なぜ新興国株式に投資しないのか・・・

自分はなぜ新興国株式に投資しないのか?

改めて考えを整理してみた。

前提として、自分は先進国株式(MSCIコクサイ・インデックスを指数とするインデックスファンド)のみに投資している。



まず、「分散」という観点からは、新興国株式にも投資した方が良いのではと感じてしまう。

すなわち、理屈的には分散することで「リターン/リスク」をより大きくできるのではなかろうか?



ただ、「リスク」に限って考えると、先進国株式に新興国株式を追加することでリスクは小さくなるだろうか?

理屈はともあれ、感覚的に「リスク」が小さくなるとは思えない(仮に「リターン/リスク」が大きくなったとしても)。



というようなことをアレコレ考えた結論としては、仮に「リターン/リスク」が大きくなったとしても、「リスク」が小さくなるようには感覚的に思えない(仮に理屈上は小さくなったとしても)から新興国株式には投資しない、と自分は考えているようだ。

すなわち、先進国株式以上のリスクは負いたいくないというチキン野郎なのだ・・・。



ということで、これからも先進国株式のみのチキン投資を続けていきたい・・・。







ちなみに、より正確には、手間の問題(新興国株式を追加すると手間がかかる)とかもあるのだけど、メインは上記の理由ということにしておこう・・・。







なお、このようなことを改めて考えたきっかけは、「新興国ファンド急減速」という記事を日本経済新聞で目にしたこと。

株価の不振や通貨安の影響により、新興国の株式や債券に投資する投資信託の人気が低迷しているようだ。

逆に考えると投資するなら今では??   →冒頭に戻る
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2018-05-27 11:14 : 雑記 : 編集

きれいごとしか書かれていない 行間からダークな本心を読み解く・・・

「マネジメント【エッセンシャル版】 ―基本と原則」(P.F.ドラッカー 著、上田惇生 編訳)という本の感想、5回目。


このようなビジネス書を読むと変に勘ぐってしまうのは、きれいごとしか書かれていないのではなかろうかということ。

もっとダークな本心やダークな真実があるに違いない・・・。



また、このブログもきれいごとしか書かれていない?

自分はもっとダークなことを考えているに違いない・・・。



まあでも、普通の人にとってそれは当然のことと織り込み済みであり、それを前提に世の中回っているのかもしれない。いわゆる予定調和というやつかな・・・。





ということで、さえない自分は、このようなビジネス書を読んでも真に受けないように注意しないといけない。

できる人は、行間から著者の本心や真実を読み解いて、自分のように真に受けるさえない人を出し抜いていくに違いない。

というより、そもそもできる人は本を読む必要なんて無いのかもしれないが・・・。
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2018-05-27 05:36 : 雑記 : 編集

不確実な明日のために今日推論と分散に取り組む・・・

「マネジメント【エッセンシャル版】 ―基本と原則」(P.F.ドラッカー 著、上田惇生 編訳)という本の感想、4回目。

一番気になったのは次の箇所。
最大の問題は、明日何をなすべきかではない。「不確実な明日のために今日何をなすべきか」である。問題は、「明日何が起きるか」ではない。「現在の考え方や行動にいかなる種類の未来を折り込むか、どの程度の先を考えるか」、そしてそこから「いかにしていま合理的な意思決定を行うか」である。

重要なことが書かれているオーラは伝わってくるけど、何回読んでもいまいちよく理解できなかった・・・。



ただ、「不確実な明日のために今日何をなすべきか」について考えてみると、汎用的な回答としては「今日推論と分散に取り組むべし」だと思う。

すなわち、予想の確度を高めるための推論と、予想が外れることを前提とした保険づくりのための分散に取り組むべし。



そういう意味では、インデックスファンドに投資しているのも、不確実な明日に対する備えと言えそうだ。自分なりに推論した結果としての収入源の分散・・・。







ただ現実は、不確実な明日から目をそらして、今日アルコールを飲みつつお気に入りの音楽を聴きながらブログを書いて自己満足にふけっている・・・。

不確実な明日はあてにならないので、今日のうちに自己満足にふけるべし・・・。
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2018-05-27 05:11 : 雑記 : 編集

サラリーマンが忠誠・愛情・行動様式などを要求されるのは権力の濫用・・・

「マネジメント【エッセンシャル版】 ―基本と原則」(P.F.ドラッカー 著、上田惇生 編訳)という本の感想、3回目。

「成果」を中心に考えることの重要性が繰り返し書かれていた。
雇用主たる組織には、人の性格をとやかくいう資格はない。雇用関係は特定の成果を要求する契約にすぎない。他のことは何も要求しない。それ以外のいかなる試みも、人権の侵害である。プライバシーに対する不当かつ不法な侵害である。権力の濫用である。被用者は、忠誠、愛情、行動様式について何も要求されない。要求されるのは成果だけである。

忠誠や愛情が無くても「成果」を出せば良いというような割り切った考え方が印象的。

今はやりの「生産性」が高まりそうな考え方だ。すなわち、他のことはとやかく言わないから「成果」(=金儲け)だけ出してくれれば良いんだよ!!



さえない自分は「忠誠、愛情、行動様式」などをそつなくこなすのが苦手なため、シンプルに「成果」に的を絞るのは好都合な話。

まあでも、「郷に入っては郷に従え」のとおり、日本的な「忠誠、愛情、行動様式」が必要なのはある程度しかたないとあきらめつつも、もっと「成果」にこだわって(「忠誠、愛情、行動様式」を必要最小限にして)割り切った合理的な姿勢でサラリーマン生活を送っていきたい。





というような威勢のいいことを書いてみたものの、「成果」がさえない自分は、「忠誠、愛情、行動様式」などでさえない「成果」を補う必要があるのかもしれない・・・。
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2018-05-26 09:06 : 雑記 : 編集

「大義」のない「よこしま」なサラリーマン生活・・・

「マネジメント【エッセンシャル版】 ―基本と原則」(P.F.ドラッカー 著、上田惇生 編訳)という本の感想、2回目。

仕事の動機づけに関する記述が気になった。
一般に、働くことと働く者の歴史は、とりたてて幸福なものではなかった。しかし例外はあった。働くことが成果と自己実現を意味した時期や組織があった。その典型が、国家存亡のときだった。

働く者は、自らが大義に貢献していることを自覚していた。ダンケルク撤退後のイギリスがそうだった。第二次世界大戦参戦後のアメリカがそうだった。仕事が変わったわけではない。上司が特に知的になったり、人間的になったわけでもない。しかし当時は、限られた期間だったにせよ、働くことから得られる充実感が完全に変化していた。

一番の動機付けは、好きかどうか(好嫌の問題)や儲かるかどうか(損得の問題)よりも、大義があるかどうか(善悪の問題)ということと理解した。

社会的動物である人間は、個人の問題(好嫌や損得は個人で完結する)よりも集団の問題(善悪は集団の中で意味をもつ)を重視するということか・・・。



極端に言うと企業は金儲けを目的としており、そんな企業で働くことに大義は無いため(経営理念というなんちゃって大義はあるけど・・・)、サラリーマンとして働くことには「大義」という一番の動機付けの要素が欠如していると言えそうだ。

したがって、大義があるかどうかではなく、好きだからや儲かるからという、ある意味「よこしま」な動機付けに頼る必要がある。

自分の場合、仕事好きではないため、儲かるからという最もよこしまな動機付けを採用せざるを得ない。



ということで、金儲けのためと割り切って、よこしまなサラリーマン生活をエンジョイしていきたい・・・。







ちなみに、「金儲け」にネガティブな感情を抱きがちな日本で生活しているため、なおさらいっそう「よこしま」と感じてしまうのかもしれない・・・。
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2018-05-26 08:03 : 雑記 : 編集

「選択と集中」か? 「非選択と分散」か? リターンとリスクを考えると・・・

「マネジメント【エッセンシャル版】 ―基本と原則」(P.F.ドラッカー 著、上田惇生 編訳)という本を読んだ。

数年前に流行った「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の主人公が読んだマネジメントの本。

リスクに関する記述が気になった。
経済活動とは、現在の資源を未来に、すなわち不確実な期待に賭けることである。経済活動の本質とは、リスクを冒すことである。

リスクを皆無にすることは不毛である。最小にすることも疑問である。得るべき成果と比較して冒すべきリスクというものが必ずある。

リターンを得るには相応のリスクを冒さなければならない、ということ。



リターンを得るためのリスクについて、起業家と投資家では違いがありそうだ。

すなわち、起業家は「選択と集中」が必要なため、分散によるリスクの低減が困難であり、上記のようにリターンに見合ったリスクを冒す必要がある。

一方の投資家は「非選択と分散」が可能なため、分散によってリスクの低減を図る余地がある。



また、短い一生の中で自分にできることは限られるため、そういう意味では「選択と集中」をせざるを得ないことが普通であり、「非選択と分散」が可能なことは少なそう。

そのように考えると、投資は数少ない「非選択と分散」が可能なことの一つのように思うため、その機会を有効活用すべく分散投資を続けていきたい・・・。







というようなことをアレコレ考えていると、一番分散できたらうれしいのは自分自身だと思った。

持って生まれて環境に育まれたこの変な個性に集中するのではなく、いろいろな個性に分散してみたいな・・・。
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2018-05-26 07:09 : 雑記 : 編集

インデックス投資チキンレース・・・

『「考えないマネー」ETF膨張』という記事が、先日の日本経済新聞の1面にデカデカと掲載されていた。

インデックス運用(指数と同じ運用成績を目指す運用)のETFの拡大を危惧する内容であり、次のように結ばれていた。
英アーンスト・アンド・ヤングは「世界の投信は27年までに指数連動の資産額が積極型運用を上回る」と予想する。良い企業を選ぶ投資家が消えれば、市場は衰える。お金を効率よく殖やす「考えないマネー」の膨張が続けば、市場を通じて資本を効率的に配分する自由主義経済の土台を危うくしかねない。


インデックス運用の不安要素として、次の2点を目にすることが多い。
1.この記事に書かれているようなインデックス運用自体の拡大(アクティブ運用の縮小)
2.世界経済の成長の終わり

2点とも、今は良くてもそのうち駄目になるかも・・・、という点では共通している。

すなわち、投資に適した状態がいつまで続くかが問題であり、つまりは、いつまでインデックス運用を続けるべきかが問題となる。



というようなことを考えていると、インデックス運用は「チキンレース」のようなものかと思った。

いつか終わりがくるかもという不安に耐えながら、いつまで続けることができるのか?

続けすぎると本当に終わりが来るかもしれないし、来ないかもしれない・・・。



ということで、アクティブ運用を「美人投票」と言うなら、インデックス運用は「チキンレース」と言えそうだと思った。

チキンな自分はいつまで耐えられるかな・・・。
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2018-05-25 19:37 : 雑記 : 編集

「貯蓄から投資へ」 投資が失敗したときのことなんて考えられていない・・・

「無謬性の原則と全体主義」という記事が日本経済新聞の大機小機というコラムに掲載されていた。

「無謬(むびゅう)性」に関する記述が気になった。
日本の政府や大企業の官僚組織でほとんど無意識のうちに前提とされているのが、「無謬(むびゅう)性の原則」である。「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけない」という信念だ。

「政府や日銀ではきっと、財政破綻後のことも出口戦略のこともしっかり考えているに違いない」と考えるのは、買いかぶりすぎだろう。


「貯蓄から投資へ」のスローガンのもと、NISAやiDeCoなどの制度を作って国は国民に投資を勧めようとしてくるけど、これにも「無謬性の原則」が働いているに違いない。

すなわち、投資がうまくいかなかった場合のことなんて考えていないだろう・・・。



というようなことを考えると、「投資がうまくいかなかったらどうするか?」については自分でよくよく考えておくべし。

痛い目に合うのは国(担当者)ではなく自分なのだ・・・。
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2018-05-25 13:44 : 雑記 : 編集

使い捨てられるのが先か? アーリーリタイアが先か?

「ヘッドハンター」という転職を題材としたTVドラマを観ていると、次のようなセリフがでてきて気になった。

肩書なんてものをもったものはプライドばかり高くて使いづらいだけ、無役で使いやすい人が良かったんだと。

人に頭を下げられない人は一番敬遠される。それも転職市場の現実です。

自己主張の乏しい従順な自分は、(子供時代に無意識のうちに身につけた)「善い人戦略」で生き抜いているに違いないと薄々思っていたが、周りからすると「使いやすい人」と映っているのかもしれない・・・。



上記のセリフを真に受けると、「使いやすい人」にも需要はあり、それはそれでよいのかも。

ただ、「使いやすい人」は「使い捨てやすい人」でもありそうで要注意・・・。



使い捨てられる前にアーリーリタイアすることができるのか?



とりあえずは、使いやすい「善い人戦略」を継続してアーリーリタイアにもち込みたい・・・。









ただ、「使いやすい人」というのは思い上がりであり、「使えない人」が真実なのかもしれない。

心の健康を保つためには真実から目をそらすことも重要だ。言わば「さえない人戦略」・・・。
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2018-05-25 12:08 : 雑記 : 編集

人生のピークは何歳だろうか・・・

「走りながら考える 人生のハードルを越える64の方法」(為末大 著)という本の感想、6回目。


為末氏が現役生活を終えたときのエピソードが印象的だった。
自分が引退したとき、実際の葬式ではないけれど、どこかそんな気分だった。辛気臭くはなかったけれど、みんなが口々に「お疲れ様でした」と言ってくれた。振り返れば、ガガーッと上がっていって、なだらかな下り坂を経て、ある日終わりが来た。まさに仮の人生をひとつ生きたみたいな感覚が、なぜかとても面白かった。

自分とほぼ同い年の為末氏が現役を引退したのは2012年、彼が34歳のとき。

うがった見方をすると、彼の人生のピークは世界陸上で銅メダルを2回獲得した20代だったのかもしれない。

ただ、本を読む限りスポーツ面以外の才能もあふれてそうなのでピークはこれからのようにも思うが(さえない自分が上から目線でいうのも滑稽だが)、他のスポーツ選手やアーティストやアイドルなどをみると、若くして人生のピークを迎えてしまったのではなかろうかと変に勘ぐってしまうことがある・・・。



かく言う自分の人生のピークは何歳だろうか?

アーリーリタイアを夢見る自分の場合、人生のピークはもちろんアーリーリタイア後に違いない。

すなわち、人生の後半にピークがくるということ(アーリーリタイアを実現できそうなのはまだまだ先なのだ・・・)。

このように考えると、人生の後半にピークをもっていくことができる点は、さえないサラリーマンのメリットの1つなのかもしれない。

すなわち、右肩上がりの人生を実現できるのだ!



ということで、そのメリットを十二分にいかすためにも、アーリーリタイア後の人生を夢見ながら地獄のサラリーマン生活を送っていきたい。

地獄が深ければ深いほど、リタイア後のピークを高く感じられるのだ!!









というような(無理やり感満載の)プラス思考で精神の安定を図っていきたい・・・。
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2018-05-20 13:39 : 雑記 : 編集

自信には根拠よりも体験と思い込み・・・

「走りながら考える 人生のハードルを越える64の方法」(為末大 著)という本の感想、5回目。

自信に関する記述が気になった。
「あのとき俺は勝ったじゃないか」というよりも、「あのとき自分は逃げなかったじゃないか」というほうが、明らかに自信につながる。自分の「立ち上がり際」が自信になる。

結果はともあれ、自分自身で「ちゃんとやれたな」と思う経験を積み重ねていくと、自分自身を信頼できるようになる。尊敬できるようになる。

結果はともあれ、逃げずに自分の意志で立ち向かった経験の積み重ねが自信につながる、と考えているようだ。



改めて考えてみると、自信には2タイプあるように思う。
1.意識的な自信:意識している自分が抱く自信
2.無意識的な自信:自分の中の無意識な部分が抱いている自信

例えば、ペーパーテストで合格できる自信があるかどうかは「意識的な自信」であり、体を動かす体育のテストで合格できる自信があるかどうかは「無意識的な自信」。

そして、問題となるのは「無意識的な自信」の方だろう。結果に与える影響は大きいけど、コントロールが難しそう。



「無意識的な自信」をもつにはどうすれば良いのか?

まず、「無意識的な自信」を無くしそうな場面を考えてみた。
1.失敗する
2.ネガティブな考えにとらわれる(「意識的な自信」が無い)
3.頭で考えすぎる(できる根拠は考えても出てこないため、かえって不安になる)

それを逆に考えると、「無意識的な自信」をもつには次のようにすれば良いのかな。
1.成功体験を積み重ねる
2.できると思い込む(無意識な部分を意識的に洗脳する)
3.考えない(できる根拠をさがそうとしない)

自分の場合はアレコレ考えすぎるところが一番の問題のように思う。考えたところで、できる根拠なんて見つかりっこないので、かえって不安になるだけなのだ。

根拠探しよりも成功体験と思い込みが重要だ・・・。



ということで、「無意識的な自信」を意識的にコントロールすることを心掛けたい。





ちなみに、「意識的な自信」をもつためには、できる目算がつくまでストイックに備えるのみと考える。上の例ではテスト勉強。







なお、このように考えると、本に書かれていた「結果はともあれ、逃げずに自分の意志で立ち向かった経験の積み重ね」(本の言葉通りではない)は「意識的な自信」に関することだろうか。

「無意識的な自信」をもつためには「結果」が重要と思うので。
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2018-05-20 07:36 : 雑記 : 編集

きれいごとを考えながら きたないことして生き延びる・・・

「走りながら考える 人生のハードルを越える64の方法」(為末大 著)という本の感想、4回目。

きれいごと(理想主義)に関する内容が気になった。
現実論者にとって「理想主義」は幼稚に見える。そして「現実論」は理想主義者にとって夢がなく無味乾燥なものに思える。

「きれいごと」はうさんくさいけど、でも「きれいごと」がないまま生きていけば、結局何のための人生かわからなくなる。

改めて考えてみると、「きたないこと」(現実主義)は生活の糧を得るための手段、「きれいごと」(理想主義)は心を健全に保つための手段、といったところだろうか。

現実主義に偏りがちな自分は、正に「きれいごと」(理想主義)にうさんくささを感じてしまうけど、心を健全に保つための手段と考えると、「きれいごと」(理想主義)も生きるためには欠かせない。

「現実主義」的に考えると「理想主義」も必要ということか・・・。



ということで、きれいごとを考えながら、きたないことして生き抜いていきたい・・・。
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2018-05-20 06:09 : 雑記 : 編集

頑張る人は報われない? 「努力」は「夢中」に勝てない・・・

「走りながら考える 人生のハードルを越える64の方法」(為末大 著)という本の感想、3回目。

努力は無我夢中に勝てない、というような話が印象的だった。
本当に強いのは、苦しい努力を頑張って根気よく続ける人よりも、そのことが面白くてつい努力していたという人。

自分の興味を刺激して、無我夢中になれるところで勝負することは、成功の最初のステップなのだと思う。

「無我夢中」を目指すことが、一番を目指すこと、そのもののように思う。

頑張って努力しようとするよりも、頑張ろうとしなくても夢中になれることに取り組むべき、ということのようだ。

それが才能にマッチすることであればなおさら良いのだろう。



一方、手に余る仕事を嫌々義務的に行っている自分は、例えいくら努力をしてみたところで、負け組から逃れることはできないに違いない・・・。

自分にとっての仕事は言わば「勝てないゲーム」のようなもの。

ただ、今さら夢中になれることを探そうとするよも、アーリーリタイアできるまでは今の「勝てないゲーム」を続けた方が良さそうだ。

若いころに「夢中探し」を怠ってきたツケが回ってきたのかな・・・。





ということで、「勝てないゲーム」を延々と続ける変なヤツになりきるとしよう。アーリーリタイアするまでは・・・。
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2018-05-19 11:26 : 雑記 : 編集

短所を克服しようなんて無謀なことは考えないほうが良さそうだ・・・

「走りながら考える 人生のハードルを越える64の方法」(為末大 著)という本の感想、2回目。


「短所を直すよりも長所を伸ばせ!!」というようなことをいままで聞き流していたが、次の部分を読んですごく納得できた。
理屈で考えると、短所を直せばそれで万事OKと思えるけど、そこを直せば今度は別の箇所に影響が出る。些細な癖だと思っていたものが、そこを触ると影響は全体に及び、結果がすべてプラスになるとは限らない。

次のように理解した。

短所を直そうとするのは、自分の中のとある性質を180度変えようとすることである。

その性質を180度変えようとすると、その性質があることを前提に最適化されていた他の性質をも変える(最適化し直す)必要が出てくる。

そうなると、将棋倒し的に多くの性質を変えないと(最適化し直さないと)いけなくなる。

つまり、凄く大変な作業であり、特に(ある意味できあがっている)大人には非現実的な話・・・。



それよりも、長所を伸ばす方が現実的。

今ある性質を変えようとするのではなく、うまく利用しようとする発想であり、その他の性質を変える必要性は少ない。





ということで、さえない自分がさえてる自分に変わろうなんて無謀なことは考えずに、さえないが故に得られている長所を探してうまく利用していきたい・・・。
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2018-05-19 07:05 : 雑記 : 編集

「元気な負け犬」でありたい・・・

「走りながら考える 人生のハードルを越える64の方法」(為末大 著)という本を読んだ。

元陸上選手(世界陸上選手権の400メートルハードルにて銅メダルを2度獲得)の著者が、陸上人生を通して考えたことを書いた本。


極端にいうと次の2点について書かれている(と理解した)。
1.いかに勝つか
2.勝てない時、いかに心を健全に保つか



「1.いかに勝つか」については、自分の勝てそうな分野を選択することが重要。

すなわち、努力で才能に打ち勝つことはできないという悲しい現実を直視して、自分の才能が活かせそうな分野で勝負するべし。

ちなみに、著者は勝てそうにない100メートル走をあきらめて、勝てそうな400メートルハードルに転向した経緯がある。



そうは言っても、自分も含めてほとんどの人は勝てない(勝てるだけの才能がない)という悲しい現実を直視すると、「2.勝てない時、いかに心を健全に保つか」が重要となる。

そのためのキーワードは「正当化」。

著者は、「やりきった感」が正当化につながると考えているようだ。

すなわち、「あのときはベストを尽くしたから、あれ以上のやりようはなかったんだ」と思えるかどうか。



まあでも、ほとんどの人は、勝てないながらも意識的に正当化することもなく、ただただ元気に生きている。

なんというか、「元気な負け犬」とでもいえそうだ。



かくいう自分も、勝ちもせずうまく正当化もできていないのに元気に生きているということは、「元気な負け犬」なのだ・・・。



とはいえ、アレコレ考えすぎて心の健全さを失うよりは、「元気な負け犬」な自分を受け入れて元気に走り回っていた方が良さそうだ・・・。





ということで、自分は「負け犬」という悲しい現実を受け入れて生きていきたい。

ただ、「元気な負け犬」でありたい・・・。
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2018-05-19 00:03 : 雑記 : 編集

「対立を辞さず勝者になってすべてを手に入れろ」というのがグローバル・スタンダード・・・

「AIは人を幸せにするか」という世界経済フォーラム会長クラウス・シュワブ氏へのインタビュー記事が日本経済新聞に掲載されていた。

孔子をとりあげた次のコメントが気になった。
世界が共に生きていく方法。その優れた模範として孔子の教えに学ぶことが多いと考えている。我々は国際社会の一員だ。その中でどう協力するかという方法、規律を考える必要がある。孔子のモデルは『対立を辞さない』『勝者がすべてを手に入れる』という方法ではなく、妥協に焦点を当て、誰もが満足できる状況をつくろうとするものだ。重商主義的方法では一方が徹底的に勝ち、もう一方は敗北することになる。いにしえの教えに耳を傾ける時だろう

世界経済フォーラムの会長がこのようなコメントをするということは、今現在のグローバル・スタンダードは『対立を辞さず』『勝者がすべてを手に入れる』ということなのだろう。


国際比較をして「働き方改革」とか「生産性向上」とか言う前に、このような基本的な考え方から着手すべきではなかろうかと思う。

すなわち、子供時代から『対立を辞さず』『勝者がすべてを手に入れる』という現実を教えるべきではなかろうか。大人になってから言われても遅いのだ・・・。



なお、このように考えると、記事のタイトルである「AIは人を幸せにするか」というような問いはナンセンス。

人を幸せにするためのAIではなく、対立を辞さず勝者になってすべてを手に入れるためのAIに違いない・・・。





という酔っ払いサラリーマンの愚痴・・・。
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2018-05-13 16:33 : 雑記 : 編集

不確実性の分類と対策 不確実な世界と付き合うために・・・

「確率的発想法 数学を日常に活かす」(小島寛之 著)という本の感想、5回目。


不確実性に関する記述が気になった。
わたしたちが生きるこの世界には、それが「これから未来に起きる」ゆえに、あるいは、「起きてしまったが結果に対して十分な知識がない」ゆえに、不確実性が存在します。

すなわち、不確実性には次の2つのタイプがあるようだ。

■不確実性の分類
1.未知の不確実性(まだ起こっていないこと)
2.無知の不確実性(既に起こってはいるが自分の知らないこと)



そのような不確実性への対策について、この本の内容も参考にアレコレ考えた結果、次のような結論に至った。

■不確実性への対策
1.未知の不確実性への対策:推論、分散
2.無知の不確実性への対策:情報取集、推論、分散

「不確実性」と聞いて、まず思いうかぶ対策は「分散」であり、いわゆる「卵は一つのカゴに盛るな」というやつだ。

次に、既知の事柄から未知の事柄を予想する「推論」もメインの対策に違いない。「推論」の精度を高めるべく日々精進あるのみ。

さらに、「無知の不確実性」については、無知を既知にするための情報収集が一番の対策であり、まずはそこから手を付ける必要がありそうだ。そして、十分な情報収集ができない場合は、「未知の不確実性」と同様に「推論」と「分散」で対応する。



以上のように、「不確実性」が問題となる場合、まずは「未知の不確実性」なのかそれとも「無知の不確実性」なのかを見極めるところからスタートする。

そして、「未知の不確実性」の場合、「推論」によって複数の案を推測し、それら複数の案に「分散」して取り組む。

また、「無知の不確実性」の場合、まずは「情報収集」を実施する。十分な情報が得られない場合には「未知の不確実性」と同様に「推論」と「分散」で対応する。

さらに、経験の蓄積や技の習得により、「推論」の精度を日々向上させ続ける。

というような結論にしておこう。これで不確実な世界を生き抜けるかな・・・。



なお、不確実性にいくら備えてみたところで”不確実”なのだから失敗はつきものに違いない。ある意味、不確実性への最も重要な対策は、失敗に「めげない心」を養うことかもしれない・・・。







ちなみに、「確率」は推論の際に使うツールの一つという位置付けと理解した。
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2018-05-13 08:18 : 雑記 : 編集

自由の弊害と強制の恩恵 アーリーリタイア後の自由な生活が気になった・・・

「確率的発想法 数学を日常に活かす」(小島寛之 著)という本の感想、4回目。

外部からの強制によって個人的な局所最適(自分の中ではそれで良しとして落ち着いている状態)からより良い局所最適に移行することができる、というような話があり、なるほどと思った。
駅までの道のりを歩くとき、すべての道を試したわけではないのに、一番いいと思い込んでいる道ばかり毎日毎日利用しがちです。けれどもある日、誰かと偶然一緒に駅まで行くことになって、その人が使う別の道を一緒に歩いてみると、そちらの道のほうが(近さや安全さ快適さの意味で)より良好であると気がつく、そんな感じのことです。

自分にも思い当たる節がある。

自分の中では永らく、金融資産は貯金だけというのが個人的な局所最適だった。

勤め先が確定給付年金から確定拠出年金へ切り替えたことによってある意味投資を強制させられたために、その局所最適から脱することができた。

そして今は、インデックスファンドの積立投資と貯金という、より良い(と今のところは感じている)局所最適に落ち着いている。

今後別の強制が加わると、さらにより良い局所最適に移行するかもしれない。



人は放っておかれると(自由な状況に身を置くと)、同じような生活を送り続ける(同じ局所最適にとどまり続ける)のだろう。

行動を変えるには(より良い局所最適に移行するには)、上記のような外部からの強制か、あるいは本人の強い意志が必要となりそうだ。

強い意志をもって行動を変え続けるのはなかなかできることではないだろうから、外部からの強制が手っ取り早い手段なのかもしれない。



ということで、自由は自由で良いものだけど、強制されることにも良い側面がありそうだ(より良い局所最適があることに気付かせてくれる)。

自分は自由なアーリーリタイア生活を夢見ているけど、アーリーリタイア後は自由を満喫するだけでなく(一つの局所最適にとどまったマンネリ化した生活を送り続けてしまいそう)、あえて強制されるような状況にも身を置いてみた方が良いのかもしれないと感じた・・・。
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2018-05-13 05:03 : 雑記 : 編集

人はなぜ割に合わないギャンブルや宝くじに手を出すのか・・・

「確率的発想法 数学を日常に活かす」(小島寛之 著)という本の感想、3回目。


割に合わない(期待値的には損をする)ギャンブルや宝くじに手を出すなど、人はなぜ期待値を最大にするような行動から逸脱してしまうのだろうか?

直接的・間接的に書かれていた理由を自分なりに3つにまとめてみた。

1.客観的な「期待値」よりも、主観的な「効用」(自己満足)を最大にしようとしてしまう
2.世界のほとんどのことは(確率的ではなく)不確実なため、そもそも「期待値」が明確ではない
3.人生は有限なため(特に命は1つだけ)、多くの繰り返しを前提とする「期待値」では語れない



これまでも1.と2.はうすうす意識していたように思うが、3.は考えてこなかった。

3.に関して、「期待値」を基準として採用すべき根拠は「大数の法則」に求めれらる、というようなことが書かれていた。

すなわち、何度も何度も繰り返す場合や、大勢の人を全体で考えた場合などに当てはまるのだ。

したがって、一個人が一生のうちで数回しか実施しないことや、ましてや本人の命にかかわることについて、『「期待値」の言う通り』では割り切れないに違いない。



例えば、次のいずれかの治療を迫られた場合、期待値的には選択肢2(余命10.8年)の方が若干大きいものの、自分なら選択肢1(余命10年)を選択するに違いない。

選択肢1:100%の確率であと10年生きられる治療
選択肢2:90%の確率であと12年生きられるが、10%の確率で失敗する(即死)するような治療





ということで、単純に「期待値」を最大にするような行動をとるのが賢いというわけでは無く、すなわち、ギャンブルや宝くじは(金銭的な期待値的に)割に合わないから手を出すべきではない、というような単純な話ではなさそうだ。

期待値よりも自己満足の方が大切かもしれないし、そもそも期待値そのものが怪しいし、さらには有限の人生を期待値では語れないというような問題もありそうだ・・・。
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2018-05-12 11:32 : 雑記 : 編集

その「リスク」はリスクなのか? それとも不確実性なのか?

「確率的発想法 数学を日常に活かす」(小島寛之 著)という本の感想、2回目。

リスクと不確実性の違いに関する内容が気になった。
確率のわかっている環境と確率さえわからない環境の区別を最初に主張したのは、フランク・ナイトという経済学者です。一九二一年、ナイトは確率計算できる不確実性を「リスク」と呼び、「本当の不確実性」と区別しようとしました。

そして、確率が与えられている環境、いうならば「測定可能なリスク」は、すこしも不確実ではない、と断じたのです。本当の不確実性は、確率さえわからないものであり、したがって過去の生起頻度から割り当てられもしないたぐいのものである、とナイトは考えました。

ナイトの発想はこうです。世界で起きるできごとは、複雑な要因に支配され、決して同一の環境からものごとが生起することはありえない。したがって、独立試行を反復的に行うことによって導かれる大数の法則を後ろ盾にした「数学的確率」は、現実の不確実性を描写してはいない。

すなわち、確率計算できる不確実性を「リスク」と呼び、確率計算できない不確実性を「不確実性」と呼ぶということのようだ。

引用部分のように考えると、株式投資で「リスク」と呼んでいるモノは「不確実性」になるのだろう。

資産運用(投資)では、本当は不確実な「リスク」や「リターン」を想定して資産を増やそうとする・・・。



資産運用(投資)で老後に備えようとさせようとする流れがあるけど、不確実な資産運用(投資)をあてにしすぎると、資産運用(投資)がうまくいかずに破綻する個人や、破綻する世代が出てきそうだ・・・。

そして、破綻してもあくまで自己責任と言われてしまう・・・。




ということで、不確実であてにならない資産運用(投資)は分散先の一つくらいに考えておいた方が良さそうだ・・・。

サラリーマンとしての稼ぎも将来的には不確実であてにならないけど・・・。



そのように考えると、「リスク」があるからという理由以上に、「不確実性」があるという理由から「分散」がより一層大切になるのだろう・・・。
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2018-05-12 06:30 : 雑記 : 編集

株価はランダムウォーカーなのか? それともリターンやリスクがランダムウォーカーなのか?

「確率的発想法 数学を日常に活かす」(小島寛之 著)という本を読んだ。

素人(数学や経済学に疎い人)向けのようだが意外と小難しい内容・・・。



確率には2つの対照的な考え方(「頻度主義」と「ベイズ主義」)があるという話が興味深かった。

株式投資を例にあげて自分の理解を整理してみる。




■頻度主義

株式投資に例えると、株価がランダムウォークしていると考える立場。

その裏には一定の値のリターンとリスクが存在することを前提としている。

すなわち、株価のデータを過去から未来まで膨大に集めると、リターンとリスクがある値に収束すると考える。

逆に言うと、リターンとリスクありきで株価を推測する。




■ベイズ主義

株式投資に例えると、リターンやリスクがランダムウォークしていると考える立場。

株価ありきでリターンとリスクを推測する。

時とともに株価のデータが増えると、想定されるリターンやリスクを都度修正していく。




自分の考え方を振り返ってみると、「頻度主義」と「ベイズ主義」がごちゃ混ぜになっているように思う。

すなわち、リターンやリスクが一定と考えて将来の資産を予想するのは「頻度主義」的な考え方だろうし、そうは言ってもリターンやリスクはあてにならない(今は良くても将来的に悪化するかも)と考えて不安になるのは「ベイズ主義」的な考え方なのだろう。

まあでも、そのような「頻度主義」的な考え方のおかげで長期投資を継続でき、また「ベイズ主義」的な考え方のおかげで投資をあてにしすぎない姿勢でいられるに違いない。




ということで、今後も「頻度主義」的に考えて投資を続けつつも、「ベイズ主義」的に考えて投資をあてにしすぎないようにしていきたい・・・。








なお、このような「頻度主義」と「ベイズ主義」の理解は正しくないかも・・・。

「ベイズ主義」的に?、新たな知識を得るたびに都度理解を修正していきたい・・・。
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2018-05-12 05:03 : 雑記 : 編集

能力の限界まで出世した人々が体力の限界まで働き続ける社会・・・

「人は能力の限界まで出世する」という「ピーターの法則」なるものがある(正確ではないかも)。

今の資本主義社会では、能力の限界まで出世した人々が、体力の限界まで毎日毎日働き続ける。

働き方改革といったところで、能力の限界の仕事をするのは変わらずに(むしろ要求が厳しくなる?)、体力に若干の余裕ができる程度だろうか・・・。



自分の理想としては、能力の限界の1~2段下程度の仕事を、体力に余裕をもって実施すること(長期にわたって健康的に働き続けるために)。

今後のサラリーマン生活は、そんな理想を実現するべく、少しずつ状況を改善していきたい(例え収入がマイナスになろうとも)。

まずは、間違えても出世しないことと(そもそもその心配は無さそうだが・・・)、なるべく仕事量が少なくなるように立ち回ること(さえない自分にできるのか?)を意識するべし。





ただ、失業しないようにスキルだけは身に付けていきたい・・・。
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2018-05-06 17:18 : 雑記 : 編集

資産形成だけでなく 若いうちから趣味の形成も・・・

「人生100年時代」なんていわれる時代、リタイア後の人生が長そうだ。

リタイア後を有意義に過ごすためには、時間も忘れて打ち込めるような趣味が欠かせないだろう。

しかし、老後になってから自分に合う趣味を見つけるのはハードルが高そうなため、若いうちから老後も続けられる趣味を開拓しておくべきと考える(以前どこかで読んだ内容の受け売り・・・)。

身近の数少ないリタイア組を見ても、若いころからの趣味を思う存分満喫している印象。

逆にいうと、それらの趣味が無かったらどうなっていただろうか・・・。



ということで、資産形成だけでなく、若いうちから老後を見据えた趣味の形成にも取り組むべし。





また一方で、体力が要求される趣味など、若いうちにしかできない趣味もあるに違いない。

老後の備えだけでなく、若いうちから計画立てて趣味に取り組む必要がありそうだ。





ということで、資産形成だけでなく、趣味の形成にももっと計画的に取り組んでいきたい。

もう若くないけど・・・。
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2018-05-06 12:50 : 雑記 : 編集

女子高生に負けることになろうとも分相応をわきまえたい・・・

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海 著)という本の感想、3回目。


自分なりの理解を整理してみる。

「マネジメント」とは、組織に創発(部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が全体として現れること)を引き起こす活動であり、そのためには特に「マーケティング」と「イノベーション」が欠かせない。

ここで、「マーケティング」とは組織の進むべき方向を模索する活動であり、「イノベーション」とは組織の存続のために進化し続ける活動である。


極端に要約するとこのようなものかと勝手に理解したが、まあでも、さえない自分はリアルな組織をマネジメントしようなんて大それたことは考えずに、自分という仮想組織のマネジメントごっこにとどめておいた方が良さそうだ。

高校野球の女子マネージャーに負けているかもしれないが、負けるのは恥だなんて考えずに分相応をわきまえることが大切だ・・・。



ということで、サラリーマン生活においても分相応をわきまえて後輩にどんどん負けていきたい・・・。
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2018-05-06 10:16 : 雑記 : 編集

「お金は友達」 もっとお金に貪欲に・・・

4月から「キャプテン翼」の新たに製作されたアニメが放送されており、懐かしさのあまりついつい観てしまう。

「キャプテン翼」と言えば、「ボールは友達」であり、いつもサッカーボールと一緒。さらにはボールに話しかけたりもする。

サッカー三昧の日々を送るサッカー少年なのだ・・・。



サッカーに対する貪欲な姿勢は自分も見習うべき。

サラリーマンの自分は、サッカーではなく、「お金」に対してもっと貪欲になるべきに違いない。



さらには、生産性が叫ばれる昨今、自分だけでなく日本人全体が「お金」に対してもっと貪欲になるべきなのかもしれない。

そのためには、「お金は友達」が口癖の爽やかイケメン主人公が日々お金稼ぎ(ビジネスや投資など)に悪戦苦闘するようなアニメを流行らせて、子供時代から感化していくのが良いのかも・・・。

大人向けのドラマもぜひ・・・。
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2018-05-05 22:49 : 雑記 : 編集

ノー自己満足作戦? お金は仕事で 自己満足はプライベートで・・・

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海 著)という本の感想、2回目。


イノベーションに関する記述が気になった。

「マネジメント」からの引用部分を抜粋。
企業の目的は、顧客の創造である。したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。

イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的にかつ体系的に捨てることである。イノベーションを行う組織は、昨日を守るために時間と資源を使わない。昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を新しいもののために開放できる。

イノベーションはマーケティングと双璧をなす企業の基本機能であり、イノベーションを起こす第一歩としてまずは捨てることを考えるべし、ということのようだ。

「もしドラ」では、「送りバント」と「ボール球を打たせる投球術」を捨てる「ノーバント・ノーボール作戦」でイノベーションを起こそうとしていた。





自分のさえないサラリーマン生活にイノベーションを起こすことを考えてみた。

そのために何を捨てるべきか?

当たり前のように思ってはいるが、じつは邪魔なものは無いだろうか?

アレコレ考えた結果、(あくまで仕事においては)「自己満足」を捨て去るべしと思い至った(より具体的には達成感、やりがい、成長など)。

そう考えた理由を3つ挙げてみる。

【理由1】
前回書いたようにサラリーマン生活における自分の顧客は(自分の勤める)企業と考えられるため、満足させるべき対象は自分ではなく(自分の勤める)企業に違いない。

【理由2】
さえない自分がいくら頑張ったところで、仕事上の自己満足収支はマイナスになりそうなため、自己満足にこだわると満足できないというジレンマに陥りそうだ。いっそのこと開き直ってはじめから自己満足を求めない方が良いのかも。

【理由3】
仕事の目的はあくまでお金であり、自己満足ではない。さえない自分がお金と自己満足を両立できるはずもなく、自己満足を求めた結果お金が犠牲になるというようなことは避けたい。自己満足はプライベートでも得ることはできるけど(むしろプライベートの方が得やすいけど)、生活できるだけのお金は仕事をしないと得ることができない。すなわち、お金は仕事で、自己満足はプライベートで。





ということで、「ノー自己満足作戦」でさえないサラリーマン生活にさえないイノベーションを起こしていこうかな・・・。

それを成功させるためにも、プライベートではしっかりと自己満足していきたい・・・。



まあでも、さえないサラリーマン生活にさえないイノベーションを起こしてみたところで、結局さえないサラリーマン生活であることに変わりないような・・・。







ちなみに、できる人は仕事でのお金と自己満足の両立も可能なのだろうが、さえない自分はマネをしようとしてはいけないのだ・・・。
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2018-05-05 18:42 : 雑記 : 編集

もしさえないサラリーマンが「もしドラ」を読んだら・・・

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海 著)という数年前に流行った本を読んでみた。

都立高校の弱小野球部を甲子園に出場させようと、新米女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」をよりどころに悪戦苦闘するサクセスストーリー。



「マネジメント」にならって野球部を定義付けようとし、「顧客は誰か」を問う場面が印象的だった。

「マネジメント」からの引用箇所を抜粋。
企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。(中略)顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的である。


この本では、親、先生、学校、東京都、東京都民、高校野球連盟、高校野球ファン、野球部員、など高校野球に携わるほとんどすべての人を野球部の顧客と定義していた。



さえないサラリーマンにとっての顧客は誰だろうかと改めて考えてみると、自分が勤める企業に違いない。

すなわち、自分が勤める企業を満足させることこそ、さえないサラリーマンの使命であり、目的である。

顧客といっても、クレーマーみたいなものかもだけど・・・。



ついでに、人生全体で考えてみると、顧客は自分自身であり、自分自身を満足させることこそ、自分の使命であり、目的である、となりそうだ。



ちなみに、このブログについては、顧客は読者であり、読者を満足させることこそ、このブログの使命であり、目的である。

ただ、このブログの一番の読者はおそらく自分であり、そういう意味では、顧客は自分自身であり、自分自身を満足させることこそ、このブログの使命であり、目的である、といえるのかも・・・。





というようなことを、「もしドラ」を読んださえないサラリーマンが考えた・・・。
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2018-05-05 09:22 : 雑記 : 編集

ゴールデンウィークは家にいながら九州を満喫・・・

待ちに待ったゴールデンウィークに突入したこともあり、「資産形成の方針」の一つである「消費:ささやかな楽しみに使う」を実践してみた。

普段あまり飲まない焼酎を飲み比べて、家にいながら九州を満喫・・・。



ということで、麦・芋・米・黒糖の4種類の焼酎を買い込んで、九州に思いを馳せながら飲み比べてみた。

銘柄と感想をメモ書き。

1.麦焼酎:いいちこ(大分県)
主原料が同じためかウィスキーっぽさを感じる。九州のヨーロッパ? アルコール臭が強め。

2.芋焼酎:赤霧島(宮崎県)
他の3つと比較してだんぜん癖が強い。自分の中の焼酎のイメージ。自分の中の九州のイメージ。

3.米焼酎:しろ(熊本県)
最も癖がなく飲みやすい。イメージ的には日本酒っぽい焼酎。上品な感じが九州っぽくない?

4.黒糖焼酎:れんと(鹿児島県)
これも癖が少なく飲みやすい。わずかに芋焼酎の雰囲気を感じる。アルコール臭がやや強め。



飲み比べていると、だんだん酔いが回ってきてよくわからなくなってくるが、今現在の印象で好みの順位をつけるみると次のような感じ。

1位 米焼酎:しろ
2位 黒糖焼酎:れんと
3位 芋焼酎:赤霧島
4位 麦焼酎:いいちこ



ということで、いかにも九州という感じの芋焼酎には密かに憧れるけど、軟弱者な自分は米焼酎が好みのようだ・・・。
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2018-05-03 09:13 : 雑記 : 編集

「貯蓄から投資へ」を真に受けた若者は大丈夫だろうか・・・

「きんゆう女子。」(金融を学ぶ女性限定のとあるコミュニティー)の話が日本経済新聞に掲載されていた。

次のような記述を読んでしまうと、心配性な自分は(自分のことは棚にあげて)余計な心配をしてしまう・・・。
30代後半の会社員、太田美佳さん(仮名)は早稲田大学にほど近い場所に1LDKの新築マンションを購入した。価格は3千万円台。不動産には詳しくなかったが、インターネット専業の住信SBIネット銀行を使い、手続きは住宅ローン専門の金融機関のアルヒに代行してもらった。


お偉いさんたちには、「貯蓄から投資へ」と不安を煽って庶民にリスクを押し付ける前に、将来を心配しなくても済むような社会をデザインして欲しいものだと、素人ながらに考えてしまう・・・。

投資に追い込んでおきながら、何かあったら自己責任ということになるのだろう・・・。



心配性な自分としては、自分のような素人が次のようなことをするのは止めておくべしと思う。

1.お得な話に飛びつくこと → なんでお得な話が自分に回ってくるんだ?
2.プロや自分以外の素人に勝つ必要があること → なんで自分が勝てるんだ?
3.お偉いさんたちの話を真に受けること → 歴史から学ぶと・・・




ということで、ゴールデンウィークに浮かれて飲み過ぎたせいか被害妄想癖が・・・。
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2018-05-02 13:35 : 雑記 : 編集

商売はLEGOブロック遊びのようなもの? あの頃の自分を取り戻せ!!

「意識は傍観者である 脳の知られざる営み」(デイヴィッド・イーグルマン 著、大田直子 訳)という本の感想、7回目。

「還元主義」と「創発」に関する内容が気になった。

ここで、
還元主義:構成する各パーツを理解できれば全体を理解することができるというような考え
創発:全体の性質が、構成する各パーツの性質の総和から乖離するような現象

関連個所を抜粋。
しかし還元主義は万能の視点ではなく、脳と心の関係を説明できないのは確かだ。その理由は、「創発」と呼ばれる特徴にある。たくさんの要素とパーツを組み立てると、全体は合計より大きくなる可能性がある。

飛行機をつくる金属の塊一つひとつはどれも空を飛ぶという特性をもっていないが、正しくくっつけ合わせると、でき上がったものは空中に浮かぶ。一本の細い金属棒ではジャガーを抑えようとする場合にあまり役に立たないが、数本を並べると閉じ込めという特性をもつようになる。創発特性という概念は、どのパーツにも本来備わっていない新しいものを導入できることを意味する。

多くの理系の人と同様?、自分はあきらかに「還元主義」的発想にとらわれがち。



一方、改めて考えてみると、商売をする上では「創発」的な発想が欠かせないように思う。

すなわち、商売では、低コストな物やサービスの組み合わせから、高値で売れる物やサービスを作り出すことが必要であり、それはまさに「創発」的な発想に違いない。

つまり、単純化して考えると、創発によりプラス側へ乖離すると利益となる。逆にマイナス側へ乖離すると損失。



ということで、いちサラリーマンとしては、「還元主義」的発想にとらわれることなく、「創発」的発想を強めていきたい・・・。







そう言えば、幼少時代にLEGOブロックでよく遊んでいたが、LEGOブロックまさに「創発」的な発想に違いない。

すなわち、同じパーツを使ったとしてもいろいろなモノを作り上げることができる。

いつの間にやら組み立て好き(創発的発想)から分解好き(還元主義的発想)になってしまっていたようだ・・・。

あの頃の自分を取り戻せ!!
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2018-05-02 06:34 : 雑記 : 編集

自分の中の善人や悪人たちが譲り合いの無限ループに陥っている・・・

「意識は傍観者である 脳の知られざる営み」(デイヴィッド・イーグルマン 著、大田直子 訳)という本の感想、6回目。

脳は議会制民主主義に似ているという内容が気になった。
人間には本当の顔とうその顔があるものだという考えを好む人が多い――つまり、人には一つの純粋な目的があって、残りは飾りか口実かごまかしだというのだ。直観的にはそうだが、この考えには欠けているものがある。

脳は議会制民主主義に似ている。大勢の重複するエキスパートがいて、さまざまな選択に介入し、競い合っている。ウォルト・ホイットマンがいみじくも要約したように、私たちは大きくて、私たちのなかには大勢がいるのだ。そしてその大勢はつねに争っている。

このように内部に大勢がいるせいで、生きものは葛藤する傾向がある。

本当の顔とうその顔があるというような単純な話ではなく、いろいろな性質の自分が共存しており、それらのせめぎ合いでそのときどきの行動が決まってくるということのようだ。

いろいろな性質の自分(ちゃーも)とは、例えば、善人ちゃーも、悪人ちゃーも、理性ちゃーも、感情ちゃーも、貪欲ちゃーも、無欲ちゃーも、・・・・・・、というようなイメージか。

そして、大勢の○○ちゃーもたちが自分の意見を通そうと競い合っているのだ。



ただ、自分は優柔不断でなかなか決められないことを考えると、大勢が競い合っているというよりも、どうぞどうぞと皆が譲り合って、譲り合いの無限ループに陥っているのかもしれない・・・。

議会制民主主義が機能していないということか・・・。



この優柔不断さをなんとかするには、議会制民主主義を捨て去って、独裁ちゃーもによる独裁体制に移行するしかないのかもしれない。

しかし、もしかしたら、独裁ちゃーもも優柔不断かもしれないが・・・。





まあでも、最悪の場合は自分が意識的に決めるという最終手段が残ってそうだ。昨日書いた「捏造意志」を振りかざして。

言わば「意識的な捏造独裁体制」・・・。
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2018-05-02 00:16 : 雑記 : 編集

何でもないような事が複雑だったとわかる? 簡単な行為の裏にあるもの・・・

「意識は傍観者である 脳の知られざる営み」(デイヴィッド・イーグルマン 著、大田直子 訳)という本の感想、5回目。

日常の簡単な行為からスポーツの高度な行為まで、人の行為は複雑な神経回路のなせる業であり、変に意識が介入しようとするとうまくいかなくなるようだ。
あなたは脳がやっている活動の大部分を意識していないし、意識する必要もない―意識したら脳の順調な作用を邪魔してしまう。ピアノ演奏を台無しにする最善の方法は指に集中することであり、息切れする最善の方法は呼吸について考えることであり、ゴルフボールを打ち損じる最善の方法はスイングを分析することだ。

最も無意識で努力のいらない行為――最も特化した複雑な神経回路を必要とする行為――は、つねに私たちの前で起こっている。性的に魅惑し、暗闇を恐れ、共感し、言い争い、嫉妬し、公平さを求め、解決策を探し、近親相姦を避け、顔の表情を認識する。これらの行為を支えている広大な神経回路網はとてもうまく調整されているので、私たちはその正常な働きを自覚しない。

なんでもなくて楽に見えることほど、その背後に大規模な回路があるからそう見えるのだと疑う必要がある。

歩くという行為ひとつとっても、それを可能にする複雑な神経回路があるということなのだろう。

自分は簡単に歩いているつもりだったけど、逆に言うと、歩くという行為を簡単と思わせてしまうほどに完成度の高い神経回路があるということか。

さらに、神経回路は行為を繰り返すほどに完成度を増していく。



コンピューターはソフトを変えることでいろいろな用途に対応しようとするけど、人間はソフト(意識)以上にハード(神経回路や筋肉など)を変化させることでいろいろな行為ができるようになるということと理解した。





ということで、非力なソフト(意識)ばかりにとらわれず、ハードの力をもっと有効に活用していきたい・・・。
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2018-05-01 09:47 : 雑記 : 編集

なぜ自分はわかるんだ? わかる理由を説明できないこともある・・・

「意識は傍観者である 脳の知られざる営み」(デイヴィッド・イーグルマン 著、大田直子 訳)という本の感想、4回目。

ヒヨコ雌雄鑑別師の話が興味深かった。
日本人は肛門鑑別法と呼ばれる手法を開発した。この手法によって、熟練した鑑別師は生後一日のヒナの性別をすばやく特定することができる。

不思議なのは、どうやってやるかを正確に説明できる人がいないことだ。非常に微妙な視覚的手がかりをもとにしているのだが、プロの雌雄鑑別師はその手かがりが何なのかを伝えられない。その代わり、ヒヨコのおしり(肛門があるところ)を見れば、とにかくどちらの箱に入れるべきかがわかるようなのだ。

そしてプロはそうやって生徒に教えた。指導者が実習生のそばに立って見ている。生徒はヒヨコを手に取り、おしりを検査して、どちらかの箱に入れる。指導者が「よし」か「だめ」かのフィードバックを返す。この実習を何週間もやると、生徒の脳は無意識だが熟練したレベルまで鍛え上げられる。

ヒヨコの雄雌の鑑別は、意識している自分にはわからないけど自分の中の無意識の部分にはわかる、ということのようだ。



サラリーマンの世界は説明至上主義的なところがあり、すなわち、何かにつけて説明が求められるし(自分も求めてしまうけど・・・)、また、他人に説明できないことはわかっているとは言えないといような空気もあるけど(自分もそう思っていたけど・・・)、説明できないで許される世界があるとはある意味新鮮だ・・・。

まあでも、昔ながらの職人の世界というのはそういうものなのかもしれない。



また、他の事例として、第二次世界大戦中のイギリスにおける対空監視員が挙げられていた。彼らの仕事は、飛んでくる飛行機が帰還してくるイギリス機なのか爆撃しにくるドイツ機なのかを見分けることなのだが、ヒヨコの鑑別と同様、わかるけどなぜわかるのかを説明できなかったようだ。

もし説明至上主義にこだわっていたらイギリスは負けていたかもしれない?





ということで、説明至上主義的な考え方に染まりすぎないように注意したい・・・。
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2018-05-01 08:12 : 雑記 : 編集

意志とは何か? 「自由意志」「不自由意志」「捏造意志」・・・

「意識は傍観者である 脳の知られざる営み」(デイヴィッド・イーグルマン 著、大田直子 訳)という本の感想、3回目。

実験結果(動こうという衝動を意識的に感じる前に脳内活動が生じ始める)を紹介したあとに、自由意志の存在を確定する論拠は無いと書かれていた。
自由意志があるという私たちの希望や直観に反して、その存在を納得のいくように確定する論拠はいまのところない。

すなわち、人の「意志」とは、自分が意識的に自由に決められる「自由意志」ではなく、無意識のうちにいつの間にか決まっている言わば「不自由意志」とでも呼べそうなものなのだろう。

表現を変えると、人の「意志」とは、意識している自分の「意志」ではなく、自分の中の無意識の部分の「意志」ということか。



なお、自分が仕事をする上で困ることの一つは、何かをしたいという意志が希薄なこと。

「お前に意志は無いのか!」と責められたら返す言葉も無さそうだと密かに気になっている・・・。

人の「意志」が「不自由意志」だとすると、「意志」が希薄なのは意識している自分の「意志」が希薄なのではなく、自分の中の無意識の部分の「意志」が希薄ということになる。

無意識の部分の「意志」を自分が意識的にコントロールするのは難しそうなので、意識的にできそうなことは「意志」を持っているふりをすることくらいだろうか。言わば「捏造意志」。



ということで、「お前に意志は無いのか!」と責められそうになったら、意識的に何らかの「意志」を捏造していきたい・・・。





最後にまとめると、人の「意志」は意識的に自由に決められる「自由意志」ではなく無意識の部分が勝手に決める「不自由意志」のようであり、その「不自由意志」が希薄な自分は、(「意志」を持っていると思われる方が都合の良い場合には)「意志」を持ったふりをする(「捏造意志」)しかなさそうだ・・・。
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2018-05-01 00:11 : 雑記 : 編集
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プロフィール

ちゃーも

Author:ちゃーも
■自己紹介
・アラフォーサラリーマン
・さえないエンジニア
・お金好き、お酒好き、読書好き

■資産形成の方針
・仕事:開き直ってストイックに稼ぐ
・投資:パッシブに殖やす
・節約:消費するよりアーリーリタイア

■投資の内容
・インデックスファンドの積立投資
 (先進国株式、ゴールド)
・利用している主なファンド
 eMAXIS Slim 先進国株式インデックス
 たわらノーロード 先進国株式
 SMT ゴールドインデックス・オープン(為替ヘッジあり)

資産推移

資産状況202003

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