ていると思い込んでおり、さらには自分の意志で選択した行動をとっていると思い込んでいる。いわゆる「ポジティブ幻想」なのだろう。



ということで、(行動の大部分を決めているであろう)自分がかけている「色眼鏡」や自分を導いている「見えざる手」について今まで無頓着だったため、これからはもっと注意を払っていきたい・・・。
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2018-03-04 07:35 : 雑記 : 編集

いまさらだけど長期投資をする意味なんてあるのだろうか・・・

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、5回目。

「成長(進歩)」に関する記述が気になった。
現代人は進歩という概念に毒されているが、古くはこの概念は存在しなかった。時の流れは循環的であるとされ、人間が歴史に足跡を残すとは考えられていなかった。やがてヘブライ人が直線的な時間の概念を導入し、続いてキリスト教徒が目指すべき理想を定めた(正しくはヘブライ人の理想を強化した)。その後、古典派経済学者が進歩を宗教から切り離した。

最近のグローバル金融危機は、現代社会がいかに成長に依存しているかをまざまざと見せつけた。人々はGDPのほんの10分の1パーセントの落ち込みを、まるで神に裏切られたかのように受けとめたものである。

だが、終わりなき成長という期待は、いったいどこから生まれたのだろうか。どう見てもこれは、新種の衣裳をまとった進歩の概念にほかならない。最初の衣裳は宗教(天国)だった。次の衣裳は現世(地上の天国)だった。そして今日では、進歩、いや成長を実現するためには、市場を、国家を、科学を大切にしなければならない、これは義務だとされている―まるで経済成長が人類を地上の天国に近づけてくれるとでもいうように。GDPが少々減っただけで、ゴールは遠のいてしまったと感じ、それは悪いことだと考える。成長は最高によいことであり、それは経済学の格律にとどまらず、社会として、政治としてめざすべきものとされている。

冷静に考えると、有限な地球上で人類がいつまでも成長を続けられるはずもなく、そのうち限界にぶち当たるのは間違いない。

これまでの人類の歴史から勝手に想像すると、穏やかに限界を迎えるはずもなく、一悶着も二悶着も起きるに違いない。

都合が悪いことに、世界中には核兵器などの殺戮手段が山ほどある。

また、地球温暖化などの環境問題も深刻そうだ。

自分が悲観的すぎるだけかもしれないが、加速度的に状況が悪化していくように思う。あと何年・何十年もつのだろうか・・・。



そんな中、せっせと資産形成(会社勤め&長期投資)に精を出したとしても、老後を迎える前に「はい、おしまい」ということにもなりかねない・・・。



経済学者たちは、そういう事態と認識していながら黙って(高みの見物をして)いるのだろうか?

それとも、いわゆる「ポジティブ幻想」によって過度に楽観的でいられるのだろうか?

あるいは、自分が「ネガティブ幻想」にとりつかれているだけなのか?



まあでもいずれにせよ、そのときどきの情報に流されやすい自分の考えなんてあてにならないだろうから(あてにならないと信じて)、とりあえずは資産形成(会社勤め&長期投資)に精を出し続けるとしよう・・・。






なんだか飲まずにやってられない(既に飲んでるけど・・・)。
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2018-03-03 11:06 : 雑記 : 編集

「見えざる手」は導き先を知らない・・・

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、4回目。

「市場の見えざる手」に関する記述が興味深かった。
市場がすべてを自ずとうまくやってくれるという発想の背景に、自然の調和に対する古代ストア派の信頼を見て取るのはむずかしいことではない。つまり市場にとっての自然は、均衡に収斂することだ、というわけである。だが、なぜ自然に均衡へ向かうのだろうか。この点を考えてみると、市場の見えざる手という概念は、市場による選択だとみなすことができよう。市場は最も適応したプレーヤーを選別し、適応できなかったプレーヤーをふるい落とす。つまり社会ダーウィン主義である。

つまり、「見えざる手」に導かれてうまく機能しているように見えるのは、自然淘汰の結果そのように機能するものが生き残ったからにすぎない、ということだろう。

このように考えると、自分が今まで生き残ってこれたのも、自然淘汰の結果有している性質という「見えざる手」に導かれてきたからに違いない。

すなわち、自然淘汰を経てきた自分の行動は、「見えざる手」に導かれているように見えるのだ。

さらには、自然淘汰を経てきた人間社会の動きは、「見えざる手」に導かれているように見える。



なお、自然淘汰に影響を与えるのは過去(今この瞬間より前)の出来事であるため、「見えざる手」は未来のことなんて知ったことではないだろう。

すなわち、「見えざる手」は導き先を知らない・・・。

つまり、「見えざる手」が導いてくれると安心していると、とんでもないところに連れて行かれるかもしれないということだ・・・。



そのように考えると、「見えざる手」に身をゆだねているように見える資本主義社会の将来は大丈夫なのだろうか・・・。
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2018-03-03 07:43 : 雑記 : 編集

「善」は報われるか? 「強欲」は報われるか?

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、3回目。

「善は報われるのか」という問題が取りあげられていた。

その中で、古今いろいろな学派について「善は報われる」と主張する度合いを比較していた。

その順番を以下に示す。
(上側ほど善は報われると主張する、すなわち、欲よりも善を重視する)
1.イマヌエル・カント
2.ストア派
3.キリスト教
4.ヘブライ思想
5.功利主義
6.エピクロス派
7.現代の主流派経済学
8.マンデヴィル

参考に「1.イマヌエル・カント」の説明箇所を抜粋
カントは、現世における見返りを求めることは何によらず批判すべきだと考え、それは行為の徳性を貶めると主張した。(中略)カントにとって、善行とは無私であるからこそ、つまり絶対的な倫理規範への純粋な忠誠心に従って行われるからこそ、善行だった。カントの倫理学は功利主義に真っ向から対立する。

反対の「8.マンデヴィル」の説明個所を抜粋
マンデヴィルは強欲必要論の支持者であり、強欲は社会の進歩に必要な条件だと考えていた。強欲なしには進歩はない、あるいはわずかな進歩しか期待できない、というのが彼の主張である。強欲なしで、どこまで行けると思っているのか、とマンデヴィルは問う。



善の要素ゼロ(すなわち100%悪)では社会生活を送れないだろうし、また、無欲では生きる意欲を失いそうなので、「善」と「欲」は両方とも多かれ少なかれ必要に違いない。

「善」を選ぶか「欲」を選ぶかという問題ではなく、人生の目的を達成するために「善」という手段や「欲」という手段をうまく使いこなすような姿勢が大切なのだろう。

つまり、臨機応変に、必要な場面では「善」になり、必要な場面では「強欲」になる。



ただ、その場合の「善」は「偽善」で、「強欲」は「偽強欲」と言えそうだ。

すなわち、報われそうだからという理由でなろうとする「善」は「偽善」であり、「強欲」は「偽強欲」に違いない。

「善」や「強欲」は報われるのかもしれないが、「偽善」や「偽強欲」は報われるのだろうか?

もしかして偽報われ?

まあでも、とりあえずは報われると信じて「偽善」や「偽強欲」を使いこなすべく励んでいきたい・・・。
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2018-03-03 06:10 : 雑記 : 編集

「ワーク・ライフ・バランス」より「ワーク・ワーク・アーリーリタイア」・・・

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、2回目。

ユダヤの安息日に関する記述が気になった。
ユダヤの法律では、人間は六日働いて七日目に休むべし、と定められている。体を休めて深く考え、自分のした仕事の成果を楽しまなければならない。これが掟になっているのは、ふしぎな感じがする。神は何も働くことを禁じなくとも、それも死刑に処すとまで脅して禁じなくとも、休むように奨めるだけで十分だったのではなかろうか。だがおそらく人間の本性には働き続けたがる傾向があって、そのために律法で定めなければならなかったのだろう。

まさに今の時代にもよくあてはまりそうだ。

ただ、働き続けたがるというよりも、働き続けざるをえないといったところだろうか。

すなわち、職を得続けようと思えば他の人よりハードに働く必要があり、結局は、ハードさを競う競争になっていく・・・。

「ワーク・ライフ・バランス」なんていうけど、現実はライフの時間もワークせざるをえないに違いなく、真に受けてライフを充実させようなんて思うとワークを失ってしまうに違いない(特にさえない自分は・・・)。



ということで、さえない自分は、世間が「ワーク・ライフ・バランス」とかいっている今のうちにひっそりハードに働いて、さっさとアーリーりタイアできるだけの資産を蓄えるのが良さそうだ。

つまり、「ワーク・ライフ・バランス」より「ワーク・ワーク・アーリーリタイア」だ!!





休みの日にアルコールを飲みながらブログを書いて自己満足している場合ではないのだ・・・。
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2018-03-02 16:27 : 雑記 : 編集

確定拠出年金をリスク資産で運用するべきか問題・・・

「確定拠出年金 幻の改革」という記事が日本経済新聞に掲載されていた。

企業型確定拠出年金のデフォルト商品を元本確保型から投資信託にしようとする動きがあったけど、結局そうはならなかったというような話。

米国や英国との比較を持ち出して、日本ももっとリスク資産で運用するべし、といようなことが書かれていた。
人生100年時代を迎え、老後資金確保の重要性は一段と増す。米英型抜本改革が見送られたからこそ、労使や個々の加入者は年金資産をどう増やしていくかに真剣に向き合う必要がある。


そもそも、企業が確定給付型年金から確定拠出型年金に移行したのは運用リスクを避けたかったからに違いなく、すなわち、企業がリスク資産での運用は割に合わないと考えたからに違いない。

そんな企業は、見透かされてつっこまれることを恐れて、社員にリスク資産での運用を勧めることはないだろうな。

社員からすると、企業が投げだしたからにはそれなりの理由があるのではと勘繰るのが当然だ(疑い深い自分だけか?)。



個人的には、無責任に勧める第三者の意見よりも、当事者の企業の行動の方に説得力を感じてしまう。



と言いながら、そんな自分の確定拠出年金は(無責任な第三者に惑わされて?)外国株式100%。

うまくいかなかったらモンスター個人投資家になって暴れてやる!!





暴れるくらいの気概があれば人生もっとうまいくだろうに・・・。
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2018-03-02 13:08 : 雑記 : 編集

フィクションからも学ぶべしと今さらながら思った・・・

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本を読んだ。

ギルガメシュ叙事詩、旧約聖書、古代ギリシャ、キリスト教、デカルト、・・・・、など経済思想の変遷を踏まえて、現在主流の経済学(倫理的な判断を避けた数学的なモデルに依拠する価値中立的で還元主義的・分析的アプローチ)に疑問を投げかける内容。



経済学というと、先端科学的なイメージを漠然と抱いていたので(ノーベル賞もあることだし)、ギルガメシュ叙事詩や旧約聖書などの古典(フィクション)を持ち出しているのが意外だった。

ただ、よくよく考えると古典(フィクション)と科学には共通点がありそうだ。

すなわち、どちらも真理を提供しようとする。つまり、多くの経験(実験)を元に導き出した法則を伝えようとしている(古典はそのような性質があるが故に古典として受け継がれてきたに違いない)。



そのように考えると、理系の自分は真理を得る手段として科学を重視しすぎてきたようであり、真理を得る手段としての古典(フィクション)にももっと興味をもっていきたい。



ということで、しょせん作り話だろうなんて軽視せずに、もっと古典(フィクション)を読もうかな・・・。






ちなみに、わざわざ「フィクション」と書いて作り話であることを強調したけど、科学も含めてこの世界はそもそも自分の作り話(想像の世界)に違いない・・・。
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2018-03-02 10:47 : 雑記 : 編集
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ちゃーも

Author:ちゃーも
■自己紹介
・アラフォーサラリーマン
・さえないエンジニア
・お金好き、お酒好き、読書好き

■資産形成の方針
・仕事:開き直ってストイックに稼ぐ
・節約:消費するよりアーリーリタイア
・投資:パッシブに増やす

■投資の内容
・インデックスファンドの積立投資
 (先進国株式、ゴールド)
・利用している主なファンド
 eMAXIS Slim 先進国株式インデックス
 たわらノーロード 先進国株式
 SMT ゴールドインデックス・オープン(為替ヘッジあり)

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