永遠に悟れないから夢や希望がある・・・

「図説・標準 哲学史」(貫成人 著)という本の感想、2回目。

前回に続いて「ミュンヒハウゼン(ほらふき男爵)・トリレンマ」の話。


「ミュンヒハウゼン(ほらふき男爵) ・トリレンマ」からすると、結局のところ、真理は永遠に誰にもわからない、ということになるのだろう。

ただ、「知らぬが仏」という言葉もあるように、真理がわからないからこそ人生に夢や希望を持ち続けることができそうだ。

というのも、真理を悟ることができたとしたら、その真理の範囲内の現実をのみ生きることになり、夢も希望も無くなってしまいそうだから・・・。




ということで、さえないサラリーマン生活を送りながらも、都合よく夢や希望を持ち続けるとしよう。

夢や希望を持つのにお金はかからないので、持ち放題なのだ・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-29 10:02 : 雑記 : 編集

ほらふき男爵のトリレンマに陥ってしまう・・・

「図説・標準 哲学史」(貫成人 著)という本を読んだ。

西洋哲学を流れに沿ってざっくり紹介しようとする内容。


「ミュンヒハウゼン(ほらふき男爵)・トリレンマ」という言葉が出てきてなるほどと思った。説明部分を抜粋。
すなわち、何ものかの最終的な基礎づけをもとめていくと、①基礎となるもののさらに基礎を求めることになる「無限後退」、②あらゆるものを基礎づけるのに、それによって基礎づけられたものをもちだす「循環」(ニワトリが先か、タマゴが先か)、③基礎づけの連鎖をどこかで断ち切って、最終的な出発点や根拠を想定する「独断」(アリストテレスの「第一原因」など)のどれかにおちいるというわけである。

物事の根拠を突きつめようとすると、①無限後退、②循環、③独断のいずれかに陥ってしまってうまくいかない、ということのようだ。

ということは、厳密には演繹法は使えないということだろう。

演繹法では普遍的な前提を用いて結論を出そうとするが、その普遍的な前提が正しいことの根拠づけができないのだから。

したがって、演繹法を使うためには、(数学の「公理」のように)それ以上は根拠を疑わない前提を取り決める必要があリそうだ。





というより、そもそも「ミュンヒハウゼン(ほらふき男爵)・トリレンマ」自体の根拠づけもうまくできないということなのかな。

すなわち、「ミュンヒハウゼン(ほらふき男爵)・トリレンマ」自体が「ミュンヒハウゼン(ほらふき男爵)・トリレンマ」に陥ってしまうまということか・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-29 07:18 : 雑記 : 編集

ガチな大河ドラマはドン引き・・・

「真説 戦国武将の素顔」(本郷和人 著)という本を読んだ。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など戦国武将たちの素顔を紹介しようとする内容。


「真説」や「素顔」という言葉の割にはちょっと物足りなく感じた。

ただ、歴史に名を残すような人は正規分布の端っこの人(すなわち変な人)であり、普通の訳がないことを改めて感じた。

NHKの大河ドラマでは、そのような歴史に名を残した変人たちが主人公になったりしているが、彼らのドラマをガチで再現すると現代人は共感するどころかドン引きするに違いない・・・。



自分もある意味正規分布の端っこの変な人かもしれないが、歴史に名を残さないタイプのただの変人のようだ。

周りからドン引きされないようにせいぜい気をつけたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-29 06:04 : 雑記 : 編集

理系サラリーマンの落とし穴? 自分が勝手に落ちているだけかも・・・

「哲学の教科書」(中島義道 著)という本の感想、3回目。


哲学と科学の違いになるほどと思った。
科学と言っても物理学から文学論までさまざまにありますが、そこに共通する骨組みは比較的はっきりしている。まず、科学は「客観性」をーーさしあたり実現しなくともーー求めます。客観性とは、同じ条件のもとにおいてはすべての(あるいは大部分の)人が対象を同じように把握するであろう、という信念から成っております。そこには私固有の意味づけや印象は除外されます。

非常に簡単化して言いますと、哲学とはあくまでも自分固有の人生に対する実感に忠実に、しかもあたかもそこに普遍性が成り立ちうるかのように、精確な言語によるコミュニケーションを求め続ける営み、と言えましょう。哲学的議論は、一方で普遍的な論証のかたちをとりますが、他方でそれが論証として成功してもそれだけでは充分ではなく、個人としての相手の実感に訴えかけねばならない。全身で「なるほど」と思わせなければならない。

次のように理解した。

科学は、周りとわかり合えることを前提としており、客観的に正しいと認められたわかり合える考え方(物理の法則や数学の公理)を出発点として考えたり、あるいは、その出発点となる客観的に認められる考え方を作り上げようとしたりする。

一方の哲学は、周りとわかり合えるかどうかに関係なく、また、出発点となる客観的に正しいと認められた考え方があるわけでもなく、普遍性があるであろう考え方をゼロから自分で勝手に考える。



改めて考えてみると、理系の自分は上記科学的な考え方に染まってしまっており、すなわち、出発点となる客観的に正しいと認められた周りとわかり合える考え方があり、自分はその考え方を出発点として考えればよいと思い込んでいる節がある。ある意味演繹的な考え方。

一方、サラリーマン社会を含めた現実社会では、客観的に正しいと認められたわかり合える考え方なんてなく、普遍性があるであろう(周りを説得できるであろう)考え方をゼロから自分で作り上げる必要がある。演繹的というより帰納的な考え方。




ということで、サラリーマン社会においては、理系的な仕事をしているとはいえ、科学的に正しいかどうかよりも周りを説得できるかどうかを重視するような哲学的?な考え方を自分で勝手に考えていきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-28 16:26 : 雑記 : 編集

ブログに「場の空気」を持ちこまない・・・

「哲学の教科書」(中島義道 著)という本の感想、2回目。


日本人とヨーロッパ人の言葉に対する態度の違いが印象的だった。

関連箇所を長々と抜粋。
わが国を厚く覆っている行為規範や美意識が、とことん言葉で勝負をつけるという姿勢、個々人が討議を積み重ねて真理に至るという態度を好まない。

ヨーロッパ人と付き合った人なら覚えがあるように、彼らはしつこいほど「なぜなぜ」と聞いてきます。

子供たちは「何でも聞きなさい」という先生の問いかけがじつは大嘘であること、質問してよいほんの少しのことの背景には質問してはいけない膨大な事柄があることを体感で学んでゆきます。そして、次第に疑問を感じても聞かなくなる。次に言語化しなくなる。そのうちに、恐ろしいことに疑問を感じなくなるのです。

つまり、日本人は言葉よりも場の空気を重視するようにしつけられている、ということと理解した。

場の空気を乱す言葉は暗黙のうちに禁止されているのだ。

なお、空気を読んだ行動ができないさえない自分の常套手段は黙り込むこと・・・。



そのようなことを考えていると、自分がブログを書き続けている理由の一つに、場の空気を読まなくても良いという点がありそうだと気付いた。

場の空気を読まずに(そもそも場の空気が無い)好き勝手に言語化しても、誰にも文句を言われることもないし、ごく少数のモノ好きな?方にひっそりと読んでいただければそれで満足なのだ。

これが、ブログを通して交流しようとしたりすると、場の空気が生まれてしまって黙り込んでしまう(書けなくなってしまう)結果になりそう・・・。



ということで、これからも空気を読まないブログをひっそりと書き続けて(言語化し続けて)いきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-28 08:37 : 雑記 : 編集

人間社会は生きる価値のある立派なもの・・・

「哲学の教科書」(中島義道 著)という本を読んだ。


「哲学の教科書」というタイトルながら哲学に教科書などあるはずがないと書かれていたり、また、哲学は病的なものと書かれていたり、「斜に構えた」という表現が当てはまりそうな本。
本書は哲学には「教科書」などあるはずがないということを、これでもかこれでもかと語り続けた『哲学の教科書』なのです。

世の哲学入門書は、哲学をあまりに無害なもの・品行方正なもの・立派なものとして語りすぎる。私の考えでは、哲学とはもう少し病気に近いもの、凶暴性・危険性・反社会性を濃厚に含みもつものです。

ひねくれ者の自分は、このような「斜に構えた」姿勢が大好き。

例えば、教育の現場や大概のメディアは「この人間社会は生きる価値のある立派なもの」というメッセージを暗に送ってくるように思うけど、人間社会なんて狂人が集まった病的なものに違いない。

逆にいうと、狂人だからこそそんな人間社会を生きていけるというのに、「まとも」を目指させてどうしようというのだろうか・・・。

生きていけるのは、例えばお金のことばかり考えるような狂人であり、品行方正な「まとも」な人ではない。




というような考えはひねくれ者の自分の偏見であり、人間社会は生きる価値のある立派なもので、また、サラリーマンとして働くことや貯金や投資は品行方正な立派な行為に違いない・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-28 05:40 : 雑記 : 編集

四分の一貯金法ならぬ二分の一貯金法・・・

「私の財産告白」(本多静六 著)という本を以前読んで、当時このブログにも感想を書いた。

その中で、(しばしば目にする)「四分の一貯金法」が出てきた。

収入の四分の一を強制的に貯金や投資に回すというような話。



積立投資を始めて5年が経過したこともあり、これまでの投資内容を振り返っていると、ここ5年間の自分は「二分の一貯金法」だと思った・・・。

すなわち、
・月々の給料の二分の一は積立投資(リスク資産)に回す(残りは生活費)
・年二回のボーナスの二分の一は貯金(安全資産)に回す(残りは生活費)



ということで、次の5年間も質素倹約なケチケチ生活(お酒は例外?)に努めて「二分の一貯金法」を続けていきたい・・・。




関連記事
『私の財産告白』を読んだ
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-27 23:32 : 雑記 : 編集

積立投資を始めて5年経過 資産は2倍になったけど・・・

2013年8月に投資信託の積立投資を始めて5年経過。

当初はひふみ投信などのアクティブファンドや債券のインデックスファンドにも投資していたけど、また、途中で新興国株式のインデックスファンドに投資したこともあるが、ここ3年くらいは先進国株式のインデックスファンドのみに落ち着いている。



この5年間で資産は順調に増えて約2倍になった。

しかし、増加分のほとんどはサラリーマンとしての給与収入であり、増加分に占める投資の利益が15%程度しかないのはちょっとさみしい気もする・・・。

また、リスク資産比率が33%(3分の1)に達し、ようやく資産運用っぽくなってきた?

なお、今現在の保有ファンド(リスク資産)は次の3つ。
1.たわらノーロード先進国株式
2.eMAXIS Slim 先進国株式インデックス (←今年の1月にニッセイ※から置き換えた)
3.会社の確定拠出年金の先進国株式インデックスファンド(ファンド名は秘密・・・)
※ニッセイは<購入・換金手数料なし>ニッセイ外国株式インデックスファンド


■資産推移
資産推移20180727

■安全資産とリスク資産の内訳
資産状況201807

■リスク資産比率の推移
リスク資産比率推移20180727
※リスク資産比率の最初の大きな(2.5ポイントくらいの)落ち込みは、ひふみ投資や債権ファンドを売却したとき





ということで、今後も引き続き積立投資を続けていきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-27 22:43 : 雑記 : 編集

サラリーマンが給料を得るために払う代償・・・

『「個人データ銀行」創設』という記事が、先日の日本経済新聞に掲載されていた。

三菱UFJ信託銀行は2019年にも、個人から購買履歴などのデータを預かり、民間企業に提供する「個人データ銀行」を始める方針を固めた。

個人はまず、自分の健康情報や行動記録など提供する情報を選ぶ。データを集めたい企業が利用目的や欲しいデータの種類をアプリ上で明示。個人は案件ごとに提供するか否かを決める。

個人情報を売ってお金を得る話のようだ。

個人情報を売るのは気持ち悪い気もするが、ネットの無料サービスを利用する見返りとして個人情報を提供しているのも同じようなものであり、今さら気持ち悪がっても遅いのだ。

また、このブログでも、ささやかな自己満足を得るために自ら個人情報をさらしている・・・。





なお、サラリーマンは何を売って(犠牲にして)お金(給料)を得ているのだろうかと改めて考えてみると、さえない自分の場合、命と健康以外のほとんど(時間・体力・気力・尊厳・良心などなど)を犠牲にしているように思う。

と言うより、さえない自分が収入を得るためにはそれらを犠牲にせざるをえないだろうから、むしろ命と健康以外は潔くあきらめることを戦略にしてなんとか稼いでいくしかなさそうだ・・・(アーリーリタイアできるまでは)。



一方、できるサラリーマンの場合、そもそも犠牲にしているというよりもゲームを楽しんでいるような感覚なのかもしれない。

どこまでが本音かわからないけど、「仕事がおもしろい」とか「ワクワクする」とかいう言葉を聞くこともあるし・・・。






ちなみに、できるサラリーマンからすると、そんなに仕事が嫌なら別の仕事をすればいいじゃないか、という話になるのかもしれないが、さえない自分が別の仕事をしたところでさえないに違いなく、なんとか継続してこれた今の仕事にしがみついた方が無難なのだ・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-22 10:40 : 雑記 : 編集

個人情報を基に人間偏差値がつけられる・・・

「AIが人を格付け」という記事が先日の日本経済新聞に掲載されていた。

個人情報を基にAIが人を格付けするという話。
人工知能(AI)が様々な個人データを分析し、人を「格付け」するスコアリングの技術が急速に発展する。とりわけ金融の与信審査などで世界中に広がっている。

代表的なのが中国の電子商取引大手、アリババ集団の「芝麻(ゴマ)信用」だ。個人情報の公開や交友関係、返済能力、信用力、行動特性の5つの視点でAIが個人データを分析。信用度を350点から950点の範囲で格付けする。

学生時代の「偏差値」を思い浮かべてしまった。人間偏差値・・・。

個人情報を基にAIが金融機関利用者の点数をつけるということのようだが、いずれは個人情報を基にAIが国民の点数をつけるようになったり、個人情報を基にAIが社員の点数をつけるようになったりしそうだ(すでにしてる?)。

そうなると、進化論が自然選択ではなくAI選択になってしまうということか?

すなわち、環境に適応した者ではなくAIの判定基準に適応した者が生き残る・・・。



環境に適応できていない自分としては、ある意味チャンスなのかもしれないが・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-22 05:04 : 雑記 : 編集

自分の意志で買ったのか? まんまと買わされたのか?

『「最適な広告」心を操作』という記事が先日の日本経済新聞に掲載されていた。

ネットでの検索や閲覧履歴などを基にしたターゲティング広告に関する記事。
データから「内向的な性格」と判断された人には控えめな宣伝文句を示し、逆に「外向的」な人には「皆の目はくぎ付け」との広告を出した。結果は購買率が50%上がった。

「ネット大手は消費者を知り尽くし、心にあわあせて狙い撃ちする。もはや意志の力では防ぎきれない」。米ワシントン大のライアン・カロ教授は競輪を鳴らす。技術が一線を越えていく。

「もはや意志の力では防ぎきれない」というフレーズが印象的だった。

改めて考えてみると、ネット広告に限らず、資本主義社会における消費活動は個人の意思で行われているのか? それとも(意志の力では防ぎきれないような)企業のマーケティング戦略にまんまと嵌められているのか?



サラリーマンの立場からすると、消費者にまんまと買わせるために新商品を出し続けているようにも思うが、消費者の立場からすると、自分が欲しいから買っているようにも思う。

まあでも冷静に考えると、素人の消費者がプロの企業にまんまと買わされているという構図なのだろう・・・。

例えば、「期間限定」と表示されたアルコールはついつい手に取ってしまうが、これはまんまと買わされているに違いない・・・。



ということで、サラリーマンの立場としてはいかに消費者に買わせるかを考えながらも、消費者の立場としてはまんまと買わされないように気を付けていきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-22 00:02 : 雑記 : 編集

国家権力に近づく人は自然主義者・・・

「欲望の時代の哲学 マルクス・ガブリエル日本を行く」というNHKの番組の感想、3回目。


哲学者千葉雅也氏との対談における、次のコメントが気になった。
自然科学は 最高の知識の一つですが あくまでも 一つの知識に過ぎません

世界共通の傾向ですが 国家権力に近づく人は 自然主義者なのです しかし自然主義はただのイデオロギーです たとえるなら自然主義は 気象変動と同じくらい危ない つまりこれは 私たちの時代の一番の知的な病です 私たちが闘うべき相手はこれです 
※自然主義:全ての現象を自然科学のみで説明しようとする立場


国家権力とはほど遠いが、理系の自分も自然主義的な考え方をしているように思う。

例えば、道徳的な行いも進化論的に考えてしまっているし(人が道徳的な行いをするはそのような行いをする人が生き残ってきた結果にすぎないに違いない)・・・。


なお、国家権力に近づく人が自然主義者なのも、自然主義者が権力を握るような国家が強くなって生き残った結果にすぎないのだろう・・・。

そして、国家権力に自然主義者が多くなれば、その結果として自然主義批判の需要が発生し、自然主義批判者が生き残ることができる・・・。





まあでも、自然主義よりも、自然科学や哲学などを自己満足や資産形成のための手段として都合よく利用するような、自己満足主義や資産形成主義でいきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-21 08:28 : 雑記 : 編集

見えない皇帝? 人の行動を支配するもの・・・

「欲望の時代の哲学 マルクス・ガブリエル日本を行く」というNHKの番組の感想、2回目。


ヒューマノイド研究者石黒浩氏との対談が印象的だった。

ドイツにはヒューマノイドに否定的な人が多いとのことで、それに関して次のような話をしていた。
ドイツ憲法の最初の一文にはカントによる人間の解釈があります 「人間の尊厳は不可侵である」とね 「人間の尊厳」はカントが与えてくれたコンセプトです

ドイツには大きな失敗があります 第一次世界大戦 そしてよりひどい第二次世界大戦です ドイツ社会として歴史を振り返った結果 あの失敗は「非人間化」のせいだったという見方が定着しています 強制収容所は非人間化の果てなのです

だから確固たる人間の概念が必要なのです 人間の概念が揺らげば 次に待っているのは強制収容所だからです 絶対に「人間とは何か」に疑いを持ってはならないのです 「決して繰り返すな」と思ってます

ドイツ人は観念論で統一されているのです 私たちには「見えない皇帝」があります 哲学がドイツの「見えない皇帝」なのです

すなわち、ヒューマノイドに否定的なドイツ人が多い背景には、ヒトラー政権など過去の失敗からの反省からくる『「人間の尊厳」の絶対視』があり、それは哲学(観念論)からくる、ということのようだ。

つまり、ドイツ人の考え方の根底には哲学(観念論)があり、それが「見えない皇帝」として考えや行動を支配しているということ。



一方、日本人にとっての「見えない皇帝」(というより「見えない将軍」?)は何だろうかと考えてみると、「世間の目(世間体)」のように思う。

すなわち、日本人の考えや行動は「見えない将軍」としての「世間の目(世間体)」に支配されているような・・・。

そしてそれが良きにつけ悪しきにつけこのような日本社会(治安は良いけど窮屈な社会)を作り上げてきたに違いない。



なお、「世間の目(世間体)」は第二次世界大戦に突き進んだ原因の一つのようにも思うが、そういう意味では反省が足りないのかもしれない・・・。



ということで、「世間の目(世間体)」が気になってしかたない自分は、「見えない将軍」に支配されすぎないように注意していきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-21 05:15 : 雑記 : 編集

働き方改革が日本人を追い詰める??

「欲望の時代の哲学 マルクス・ガブリエル日本を行く」という番組がNHKで放送されていた。

ドイツ人哲学者マルクス・ガブリエル氏が東京・大阪・京都を巡って対談や講演をする旅(出張)に密着して話を聞く内容。


「効率性」に関するコメントが気になった。
今日 毎日新聞の取材で話したのはね 「効率性」と「うつ病」の関係性だ あまりに高い効率性の中では 人は抑圧される

東京の電車でも人々はスマホに逃げ込んでたよね 効率性が自らを追い詰めている 強要されてもいないのに 自らそうしているね

日本では働き方改革で生産性(金儲け効率)を上げようとしているけど、それは正に「効率性」を上げようとする行為であり、自らを抑圧して追い詰めることになるということだろうか。

働き方改革でうつ病は増えるのか??



そもそも、生きること自体が非効率(無駄の塊)なのに効率性を求められるなんて、自己矛盾に陥ってしまうのだろう。

効率性を上げろというのは、極端に言うと死ねと言っているようなものに違いない(どうせ死ぬのなら無駄なことをせずにさっさと死ぬのが最も効率的・・・)。



ということで、働き方改革で効率性を上げろと言われても、効率性はほどほどにして無駄な人生を謳歌していきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-21 04:14 : 雑記 : 編集

「手書きの手紙」を受け取ったら要注意・・・

「ダマされない技術」(間川清 著)という本の感想、4回目。


「手書きの手紙」は相手をダマす最強のツールだそうな・・・。
手書きの手紙というものは、相手の心を動かすとても強い力があります。手書きの手紙は、書いた人が机に向かって自分のためにわざわざ時間を使い、頭をひねりながら、手間をかけて書いてくれたと想像させるものだからです。

手書きの手紙を受け取ったら、その内容によっては、少し「何か意図があるのではないか?」と考えるようにすると良いでしょう。

そう言われると、わざわざ手書きの手紙を書くということは、良きにつけ悪しきにつけ何らかの意図があるに違いない。

普通はついつい善意に解釈してしまいそうであり、そこにつけこまれるということか・・・。



ということで、手書きの手紙に限らず、相手の行為に善意を見たら裏があるに違いないと勘ぐるようにしたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-17 00:02 : 雑記 : 編集

おいしい投資話が自分に回ってくるはずがない・・・

「ダマされない技術」(間川清 著)という本の感想、3回目。


基本的ながら重要だと思うこと。
まず、ダマされない人になるために知っておいて欲しい心構えは、人は「おいしい話を他人に教えることはない」ということです。

普通に考えると、さえない庶民の自分においしい話が回ってくるはずがないのだ。

おいしい話をちらつかされたら、詐欺師と思って疑うべし・・・。





なお、そういう意味でアクティブファンドも微妙だな。

さえない庶民の自分が利用できるということは、たいしておいしい話(ファンド)ではないのだろう・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-16 07:35 : 雑記 : 編集

良心は淘汰される? ダマし上手が生き残る・・・

「ダマされない技術」(間川清 著)という本の感想、2回目。


「平気で人をダマす人がいる」という話が印象的だった。
米国の心理セラピストが書いた『良心を持たない人たち』(マーサ・スタウト著 草思社)という本があります。この本で著者は、アメリカでは25人に1人は、全く良心を持たない人が存在していると述べています。 

いわゆるサイコパスの話だが、25人に1人というのは想像以上に多い印象。

アメリカ社会で成功するためにはサイコパス的な性質が必要であり、そのような人たちが生き残った結果サイコパスの割合が高くなった(良心が淘汰された)ということだろうか??

日本社会の身近な例を見ても、組織のトップを務めるような人は普通ではなくサイコパス的な性質があるような・・・。



自分も普通の人とは言えそうにないが、残念ながら?サイコパスとは方向性が違うような・・・。

サイコパスが現代社会に適応した(生き残れる)異常だとすると、自分は適応していない(生き残れない)異常に違いない・・・。



ということで、サイコパス的な人にダマされないように注意するとともに、なんとか生き抜けるように努めていきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-16 06:05 : 雑記 : 編集

人を見たら詐欺師と思え・・・ 自分もだけど・・・

「ダマされない技術」(間川清 著)という本を読んだ。

ダマされないための心得についてアレコレ書かれた本。


ダマされる人の心理法則が8つ書かれており、なるほどと思った。

1.恐怖の法則
2.欲望の法則
3.お返しの法則
4.一貫性の法則
5.みんなと同じの法則
6.好意の法則
7.専門家の法則
8.残り一つの法則

これら8つに共通するのは「感情」を刺激される点にあるように思う。

そう考えると、ダマされないためには感情に流されず理性的に対応することが求められそうだ。

また、大前提として、「人は自分をダマそうとしている」ということを常に意識しておくことが必要だろう。



ということで、人を見たら詐欺師と思って理性的に計算高く対応するべし。

感情的に振舞う(感情的なふりをする)ことは必要かもしれないが、感情的になってしまったら負けだ。




なお、人を見たら詐欺師と思うのは人間不信みたいで寂しいけれど、人が生きていくためには詐欺師にならざるを得ないように思う。

もちろん自分も例外ではなく、自分が自分をダマそうとしている・・・。

ということで、(自分自身も含めて)人を見たら詐欺師と思え・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-16 00:02 : 雑記 : 編集

窓口に行くとこういう投資信託を勧められるんだろうな・・・

「海外株投信に流入増」という記事が先日の日本経済新聞に掲載されていた。

記事からの抜粋。
海外株で運用する投資信託への資金流入が増えている。2018年1~6月の公募投信には累計2.9兆円の資金が流入し、そのうち2.2兆円を海外株型が占めた。地域別では米国や新興国が目立つ。

特に人気なのが、人工知能(AI)や自動運転など次世代技術関連の株で運用する投信だ。1~6月に最も純流入額が多かったのは、BNYメロン・アセット・マネジメント・ジャパンが自動車関連企業で運用する「モビリティ・イノベーション」(3115億円)で、日興アセットマネジメントがロボット関連企業に投資する「グローバル・ロボティクス」(2080億円)が続いた。

「海外株投信」と聞くと、外国株式に投資するインデックスファンドをまっ先に思い浮かべてしまうけど、流入額が多いのはいわゆるテーマ型の投資信託のようだ。

しかも、半年間の流入額が3115億円や2080億円だなんて、外国株式に投資するインデックスファンドではお目にかかれないような大きな数字・・・。



いったいどんな人が買ったのだろうか?と考えてみると、おそらく、お金のある高齢者が金融機関の窓口で勧められるままに買ったんだろうな・・・。

「貯蓄から投資へ」の結果がこれ(投資先がテーマ型の投資信託)で良いのかな・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-15 08:02 : 雑記 : 編集

道徳の裏には下心・・・

「カント入門」(石川文康 著)という本の感想、4回目。


道徳と宗教の関係について書かれており気になった
道徳は幸福を約束したりそれを目指すのではなく、あくまでも幸福を受けるに値する人間になることを教える。

徳の研鑽は幸福を約束しないのである。それでもなお、理性は依然としてわれわれに最高善の促進を命じている。ゆえに、理性が自己矛盾におちいらないためには、最高善はどうしても可能でなければならない。そのことから理性はみずから、世界の創造者にして、同時に徳と幸福の結合の根拠を含む存在者、すなわち神の存在を要請する。
※「最高善」とは道徳と幸福を両立できる状態


次のように理解した。

道徳的な行いをしたからといって幸福になるとは限らない。それでも道徳的な行いをする(させる)ためには宗教が必要となる。

すなわち、宗教は道徳的な行いをすれば幸福になれるという希望をもたらす。



宗教への関心が薄い自分の場合、道徳的な行いをするのは宗教に導かれたからではなく、単に子供の頃に身に付けた習慣からのように思う。

ただ、改めて考えてみると、道徳的な行いはサバイバルや自己満足のための手段になっている。

つまり、道徳的に振る舞うことで余計な敵をつくらずに済むし、味方を増やすことができる。さらには他人のためになることで自己満足を得ることもできる・・・。





ということで、幸福のためよりもサバイバルや自己満足を得るための手段として、道徳的な行いを続けていきたい・・・。





なお、カント氏は道徳的な行いをするのに条件をつけてはいけないという考えのようだが、自分の場合、あくまでサバイバルや自己満足が得られるならばという条件つきであり、そういう意味では道徳的な行いの裏に下心があるのだ・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-15 05:28 : 雑記 : 編集

成功は自由意志のおかげ 失敗は自然法則のせい・・・

「カント入門」(石川文康 著)という本の感想、3回目。

人間は「理性界」と「感性界」の両方にまたがって生きている、という話が印象的だった。そう考えることで、自然法則に従いつつも自由意志をもつことに説明がつく。
人間は一方では、身体をもった感性的存在者として、空間・時間の制約のもとに現象界に属している。もう一方で彼は理性的存在者であり、空間・時間から解放されており、その意味で物自体に属している。

理性的である証拠に、人間は言葉を使用したり計算するなど、合理的認識をおこない、なによりも空間・時間の制約を免れた真理を認識することができる。しかし、もし人間が純然たる理性的存在者であったとすれば、彼は身体(感性的存在様式)をもたなかったであろう。逆に、もし人間が完全に感性的存在者につきるとしたら、彼は目的設定はもちろん、目的実現のための手段の選択(合理的行為)をおこないえなかったであろう。

要するに、人間は理性界(英知界)と感性界の両方にまたがって存在しているのである。

すなわち、人間は、身体を持っているという点では空間と時間の制約がある感性界に生きており、また、合理的な認識を行うことができるという点では理性界に生きている、ということのようだ。

そのように考えることで、自然法則に従いつつも自由意志を持っていることを矛盾なく説明できる。

つまり、感性界に属す身体をもつゆえ自然法則に従い、理性界に属す合理的な認識をもつゆえ自由意志をも有する。



まあでも、矛盾なく説明できるかどうかとそれが正しいかどうかは別だろうけど。科学的に自由意志は無いと聞いたこともあるし・・・。





というようなことをアレコレ考えると、成功は自分の自由意志のおかげと考えて、失敗は自然法則のせいと考えるような、都合の良い解釈をするのが良いように思う。

というような考えが自然に頭に浮かんできた・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-15 00:21 : 雑記 : 編集

投資でお金を無限に増やすことができるのか問題?? 投資のアンチノミー・・・

「カント入門」(石川文康 著)という本の感想、2回目。


純粋理性のパラドックス「アンチノミー」が印象的だった。

次の「テーゼ」と「アンチテーゼ」は共に成り立たずに矛盾するという(第一アンチノミー)。
テーゼ:世界は空間・時間的に始まりを有する(有限である)。
アンチテーゼ:世界は空間・時間的に無限である。

すなわち、世界が時間的な始まりを有するのであれば、それより前には何もなかったということであり、すなわち、無から有が生まれたということになりおかしい。

一方、世界が時間的に無限であれば、今現在までに無限の時間が過ぎ去ったことになるけど、過ぎ去ったということは有限だったのでは??(無限であればいつまでたっても過ぎ去らないのでは??)と考えるとおかしい。

ということで、世界は有限だと考えるのもおかしいし、無限だと考えるのもおかしい。理性的に考えると破綻する・・・。





真似をして「利子のアンチノミー」?を考えてみた。

テーゼ:お金を貸し続けると利子でお金を無限に増やすことができる
アンチテーゼ:お金を貸し続けても利子でお金を無限に増やすことはできない(増えるお金は有限)

まず、お金を無限に増やすことができるとすると、世界のお金の総量が無限大となっておかしい。

一方、増えるお金が有限だとすると、逆に考えるとお金を借り続けても支払う利子は有限でよいことになりおかしい(パケ放題みたいな感じ・・・)。

ということで、理性的に考えると利子は破綻する??





なお、「長期投資のアンチノミー」?は大丈夫??

テーゼ:長期投資を続けるとお金を無限に増やすことができる
アンチテーゼ:長期投資を続けてもお金を無限に増やすことはできない(増えるお金は有限)

ますます増え続けるであろう世界の投資人口で、限られたリターンをとり合うことになるように思うけど、破綻しないのか・・・。







ちなみに、上記「第一アンチノミー」の矛盾を回避するために、カント氏は空間と時間は世界のありのままの姿ではなく、人間が主観的に認識するだけと考えたようだ。
空間と時間は、通常は物のありのままの姿(物自体)を反映する条件とされている。しかし、そのような健全で常識的な見方を普遍化した場合、理性が自己矛盾におちいり、逆に空間と時間を主観の性質と想定した場合、自己矛盾が回避され、解決されるとすれば、その想定は――常識感覚からいかに非常識に見えようと――正当であろう。

すなわち、世界には「空間」や「時間」があると人間が勝手に認識(錯覚)して、勝手に自己矛盾に陥っているだけということか・・・。



とすると、世界には「お金」があると人間が勝手に認識(錯覚)して・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-14 08:08 : 雑記 : 編集

資産形成にいたる信念・・・

「カント入門」(石川文康 著)という本を読んだ。

カント(哲学者)の考えを紹介する内容。


「根本原理は原理的に証明不可能」というのが気になった。
おそよ証明とは、なんらかの物事に根拠を与える手続きである。根拠を与えられるその物事は、それ自身根拠でありえない。したがって物事の根本ではない。

逆にいえば、物事の根本は物事を根拠づけうるが、それ以上の根拠によって根拠づけられることはない。それ以上さかのぼる根拠がありえないからこそ根本原理だからである。ゆえに、根本原理は原理的に証明不可能である。

理系な自分としては、根本原理を数学の公理と考えるとわかりやすい。公理から出発して多くの定理を導き出す(証明する)けど、公理自体を証明することはできない。公理は決めごとなのだ(極端にいうとスポーツのルールのようなもの)。



人生について考えてみると、「信念」が根本原理(公理)といえそうだ。

すなわち、全ての行動のよりどころは信念だけど、信念自体の拠り所はなく、各自が勝手に決めたこと・・・。



自分の場合、「自己満足の最大化を人生の目的とするべし」というのが信念(勝手に決めた・・・)。

したがって、全ての行動は自己満足の最大化のためであり、すなわち、全ての行動は自己満足を最大化するための手段である。

よって、資産形成も自己満足を最大化するための手段の一つ。




ということで、カント氏は「理性の矛盾を解明するべし」という信念のもと哲学に励んだのかもしれないが、自分は「自己満足の最大化を人生の目的とするべし」という信念のもと資産形成に励んでいきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-14 07:32 : 雑記 : 編集

最も重要だと思うけど難しいこと・・・

「哲学用語図鑑」(田中正人 著、斎藤哲也 編集・監修)という本の感想、7回目。


約200個の哲学用語が解説されているが、個人的に最も重要だと思ったのがよく聞く「中庸」。
人が幸福に暮らすためには、倫理的徳を身につけることが重要だとアリストテレスは言います。そのためには、正しい知識や高い技術を持つだけでは不十分で、つねに中庸をとる習慣(エートス)を心がけるべきだと主張しました。

さえない自分はすぐに両極端に走りがちになるため、「何事もほどほどにバランス良く」の中庸が大切と心掛けているつもりだけど、それが難しい・・・。



特に難しいのが仕事の場面。

どこまでだとやり足らず、どこからどこまでが中庸(ほどほど)で、どこからがやりすぎなのか?

例えば、土日のどちらか1日を仕事に充てるのは中庸なのか、やりすぎなのか、それとも1日では少ないのか?

また、自分の仕事をやり遂げるために、他人をどの程度犠牲にするのが中庸なのか?

あるいは、経済活動のために、自然環境をどの程度破壊するのが中庸なのか?

さらには、ニュースに取り上げられるような企業の不祥事は本当にやりすぎなのか?それとも(メディアがヒステリックに取り上げるだけで)まだまだやり足りないのか?あるいはほどほどな中庸なのか?



要するに、「金儲けのために」という(資本主義社会における)大義名分のために、どこからどこまでの犠牲を払うのが中庸なのか?というのがさえない自分には難しい・・・。






というより、そもそも客観的な「中庸」なんてありえず、自分なりの主観的な「中庸」をゴリ押しするしかないのか?








というようなことを中庸に欠ける自分がアレコレ考えてみたところで、結局は極端な考えに陥りそうなのでほどほど(中庸)で切り上げるとしよう・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-14 06:32 : 雑記 : 編集

インデックスファンドへの投資にいたった哲学?

「哲学用語図鑑」(田中正人 著、斎藤哲也 編集・監修)という本の感想、6回目。


自分はインデックスファンドに投資しているけど、その選択をした背景にある考え方はこの本に出てきた2つの哲学用語と関係ありそうと感じた。

すなわち、「無知の知」と「イギリス経験論」。


「無知の知」はいわゆる「知らないことを知っている」であり、すわわち、儲かる銘柄を知らないことを知っているからインデックスファンドに投資する。

一方の「イギリス経験論」では帰納法で正しい知識を身につけられると考える。すなわち、(帰納法的に)過去の事例から推論すると利益が出そうだからインデックスファンドに投資する。



ということで、選択した背景には「無知の知」や「イギリス経験論」のような考え方があることを頭の片隅に置きつつ、インデックスファンドへの投資を続けていきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-08 07:08 : 雑記 : 編集

開き直ってストイックに稼ぐ・・・

「哲学用語図鑑」(田中正人 著、斎藤哲也 編集・監修)という本の感想、5回目。


このブログのプロフィール欄に「開き直ってストイックに稼ぐ」と書いているが、この本に出てきた2つの哲学用語と関係がありそうと気付いた。

すなわち、「ストア派」と「ニヒリズム」。


「ストア派」は「ストイック」という言葉の由来だそうで、欲望を理性で抑えて禁欲的に生きることを良しとする。嫌になる気持ちを理性で抑えて禁欲的に働くべし。

一方の「ニヒリズム」は既存の価値を否定する考え方。サラリーマンとして働くことに価値や意義を見出せないけど、開き直って働くべし。



ということで、「ストア派」的で「ニヒリズム」なサラリーマン生活を送っていきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-08 06:07 : 雑記 : 編集

溶け込めないサラリーマン社会・・・

「哲学用語図鑑」(田中正人 著、斎藤哲也 編集・監修)という本の感想、4回目。


哲学にはいろいろな考え方や世界観がある。

それらはサラリーマン社会の考え方や世界観とは大きく異なるため、哲学に馴染みすぎるとサラリーマン社会に違和感を感じるようになりそうで危険な香りもする。

また逆に、いろいろな考え方や世界観を学んだ方が、サラリーマン社会の考え方や世界観を客観視できるようになり、より戦略的に対応できるようにも思う。


すなわち、余計な考え方や世界観を学ばずにサラリーマン社会に染まるべきか、それとも、いろいろな考え方や世界観を学んでサラリーマン社会を戦略的に泳ぐべきか。


といっても、さえない自分はそもそもサラリーマン社会に溶け込めていないため、開き直って後者を目指すしかないような・・・。




ということで、引き続きいろいろな考え方や世界観を学んで、溶け込めないサラリーマン社会をなんとか生き抜く術を見出していきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-08 05:28 : 雑記 : 編集

金儲け原理主義・・・

「哲学用語図鑑」(田中正人 著、斎藤哲也 編集・監修)という本の感想、3回目。


西洋の思考の癖が気になった。
系統図に代表されるように、西洋の思考は、1つの絶対的なものから展開していく思考に取りつかれているとドゥルーズとフェリック・ガタリは考えました。これをトゥリー(樹木)に例え、ときに1つの体系に組み込まれないものを排除する考えだと彼らは言います。トゥリーに対抗する発想として彼らはリゾーム(根)を提唱します。

トゥリーに対してリゾームは始まりも終わりもありません。網状に逃走線を持ち、縦横無尽に広がります。リゾームのイメージで物事を捉えると、ヘーゲルの弁証法のように異なった考えを統一していくのではなく、差異を差異のまま認め合う発想ができるとドゥルーズとガタリは考えました。

「1つの絶対的なものから展開していく」というトゥリー(樹木)の思考には一神教(キリスト教)の影響があるのだろう。

また、そのような考え方は理系的な考え方でもあり、そういう意味では科学と一神教は相性が良さそうだ(どこかで読んだ気もする・・・)。



理系な自分もトゥリー(樹木)の思考に取りつかれてそうであり要注意と感じた。



また、サラリーマン生活においてもトゥリー(樹木)の思考を強いられるような。

すなわち、金儲けという絶対的なものから思考を展開していき、金儲けにつながらないものはムダとして排除される・・・。

ある意味お金を神とした一神教のようなものか・・・。




ということで、アーリーリタイアを実現できるまでは金儲け教団の一員として金儲け原理主義に参画し続けていきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-07 08:24 : 雑記 : 編集

この世界の全ては自己満足するための道具・・・

「哲学用語図鑑」(田中正人 著、斎藤哲也 編集・監修)という本の感想、2回目。


「道具主義」が気になった。
デューイは知識それ自体に価値はなく、人間にとって有用な道具でなくてはならないとする道具主義を唱えました。

「道具主義」とは、極端に言うと、「役に立つかどうかがすべて」ということと理解した。

個人的には非常にしっくりくる考え方。



人生の目的を1つ定めると、その他のことは全てその目的を達成するための手段(道具)となる。

例えば、人生の目的を「自己満足の最大化」と定めると、この世界の全ては自己満足を高めるための道具と考えることができる。

哲学もお金もお酒も読書もブログも、全ては自己満足を高めるための道具なのだ。



ただ、他人から見ると、自分は他人が目的を達成するための道具の一つに過ぎないということになりそうだ・・・。





道具として使われるよりも、あらゆる道具をうまく使いこなせるように努めていきたい。

特に、サラリーマン生活をいかに自己満足を高める道具にするかが問題だ・・・。






というような「道具主義」という役に立ちそうな道具・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-07 06:16 : 雑記 : 編集

「道徳」は弱者の戦略・・・

「哲学用語図鑑」(田中正人 著、斎藤哲也 編集・監修)という本を読んだ。

豊富なイラストを用いて説明されており、とっつきやすくて読みやすい哲学の本。



「道徳という価値を捏造した」という話が印象的だった。
弱者が、力ではかなわない強者のことを悪に仕立て上げ、自分を納得させる心理をニーチェはルサンチマンと呼びます。

キリスト教は、人々の心の中にあるルサンチマンを道徳という言葉に変えて正当化したので、爆発的に受け入れられたのだとニーチェは考えました。

ニーチェによれば人間の弱者は束になって、実際の力ではかなわない強者を「思いやりがない」とか「欲が深い」と決めつけ、精神的に優位に立とうとします(ルサンチマン)。このような弱者の畜群本能が道徳という価値を捏造したのだとニーチェは考えました。

つまり道徳は大多数である弱者が少数派の強者に抵抗するための生存本能だというわけです。そしてキリスト教はこれを支持したため、爆発的に広まったのだとニーチェは考えました。

個人的には大変納得できる話。弱者な自分が生きてこれたのは「道徳」のおかげに違ない。

ただ、人類全体の存続を考えると、そんな弱者な自分が生き残ることは果たして良いことなのか?

自分のような弱者ばかりが生き残ると、人類全体が弱体化してしまうような・・・。





ちなみに、経済活動においては「道徳」よりも「金儲け」が重視されるため、「道徳」があまり通用しないのが弱者な自分にとっては辛いところ。

すなわち、サラリーマン生活では「道徳」という盾があまり機能しないのだ・・・。

今さらながら、「道徳」に代わる別の盾を探さなければ・・・、あるいは剣を・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-07 05:06 : 雑記 : 編集

正しくなくても生き残った者勝ち・・・

「知識ゼロからの哲学入門」(竹田青嗣 著)という本の感想、3回目。


「世界像」に関する記述が気になった。
誰もが、自分の「世界像」を持っている。だが、誰もがどこかに正しい「世界像」があるはずと考えていた。そして、そのことで共感し合ったり、逆に喧嘩し合ったりしてきた。しかし見たように、絶対的に正しい「世界像」というものは存在しない。多数派の世界像と少数派の世界像があるだけだ。

「世界像」でいちばん大事なのは、それが「正しいか否か」ではなく、その人の生をよく生かすか、また、社会的に良い関係をつくり出すかどうかということだ。だから、正しい「世界像」という考えより、みなが納得できるような、より有益で、有効な世界像をつくることが大事だ。

哲学や宗教は個人の「世界像」に大きな影響を及ぼすけど、正しい「世界像」をもたらす哲学や宗教よりも、生き残るのに適した「世界像」をもたらす哲学や宗教が大切なのだ。

というより、そのような哲学や宗教が結果的に生き残って広まっていく。



例えば、キリスト教の教えは科学的に正しいとされる進化論に反しているらしいけど、そんな問題よりも、キリスト教の信者が世界で一番多いという事実が重要。

すなわち、キリスト教の影響を受けた「世界像」は正しくないかもしれないが、人が生き残るのに適しているに違いない。



そうは言っても、ついつい「正しさ」を求めてしまいそうになるのは学校教育の影響だろうか?

いち生物としては、「正しさ」よりも「生き残り」の方が断然第一優先に違いない。

乱暴に言うと「正しくなくても生き残った者勝ち」なのだ・・・。



ということで、正しい「世界像」ではなく、生き残るのに適した「世界像」の獲得を目指していきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-01 11:03 : 雑記 : 編集

「希望」は無いと割り切って先に進もう・・・

「知識ゼロからの哲学入門」(竹田青嗣 著)という本の感想、2回目。


カントの「アンチノミー」に関する話が気になった。
アンチノミーが示したのは、理性は世界の極限を問えない、推論でもって客観的な世界など認識できない、ということだ。これは大変なことだった。人間は世界とは真に何かを知ることができない、と証明してしまったのだから。

さて、こうして、カントのアンチノミーの原理は、宗教や信仰の真理を信じていた多くの人びとに、深い「失望」を与えた。でも、いまから見ると、まさしくこのことでヨーロッパ人は、新しい「希望」を見出したと言える。

というのは、それまでの人びとは、信仰の真理を見つけることで、世の中の矛盾をよくできるはずだという信を持っていた。この信が完全に壊されたことで、初めて人びとは、人間や社会の構造について、新しい合理的な仕方で考え、これを改変しようとする道へ進み出たからだ。

中途半端に「希望」をちらつかされてあいまいにされるよりも、「希望」は無いと断言されたほうが割り切って先に進むことができる、というような話と理解した。



さえない自分にとっては、サラリーマン生活に「希望」を見い出そうとするよりも、「希望」は無いと割り切った上でどうすべきか考えた方が(別の「希望」を探した方が)よっぽど生産的なのかもしれない。



なお、極端に言うと、人は必ず死ぬという意味では人生に「希望」は無いと言えそうだけど、割り切って別の「希望」(各自で異なる)を見出すことで皆元気に生きているのだろう・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-01 06:23 : 雑記 : 編集

宗教は信じる 哲学は疑う サラリーマンは信じるふりをして全てを疑う・・・

「知識ゼロからの哲学入門」(竹田青嗣 著)という本を読んだ。

素人向けの哲学入門書。


「宗教のテーブル」「哲学のテーブル」という言葉が印象的だった。長々と抜粋。
私は哲学の基礎方法を説明するのに、よく「哲学のテーブル」と、「宗教のテーブル」の話をする。たとえば、ちょっと変わった人(始祖)がいて、謎めいた言葉を語り出す。人びとは、この人は少し常人離れしてはいるがすごくすぐれたところを持ち、しかもその言うことは、人間が生きるうえでとても大事なこと、欠いてはならないことが言われているぞ、と感じる。そういう共同的な「信」が現れると、「宗教のテーブル」が成立する。

「宗教のテーブル」は、教祖の言葉を信じる人びとのコミュニティになるが、「哲学のテーブル」は出入り自由であり、多様な生活、多様な価値観を持った人が自分の興味にしたがって集まる。このことがとても大事だ。そして、いろんなテーマを提出し、「原理」(キーワード)を示し合って、”この問題については、誰が見てもこう考える以外にはない”、といえるような考え方のすじ道を探して進むのだ。したがって哲学は、「真理」を見出すゲームではなく、むしろ、つねにより大きな「共通了解」を”つくり出す”ための「洞察のゲーム」というのがふさわしい。

いち素人の理解としては、宗教は「信じる」ことが肝で、哲学は「疑う」ことが肝。

宗教は信じる人を増やすことで発展し、哲学は疑い合うことで発展していく。

宗教では信じる人が救われて、哲学では疑う人が報われる。



一方、「信じる」と「疑う」というキーワードで考えたとき、サラリーマンはどちらだろうかと考えてみると、表向きは経営層や上司の言うことを「信じる」ふりをして、かつ、内心では全てを「疑う」ことを強いられているように思う。

言わば「信者の顔をした哲学者」になることを求められているような・・・。

なんだか矛盾しているように思うが、矛盾がお金を生むと割り切ってサラリーマン生活を送っていきたい・・・。





というより、サラリーマンの世界に限らず、人間社会を生き抜くためには「信者の顔をした哲学者」になること(信じているふりをしながら疑うこと)が必須に違いない・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2018-07-01 05:21 : 雑記 : 編集
ホーム

プロフィール

ちゃーも

Author:ちゃーも
■自己紹介
・アラフォーサラリーマン
・さえないエンジニア
・お金好き、お酒好き、読書好き

■資産形成の方針
・仕事:開き直ってストイックに稼ぐ
・投資:パッシブに殖やす
・節約:消費するよりアーリーリタイア

■投資の内容
・インデックスファンドの積立投資
 (先進国株式、ゴールド)
・利用している主なファンド
 eMAXIS Slim 先進国株式インデックス
 たわらノーロード 先進国株式
 SMT ゴールドインデックス・オープン(為替ヘッジあり)

資産推移

資産状況202003

検索フォーム