今の収入をいつまで維持できるか・・・

「富士通、5000人配置転換へ」という記事が先日の日本経済新聞に掲載されていた。

記事からの抜粋。
富士通は26日、2020年度をめどにグループ全体で5000人規模を配置転換する方針を示した。対象は人事や総務、経理などの間接部門で、成長分野であるIT(情報技術)サービス事業に振り向ける。

対象とする間接部門にはグループ全体で約2万人の社員がいる。研修を通じて営業やシステムエンジニアなどITサービスに関わる職種への転換を促す。

5000人という数の多さもさることながら、間接部門(人事・総務・経理など)の社員を再教育して営業やシステムエンジニアにしようとするのは大変そうだと思った(システムエンジニアって再教育してすぐになれるものなのだろうか?)。

企業側も狙っているのだろうが、辞めていく社員も多いに違いない・・・。



自分も一サラリーマンとしてはまったく他人事ではなく、明日は我が身かもしれない。

来月から営業に配置転換なんて突然言われたらどうしよう・・・。

コミュニケーション能力の低い自分をいくら再教育したところで、営業マンにはなれそうにない・・・。



ということで、今の収入をいつまで維持できるかわかったものではない、ということを再認識した。

収入のある今のうちに資産を形成して、いつ減給や失職の目に遭ってもいいように備えておきたい。

待ってましたとばかりにそれを機にアーリーリタイアできるくらいの資産を形成しておくのが理想なんだけど・・・。
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2018-10-29 19:49 : 雑記 : 編集

感情のコントロールは三人称の独り言で・・・

「ストレスを吹き飛ばす独り言のスゴい効果」という記事がニューズウィーク日本版2017年9月12日号に掲載されており、気になった。

記事からの抜粋。
オンライン学術誌サイエンティフィック・リポーツ7月号に掲載された論文によれば、頭の中で自分に話し掛けると感情をコントロールしやすくなる。

コツは一人称ではなく三人称を使うこと。例えばジムという人がいたとする。プレゼンの直前に不安になったら、「ジムは本番で失敗して、みんなにバカにされるのが怖いんだ」と頭の中でつぶやく。

人は三人称で語ることで、「少し心理的な距離を取り、自分の思考や感情を見つめることができる」と、モーザーは結論付けた。

三人称を使うことで自分を客観視できる点がポイントなのだろう。

すなわち、唯一無二の特別な自分に起こっている一大事のように感じていたことを、大勢の大衆がそれぞれに抱えている問題の一つにすぎない、というように感じられるようになりそうだ。

お手軽で効果はありそうな気がするので、三人称の独り言を試してみたい。





というようなことをちゃーもさんは考えているようだ。

ちゃーもさんは本当に三人称の独り言を試してみるのだろうか・・・。
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2018-10-29 17:15 : 雑記 : 編集

家にいながら登山を満喫・・・

「グレートトラバース」という番組がNHKのBSにて放送されている。

プロアドベンチャーレーサー田中陽希氏が日本各地の山々を登りながら徒歩とカヤックだけで日本縦断する様子を紹介する内容。

日本百名山を踏破する「グレートトラバース」
日本二百名山を踏破する「グレートトラバース2」
日本三百名山を踏破する「グレートトラバース3」
があるようで、今現在は「グレートトラバース」が平日の朝に再放送されており、また、「グレートトラバース3」が毎月第一土曜日に放送されている。



登山と言えば、中高生時代に体験学習で経験した程度だけど、ド田舎出身でさえないサラリーマン生活を送っている自分は、自然の美しい風景とサラリーマン生活とは違う田中陽希氏の姿に見入ってしまう。

また、登山は危険を伴うイメージがあり(時々ニュースで山の事故が出てくる)ハードルが高いような気がしていたけど、例えば、関西の六甲山などは住宅街のすぐ側で登山が楽しめるようであり、俄然興味が湧いてきた。

ただ、残念なことに家の近くに山がない・・・。



ということで、登山はリタイア後の楽しみにでもとっておくとして、当面は「グレートトラバース」を観て疑似登山を楽しんでおくとしよう・・・。





なお、日本には山が多いなと今さらながら思った・・・。
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2018-10-29 12:15 : 雑記 : 編集

皆が「生きがい」に現を抜かしている隙に自分は・・・

「生きがいが幸せのカギ」という記事が先日の日本経済新聞に掲載されていた。

脳科学者茂木健一郎氏へのインタビュー記事。


気になる部分を抜粋。
最近主流の米国流の価値観では人生の目的は成功が全てであり、スター=幸せになれるのは一部の人だけです。しかし本来、日本人にとって『生きがい』を見いだすことはごく当たり前のことで、成功を求めることとは違う生きざまでした。

日本ではどんな立場の人にも尊敬の念と活躍する場に応じた生きがいがありました。欧米とは違った価値観を形成していたのです。しかし、最近の日本人は米国流に影響されたのか、それを見失いがちになっています

「生きがい」よりも「競争(成功)」重視になってしまうのは、実力主義を取り入れる企業などの組織の方針や、生産性を重視するような社会の風潮の影響が大きいように思う。

企業の人事制度なんて(サンプル数は極めて少ないけど)、「社員は皆競争を勝ち上がりたがる」ということを前提にしているとしか思えないし、また、企業に限らず大学などにも競争原理が浸透していっているようだ。

社会全体が競争社会に向かっている、と言っても間違いではないだろう。

そんな環境に身を置くと、「生きがい」よりも「競争」重視になってしまうのは当たり前のことと思うし、また、そうしないと生きていけないように思う。特に、自分のようなさえない人は・・・。



ただ、もし今後、「生きがい」をもっと重視するように見直されるようになったら、さえない自分にとってはチャンスなのかもしれない。

すなわち、皆が「生きがい」に現を抜かしている隙に、さえない自分は「生き抜く」ための活動に精を出すことで、皆との差を埋めることができるかもしれない。



ということで、もし今後「生きがい」を重視するような社会になったとしても、さえない自分は「生きがい」よりも「生き抜くこと」を重視し続けていきたい。

理想は、皆が「生きがい」に現を抜かしている隙に自分は「生き抜く」ための活動に精を出す、という感じ・・・。







なお、とは言いながら、グローバル化が進んだ今となっては、「競争」よりも「生きがい」を重視するような社会にはなかなかならないように思う。

「生きがい」は「競争」に淘汰されてしまうに違いない・・・。
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2018-10-28 14:36 : 雑記 : 編集

お金を貯めたら幸せになれるか・・・

『仏教と科学が発見した「幸せの法則」 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』(アルボムッレ・スマナサーラ、前野隆司 著)という本の感想、5回目。


前野隆司氏が提唱する幸せの四つの因子が紹介されていた。
幸福学の研究で、金・物・地位を目指す幸せは長続きしないことがわかっています。しかし、多くの人はそういった地位財(地位として比較できる財)を手にいれようとしがちです。

それに対して、非地位財とは他人と比較しない財です。他人が持っているかどうかとは関係なく喜びを得られる幸せにつながります。非地位財の幸せには、健康、安全、それから私が研究で見出した四つの因子があります。

第一因子:自己実現と成長(やってみよう因子)
 目標を達成したり、目指すべき目標を持ち、学習・成長していること
第二因子:つながりと感謝(ありがとう因子)
 多様な他者とのつながりを持ち、他人に感謝する傾向、他人に親切にする傾向が強いこと
第三因子:前向きと楽観(なんとかなる因子)
 ポジティブ・前向きに物事をとらえ、細かいことを気にしない傾向が強いこと
第四因子:独立と自分らしさ(ありのままに因子)
 自分の考えが明確で、人の目を気にしない傾向が強いこと

個人的には、「お金」の扱いが低いのが気になった。四つの因子には入っていないし、また、地位財に分類されているということは「お金」によって得られる幸せは長続きしないと考えられているということだろう。

自分の感覚としては、お金(貯金)から得られる安心感(例え今失職したとしても今後数年間はなんとかなりそうだ)は、かなり幸福感につながっているように思う。

ただ、そう思うのは、自分が心配性な性格で、かつ、お金を稼ぐのに苦労しているさえないサラリーマンだからかもしれないが・・・。



まあでも、そんな心配性でさえない自分は、幸福感を得るための手段という意味でも資産形成に励んでいきたい。

お金を貯めて幸せになろう!!






ちなみに、そのようなことを考えると、自分が倹約家(ケチ)なのは、お金が減ることに恐怖感を感じてしまうからかもしれない。

今このささいなことにお金を使ってしまうと、将来本当に必要な時(命にかかわるような時)に足りなくなってしまうかもしれないのだ・・・。
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2018-10-28 08:08 : 雑記 : 編集

「悟り」には四段階で到達できるそうだけど・・・

『仏教と科学が発見した「幸せの法則」 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』(アルボムッレ・スマナサーラ、前野隆司 著)という本の感想、4回目。


スリランカ上座仏教長老スマナサーラ氏の「悟り」に関するコメントが気になった。
悟りは四段階に設定されています。自分が錯覚だとわかったら、悟りの第一段階は合格です。その後は必ず、最終的な悟りにまで達します。第二段階では、生きる上での欲と怒りが薄くなります。欲と怒りが薄くなっても生きられるようになります。第三段階では、欲と怒りが一切なくなります。一切なくなっても生きられます。このような人は、すでに究極の幸せにいますが、第四段階では「生きていたい」という気持ちを諦めて、執着を一切捨てます。

第一段階の「自分が錯覚だとわかる」とは、「自分に自由意志が無いことがわかる」というようなことだけど、現代科学でも自由意志は無いと考えられているので通じるところがありそうだ。

それはさておき、これが「悟り」であるならば、今の自分にはあまり重要とは思えないし、また、比較的容易に「悟れ」そうな気もする。

というのも、さえない自分にとっては、そんな「悟り」よりも、いかに「生き抜く」かの方がよっぽど重要な問題であり、また、断然ハードルが高そうに思う。

そして、「生き抜く」ためには、「悟り」なんかよりも「自由意志があるという錯覚」や「欲」や「怒り」や「執着」の方が欠かせないに違いない。



ということで、「悟り」や宗教に惑わされることなく、「自由意志があるという錯覚」や「欲」や「怒り」をうまく使って、なんとか生き抜くことに「執着」していきたい・・・。







そもそも、悟った人は生きていけるのだろうか・・・。
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2018-10-28 00:02 : 雑記 : 編集

真理を発見しようとする人の心構え10項目・・・

『仏教と科学が発見した「幸せの法則」 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』(アルボムッレ・スマナサーラ、前野隆司 著)という本の感想、3回目。


真理を発見しようとする人の心構え十項目が紹介されていた。お釈迦様が挙げた十項目とのことで興味深かった。
一.口伝(仙人が神々から聞いたという教え)だからと信じてはいけない。
二.伝承(先祖代々伝えられた教え)だからと信じてはいけない。
三.伝聞(ニュースや風説)だからと信じてはいけない。
四.聖典だからと信じてはいけない。
五.論理的(演繹法の論理に適う)だからと信じてはいけない。
六.推測に合っている(帰納法の論理に適う)からと信じてはいけない。
七.言葉が巧みだからと信じてはいけない。
八.結論が自説と同じだからと信じてはいけない。
九.あり得る話だからと信じてはいけない。
十.聖者の語った言葉からだと信じてはいけない。

なお、お釈迦様は、自分が言っていることは真実だけど、自分の言葉をただ信じるだけではだめで、自ら確かめなさいと言っていたそうな。

全てを疑わせて訳のわからなくなった状態にしておいて、自説を吹き込む戦略ではなかろうか、などと変に勘ぐってしまう救われない自分がいる・・・。

ただ、騙されやすい自分は、2500年前に作られたこの十項目を肝に銘じて、現代の詐欺社会を生き抜いていきたい。

つまり、「詐欺を見抜こうとする人の心構え十項目」としてありがたく使わせていただくとしよう・・・。





また、真理について、仏教と科学の違いに関する記述が気になった。

すなわち、仏教は真理を追究しようとするけど、科学は仮説を検証しようとするものであり真理を追究するものではない、ということ。

仮説立てとその検証を繰り返す科学では、検証されて客観性を認められた仮説は一旦信じることにするけど、あくまで真理を追究する仏教では、どこまでも疑い続ける必要があるのだろう(仮に真理そうなコトにたどり着いたとしても、それが本当に真理かどうか疑う必要がある)。

宗教というと、「信じる」ことが大切という勝手なイメージがあったけど、仏教では「疑う(信じない)」ことが大切なのだろうか?

まあでも、「疑いなさい」というような教えに従うのも、ある意味「信じる」ことだろう。「疑いなさい」と教えているように見せかけて、その教えを「信じなさい」と説いている。

なんだかよくわからなくなってきたけど、そんなよくわからない宗教に惑わされないようにするためにも、「宗教に騙されまいとする人の心構え十項目」として上記十項目をありがたく使わせていただくとしよう・・・。
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2018-10-27 08:33 : 雑記 : 編集

仕組まれた「幸せ」には気をつけたい・・・

『仏教と科学が発見した「幸せの法則」 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』(アルボムッレ・スマナサーラ、前野隆司 著)という本の感想、2回目。


前野氏の次の発言が気になった。
能力に対してタスクのレベルが低すぎると、人は簡単すぎて退屈に感じます。逆に能力に対してタスクのレベルが高すぎると、ストレス超過になります。ストレスが多すぎるのです。能力に対して少し難しいぐらいの、適切なチャレンジを続けるのが、能力的にも成長することのできる、もっとも幸せな状態だといえます。ストレスがないとだめですが、ありすぎてもだめ。きちんとフローの状態を維持できる社会がいいのです。

さえない自分にとって、サラリーマン生活はストレス超過の状態だけど、できる人たちにとっては、能力とタスクのレベルがちょうど良いフローの状態にあるに違いない。

サラリーマンが社畜となってしまう原因の一つはそこにありそうだ。



できるサラリーマンにとって、フローの状態を維持し続けられるサラリーマン生活は幸せなのかもしれないが、極端に言うと、その状態はエサを与えられて満足する家畜のようなものだろう。

能力に見合ったタスクを与えられることに満足して、ひたすらタスクをこなし続ける社畜生活。



一方、その裏では、家畜へのエサやりのように社畜へのタスクやりを続ける経営者たちがほくそ笑んでいるに違いない・・・。



サラリーマン生活に限らず、現代社会にはそのような仕組まれた「幸せ」がいたるところにありそうであり、要注意と感じた。

「幸せ」を感じたら、その裏で誰がほくそ笑んでいるのか考えるようにしたい・・・。
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2018-10-27 06:56 : 雑記 : 編集

なぜ「幸せ」にうさん臭さを感じてしまうのか・・・

『仏教と科学が発見した「幸せの法則」 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』(アルボムッレ・スマナサーラ、前野隆司 著)という本を読んだ。


「幸せ」をテーマに、宗教家(スリランカ上座仏教長老)と科学者(慶応義塾大学教授)の著者二人が対談する内容。

「幸せ」という言葉にうさん臭さを感じてしまうようなひねくれ者の自分だけど、「幸せ」×「宗教」×「科学」という組み合わせに興味を惹かれて読んでみた。



興味深い内容は多々あったけど、やはり「幸せ」にはうさん臭さを感じてしまった。

なぜうさん臭さを感じたのか? その理由を考えてみた。

まず、科学には客観性が欠かせないけど、主観的な感覚である「幸せ」を客観的に説明されても押しつけがましさを感じてしまう。

逆に、宗教は客観性に欠けるけど、客観性に欠ける(つまり主観的な)説明をされても納得することはできない。

すなわち、主観的な感覚である「幸せ」は、客観的に説明されても主観的に説明されても腑に落ちることが無いように思う・・・。



そもそも、「幸せ」という言葉自体が、主観的な感覚を客観的に伝えようとする手段であり、ある意味矛盾しているような・・・。



ということで、主観的な感覚でありながら客観性を感じさせる「幸せ」は、客観的に説明されても主観的に説明されてもうさん臭く感じられる運命にある、ということと勝手に理解した・・・。





なお、個人的には、客観性を感じさせる「幸せ」という言葉よりも、主観的であることを前面に出した「自己満足」という言葉の方がしっくりくる。

見かけの客観性の有無を除けば、両者の意味するところはほぼ同じに違いない。





というようなうさん臭いことを書いて、自己満足を感じてしまった・・・。
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2018-10-27 04:46 : 雑記 : 編集

AI時代に食いっぱぐれないために何を学んでおくべきか・・・

「日本的人材育成のたそがれ」という記事が、日本経済新聞に掲載されていた。


気になった部分を抜粋。
この先、どんな能力のある人材が必要かを見通すのは難しく、人材の内製は容易ではなくなってきた。

時間をかけて人を育てる余裕も減り、外部から人材を獲得する動きは当然増える。

将来的にどんな能力のある人材が必要になりそうか見通せないため、企業は社内で育てるよりも外部から必要な人材を都度獲得するようになる、というようなことだろう。



雇われる側の立場として、これからのAI時代に備えて何を学んでおけば食いっぱぐれないだろうか?と考えてみると、時間がたっても時代遅れにならずかつ必ず必要なこと、がポイントになりそうだ。

それは何だろうかとアレコレ考えてみると、ハードと人間ソフトだろうか。ハードとは機械工学、人間ソフトとは心理学や哲学や宗教などのイメージ。

一方、AIを学ぶのは得策ではないように思う。せっかく学んだ内容がすぐに陳腐化してしまいそうだし、海外勢含めて競争が激しそうだ。

ハード(機械工学)と人間ソフト(心理学など)については、学んだ内容の大半を死ぬまで使い続けることができそうだし、イメージ的に時代遅れ感のある機械工学はAIと比較して競争が緩そうだ。



ということで、こじつけ感もあるけど、現役のハード寄りのサラリーマン技術者の身としては、学生時代に専攻しなかった機械工学の知識をもっと身に付けていくとともに、読書を通して人間ソフトを学んでいきたい・・・。
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2018-10-21 12:06 : 雑記 : 編集

なぜ外国株式に占めるドイツの割合は小さいのか・・・

外国株式のインデックスファンド(MCSIコクサイ)に占めるドイツ企業の割合の小ささが、前々から気になっていた。

イメージ的にもGDP的にも、ヨーロッパの中ではドイツの占める割合が最も大きくなりそうに思うけど、実際は、イギリスやフランスよりも割合が小さい(eMAXIS Slim 先進国株式インデックスの9月度の月報によると、イギリス6.66%、フランス4.15%、ドイツ3.61%)。


今さらながらその原因をネットで調べてみると、ドイツは有限会社が多いらしいので、それが影響しているに違いない。

また、創業者一族や一族によって設立された財団によって持分の過半数が所有されているケースも多いようだ。


外国株式のインデックスファンドに投資しているからといって、ドイツ企業からの恩恵を丸ごと受けられるわけではないということか・・・。
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2018-10-21 07:42 : 雑記 : 編集

AI時代、競争はせず自己満足を・・・

「AI時代、競争はせず創造を」という記事が日本経済新聞に掲載されていた。


「ブルー・オーシャン戦略」の著者で仏INSEAD教授W・チャン・キム氏による記事。


次の箇所が印象的だった。
経営学には「競争戦略」という言葉があるが、私が主張しているのは「いかに競争を避けるか」だ。人にはいつも「競争をするな」と説いている。では何をするのか。価値を創造すること、「バリュー・クリエーション」だ。わかりやすく言えば、誰も思いつかなかった発想で「ビジネスの線を引き直す」ということである。

さえない自分にとって、「競争をするな」というのは大変納得できる話。さえない自分がいくら競争に励んだところで、結果はさんざんだろうから・・・。

かと言って、この記事に書かれているような価値の創造を目指すというのもハードルが高そうだ。

そんなさえない自分にも、自己満足の追求という道は残されているように思う。

自己満足は主観的な問題なので、その気になればどうにでもなりそうだから・・・。



ということで、客観的な評価にさらされる競争や価値創造よりも、主観的な評価で完結する自己満足アップに努めていきたい・・・。
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2018-10-21 00:03 : 雑記 : 編集

心を持つロボットは簡単に作れるようになるそうだけど・・・

『脳はなぜ「心」を作ったのか 「私」の謎を解く受動意識仮説』(前野隆司 著)という本の感想、3回目。


「心を持ったロボットを簡単に作れるようになるだろう」という記述が気になった。
従来の心の考え方は、心はだいたいこんなものだが、核心のところはまだわからない、とか、複雑すぎてすぐには作れない、というような煮え切らないものばかりだった。本当にはわかっていなかったのだ。これに対し、私の考え方によれば、心が実に単純なメカニズムでできていて、作ることすら簡単であることを、誰にいもわかる形で明示できる。これまで心の謎だと言われていた事柄にも答えられる。だから、近い将来、心を持ったロボットを簡単に作れるようになるだろう。

ロボットの心の作り方には二つの方法がある。一つ目は、あらかじめあらゆるニューラルネットワークを綿密に作りこんでいくという方法。

もう一つの方法は、ロボットの心の原型を作っておいて、これをその後のロボットの経験にしたがって成長させていくやり方だ。要するに、ロボットの赤ちゃんの脳を作っておいて、これを学習させ成長させるやり方だ。

個人的には、心を持つロボットを作るのはなかなか難しいように思う。

というのも、人の心は「錯覚」の賜物だと思うので、ロボットに心を持たせるには「錯覚」させる必要があるように思うけど、そこが難しいような(ニューラルネットワークを作れば良いという単純な話ではないような・・・)。

すなわち、ロボットに適切な(多すぎず少なすぎない人間らしい)錯覚を起こさせることができるのだろうか?

また、そもそも錯覚するようなロボットが必要なのだろうか??



まあでも、錯覚しまくりの自分が考えてみたところで錯覚にすぎないだろうけど・・・。
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2018-10-20 16:27 : 雑記 : 編集

「意識」は何のためにあるのだろうか・・・

『脳はなぜ「心」を作ったのか 「私」の謎を解く受動意識仮説』(前野隆司 著)という本の感想、2回目。


「意識」はエピソード記憶のためにある、というような記述が気になった。
つまり、エピソードを記憶するためには、その前に、エピソードを個人的に体験しなければならない。そして、「無意識」の小人たちの多様な処理を一つにまとめて個人的な体験に変換するために必要十分なものが、「意識」なのだ。「意識」は、エピソード記憶をするためにこそ存在しているのだ。「私」は、エピソードを記憶することの必然性から、進化的に生じたのだ。

この部分はすんなり納得できなかったのでアレコレ考えてみた結果、次のようなことかと理解した。

以下のような行動のステップを考えてみると、「エピソード記憶」とは「物語を作り上げて記憶する」ことであり、「意識」無しにはできそうにない。

Step1.五感から得られた情報を元に無意識のうちに体が反応(行動)する
Step2.無意識の体の反応(行動)を元に意識が物語を作り上げて記憶する
Step3.五感から得られた情報と意識が作り上げた物語を元に無意識のうちに体が反応(行動)する
Step4.無意識の体の反応(行動)と意識が作り上げた物語を元に意識が物語を作り上げて記憶する
以下、Step3とStep4の繰り返し。

ここで、「物語を作る」とは、自分なりの世界観を作り上げたり、自分の行動に意味を与えたり、他人の行動の意図を想像したり、計画を立てたり、宗教や学問を作り上げたり、小説を書いたり、アレコレ推論したり、などなど。

意識があるおかげで「物語を作る」ことができ、「作った物語」が無意識の反応(行動)に影響を与える。



ということで、生き抜くのに都合の良い物語(無意識が都合の良い反応(行動)をするような物語)を意識的に作ることに努めていきたい・・・。





というような都合の良さそうな物語を意識的に作ってみた・・・。
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2018-10-20 11:09 : 雑記 : 編集

見たままのリアルな世界があるという錯覚・・・

『脳はなぜ「心」を作ったのか 「私」の謎を解く受動意識仮説』(前野隆司 著)という本を読んだ。


「意識」は、なぜ、どのように成り立っているのか? 著者の考えを紹介する内容。



理解した要点をまとめてみる。

1.意識している私が主体的に考えているわけではなく、脳内のニューラルネットワークによって同時多発的な連想ゲームのように無意識のうちに考えが進行しているわけであり、意識している私が主体的に考えていると思うのは錯覚である

2.感情や意図も同様に、脳内のニューラルネットワークによって無意識に行われる同時多発的な連想ゲームの結果であり、意識している私の主体的なものと思うのは錯覚である

3.個性とは、ニューラルネットワークのつながり方や発火しやすさの個人差である

4.意識している私がリアルな質感(クオリア)を感じるのも錯覚にすぎない

5.意識はエピソード記憶をするために存在している

6.コンピューターでニューラルネットワークを再現することで、近い将来、心を持つロボットを簡単に作れるようになるだろう



この中で、5.と6.はすんなり納得できなかったが、1.~4.はおおむね納得できた。

特に、「錯覚」というキーワードがしっくりくる。

意識している自分は世界をありのままにリアルに見ることなんかできない。自分がありのままのリアルだと思っている世界は「錯覚」にすぎず、自分が想像した物語に違いない。

なぜなら、世界が3次元的に見えたり色がついているように見えたりすることすら錯覚にすぎないのだから。



ということで、どうせ自分が想像した錯覚の世界を生きていくしかないのであれば、生きていくのに都合が良いような世界観(物語)をもって上手に錯覚しながら生き抜いていきたい・・・。
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2018-10-20 06:35 : 雑記 : 編集

否定されないからといって肯定されていると思ったら大間違い・・・

「人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか」(トーマス・ギロビッチ 著、守一雄・守秀子 訳)という本の感想、4回目。


自分の誤解を他人は指摘しない、というような話が気になった。
自分が誤解していること、特に他人が何を考えているかについての誤解は、他人からのフィードバックによって修正されるに違いないと私たちはふつう考えている。(中略)しかし、それ以上に重要なことは、たとえ自分と考え方や価値観が違う人とつきあったとしても、そうした人々から間違いを指摘されることはめったにないということである。というのも、人は、他人の考えを表だってとがめることをしたがらないからである。

事なかれ主義の自分も他人の考えを面と向かって否定することはほとんどない。

もちろん、否定しないからといって肯定しているわけではない。



一方、そんな自分も逆の立場になると、否定されないということは肯定されているということ、と勝手な解釈をしてしまっているように思う。

そして、そんな否定されることのない自分は、これからも誤解したままの勘違いライフを送っていくことになる・・・。



ということで、否定されないということは肯定されているということ、という誤解はとりあえず解けたけど、まだまだ誤解していることは山ほどあるに違いないので、自分の考えや行動(と否定しない他人)に疑いの目を向けていくようにしたい・・・。
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2018-10-14 19:48 : 雑記 : 編集

子ども時代に身に付けた行動パターンに支配される・・・

「人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか」(トーマス・ギロビッチ 著、守一雄・守秀子 訳)という本の感想、3回目。


自分の行動について、方略の有効性を評価することはできない、という話が気になった。
ある対人方略が用いられるのは、もともとそうした方略が有効であると考えられていたからであり、そうした方略だけが用いられ続けてきているということである。別の方略が用いられたならばどうなったであろうかを知ることはできないため、自分が用いてきた方略の真の有効性を評価することはできないのである。

これは対人的な行動だけではなく、すべての行動に当てはまりそうであり、すなわち、自分の行動の方略(行動パターン)の有効性を評価することはできない。

なぜなら、まったく同じ状況で複数の方略を比較評価することはできないから。

したがって、より良い行動の方略(行動パターン)に改めることがなかなかできない。



そもそも、なぜ自分が今のような方略(行動パターン)をとるようになったのか?

おそらくは、子供時代に無意識のうちに身に付けた行動パターンをそのまま引きずっているだけに違いない。

極端に言うと、子ども時代に無意識のうちに身に付けた行動パターンに人生が支配されている、と言えそうだ。



ということで、今さらながら自分の行動パターンを見直していきたい・・・。
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2018-10-14 08:09 : 雑記 : 編集

判断力をつけるには単純な物理学よりも複雑な経済学が効果的・・・

「人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか」(トーマス・ギロビッチ 著、守一雄・守秀子 訳)という本の感想、2回目。


日常生活において正しく判断する習慣をつけるには、決定論的な科学(物理学や化学)よりも確率論的な科学(経済学や心理学)を学ぶ方が効果的、といような話が気になった。
今のところまだ仮説の段階に留まっているが、最近の研究によれば、ある種の科学教育は、日常生活における種々のできごとを正しく判断するための習慣を育てるのに特に有効である可能性があるというのである。

それは、「確率論的な」科学の教育である。この研究がなされた背景にある論理は、次のようなものである。日常生活の中で頻繁に起こることがらは、複雑に要因が絡み合った確率的な現象である。そこで、そうした現象を正しく評価する能力を養うためには、「決定論的な」科学を教育するよりも「確率論的な」科学を教育する方が有効である。

確率論的な科学というのは、心理学や経済学のように、一般に原因とされるものが必要条件でもなく十分条件でもなく、そこで、完全に予期することが不可能であるような現象を研究対象とするものである。

これに対し、決定論的な科学というのは、物理学や化学のように、因果関係が必要条件や十分条件を構成するような、もっと整然とした現象を研究対象とするものである。

自分にも思い当たる節がある。

単純明快が良いことと思い込んでいた決定論的思考のさえない理系の自分にとって、多くの原因と結果が複雑に絡み合った複雑怪奇なサラリーマン社会に慣れるのにさんざん苦労した・・・。

今現在も、(多少は慣れたとはいえ)まだまだ単純明快志向が残っているように思うので、複雑怪奇な確率論的思考をマスターするべく努めていきたい。



ということで、複雑怪奇なサラリーマン生活を通して判断力を身に付けたい・・・。
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2018-10-14 00:02 : 雑記 : 編集

超能力をこんなに信じるアメリカ人を引き合いに出して投資を勧められても・・・

「人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか」(トーマス・ギロビッチ 著、守一雄・守秀子 訳)という本を読んだ。


人間の誤信しやすい(現実を誤って解釈しがちな)性質をとりあげて、その解説や対策について書かれた内容。



人間が誤信しやすいのは、誤信しやすいように進化してきたから、と理解した。

すなわち、己を取り巻く膨大な情報の中から必要な知識を抽出して生き抜くためには、(厳密ではなくても)正しそうな知識を瞬時に抽出して採用する必要があったに違いない。

例えば、
・わずかな規則性をもとにパターン(らしきもの)を見出そうとする
・不完全な情報から推測する
・一度うまくいった方法を良い方法だと思う
などなど。

ただ問題は、一旦正しそうだと思ったら、正しいに違いないと思い込んでしまうこと。



そして、そのような誤信しやすい性質への対策は、自分の誤信しやすい性質をよく理解して間違えた思い込みをしないように気をつけること。



ということで、すぐにパターンを見つけようとしがちな自分も、誤信しないよう重々注意していきたい。

程度の大小はあれど、すべては誤信に違いないくらいに思っておくのがちょうどいいのかも・・・。





なお、超能力はどの程度信じられているか?、という話が印象的だった。
アメリカ合衆国で行われた全国規模の調査によれば、国民の約半数が超能力が存在すると考えており、大学卒業生では、67%まで達している。

なかでも、最も衝撃的な調査結果は、全米規模で実施された調査で、成人の3分の2が超能力をみずから体験したことがあると答えているのである。一般の人々にとって、客観的な証拠にもとづく厳正な評価がなくても、超能力は信じられるもののようである。

人はこんなにも誤信しやすいということか・・・。



ちなみに、しばしばアメリカを引き合いに出して日本の個人投資の少なさを指摘されるように思うけど、こんなにも超能力を信じるような人たちを引き合いに出されても・・・。

つまり、アメリカ人が株式投資を信じるのは、超能力を信じるようなノリ(単なる誤信)かもしれないのだ・・・。







まあでも、このような内容も自分の誤信に違いないし、自分が投資しているのも誤信の結果に違いないし、自分が生きていると思い込んでいることすら誤信に違いない・・・。
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2018-10-13 12:27 : 雑記 : 編集

人が右往左往する姿を観るのは娯楽の王道・・・

「演劇入門」(平田オリザ 著)という本の感想、5回目。


「右往左往」に関する記述が印象的だった。
冒頭に問題提起がうまくなされれば、あとはそこに登場する人物たちの、問題に対する右往左往を、丹念に描いていけばいい。戯曲とは、つきつめて言えばそのような表現である。

『ロミオとジュリエット』では、恋におちてしまった二人の精神の揺れ動き、その精神の揺れ動きに翻弄される周囲の人々、この二つだけを丁寧に描いていけば、それで作品は完成する。

『ロミオとジュリエット』と同様に、『忠臣蔵』とはどんな芝居かを意地悪く解析するならば、これは、バカな殿様のせいで浪人になってしまった侍たちの右往左往を描いた物語だと言うことができるだろう。

新しいテレビドラマが始まる季節になったけど、テレビドラマも同様に、あるテーマ(問題提起)をもとに人が右往左往する姿を描いていると言えそうだ。

自分のような視聴者は、そんな右往左往する姿を観て面白がる・・・。



演劇やテレビドラマに限らず、映画やアニメや小説やワイドショーやスポーツや・・・などなど、人が右往左往する姿を観せる娯楽は多く、娯楽の王道と言えそうだ。

さらに、職場や学校などの日常生活においても、人が右往左往する姿を見て楽しんでいるような側面もあるのかもしれない。



ただ、右往左往する姿を見たがるのは、ただ面白がるだけではなく、そこから学ぶべきこともあるからなのだろう。

しかし、学ぶためならば、自分が右往左往する立場に身を置いた方が効果的に違いない。



ということで、(多少強引にでも)そのようなポジティブなことを考えつつ、右往左往しながらさえないサラリーマン生活を続けていきたい・・・。



そして、さえない自分が(人一倍)右往左往する姿を通して、職場にささやかな娯楽を提供していきたい・・・。
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2018-10-13 06:02 : 雑記 : 編集

サラリーマンは演じるのが仕事? 自己満足よりも客観的評価・・・

「演劇入門」(平田オリザ 著)という本の感想、4回目。



「演技」とは何だろうか?

改めて考えてみると、他人にアピールするため(客観的評価を上げるため)の行為、ということになりそうだ。

一方、その逆はというと、自己満足するため(自己評価を上げるため)の行為、となるのだろう。



サラリーマンが給料をアップするためには、客観的評価を気にする必要があり、したがって、極端に言うと、「演技」に走る必要がある。

ただ、そんな「演技」に走りすぎると、自己満足が低くなる恐れがある。



自分は、客観的評価よりも自己満足を追求する傾向にあるように思うけど(例えば、このブログも客観的評価よりも自己満足の追求に走っている)、その根底には演技に嫌悪感を抱きやすい性質もあるように思う。

そして、そんな演技を避けてしまう性質が”さえなさ”につながっているような・・・。

サラリーマンとして給料を得続けるためには、自己満足よりも客観的評価を上げるべく、もっと演技を取り入れた方が良いのかも・・・。



ということで、自己満足の追求に偏りがちな自分は、収入を得続けるためにも、もう少し客観的評価を上げるべく演技に精を出していきたい。

サラリーマンは演じるのが仕事、くらいに思うとしよう・・・。





ただ、演じすぎるのも見透かされてしまうように思うので、バランスが大切なのだろうけど。

というより、演じていないかのように自然に演じる技が必要に違いない。

サラリーマン劇場の道は険しそうだ・・・。
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2018-10-13 00:43 : 雑記 : 編集

アラフォーからの人間観察 こんな人間の見方もあったのか・・・

「演劇入門」(平田オリザ 著)という本の感想、3回目。


戯曲を書くための3つの能力が気になった。
戯曲を書くための能力は、さまざまなカテゴライズが可能だが、私は主に、三つの要素に分けて考えるようにしている。想像力、記憶力、観察力の三つである。おそらく、この三つのうち、どれか一つでも、圧倒的に優れていれば、プロの作家として素晴らしい戯曲を書くことができるだろう。

特に気になったのが観察力。
圧倒的な観察力に基づいて戯曲を構成するタイプは、例えば岩松了氏を挙げることができるだろうか。あるいは、イッセー尾形氏も、このカテゴリーにはいるかもしれない。深い人間観察の結果生まれてくる作品は、「あぁ、こんな人間の見方もあったのか」と観るものを驚かせるだろう。

他の2つの能力は意識したことがあったけど、観察力は意識したことがなかったように思う。

特に、あまり他人に興味を持ってこなかったように思う自分にとって、人間は観察の対象ではなかった。

いま改めて考えると、自分のコミュニケーション能力の低さには人間観察の欠如も影響しているのかもしれない。



ということで、観察力を上げること、特に人間に対する観察力アップを目指してみたい。

まずは人間観察の習慣をつけることから着手するとしよう。

とりあえず自分自身を観察するところから・・・。



まあでも、人間観察なんてなんだか悪趣味な感じがするけど、「こんな人間の見方もあったのか!!」と自分自身をぎゃふんと言わせてやりたい・・・。
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2018-10-08 18:05 : 雑記 : 編集

ほったらかし投資実現のために 頑張ったら結果が気になってしまうから・・・

『「ほったらかし」投資のメンテ法』という記事が日本経済新聞に掲載されていた。

ほったらかし投資と言えども年1回は資産状況を確認&調整(リバランス)するべし、というようなことが書かれていた。



長期投資を実施する上で個人的に重要だと思っているのは、なるべく頑張らないこと。理想は「ほったらかし」。

というのも、頑張ったらその結果が気になってしまうに違いなく、すなわち、長期目線で投資しているはずなのに、頑張ったことによる短期的な結果が気になってしまうに違いない。

例えば、頑張ってリバランスしたとしたら、その効果が気になってしまうだろう。そして、せっかく頑張って実施したそのリバランスが裏目に出ていることがわかったりしたら・・・。



ということで、短期的な結果を気にして余計なことをしてしまわないよう、なるべく頑張らないほったらかし投資を心掛けている。

その実現のために実施していることを整理してみた。

1.欲張らずにシンプルに先進国株式のインデックスファンド(MSCIコクサイ)のみに投資する
2.自動積立を利用してできるだけ何もしない状態にする
3.過度な期待はせずリスク資産(上記インデックスファンド)は最悪ゼロになることも想定する
4.リスクの管理は資産配分ではなく安全資産の金額で行う
5.上記安全資産の金額はリスク資産がゼロになったとしてもなんとか生きていける金額にする
6.投資したリスク資産は基本的にほったらかし(上記安全資産が足りなくなったときは別)

というような感じ。



ただし、自分はまだ長期投資を実現できていないため(投資を初めてまだ5年程度)、このやり方で長期のほったらかし投資を実現できるかどうかは、今まさに検証中といったところで結果が出るのは20年以上後なのだけど・・・。
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2018-10-08 09:27 : 雑記 : 編集

残り99.9%の凡人の仕事は0.1%の天才の活躍を応援すること・・・

「NHKスペシャル マネー・ワールド~資本主義の未来~ 第2集 仕事がなくなる!?」という番組が放送されていた。

ロボットやAIの進化によって多くの人の仕事がなくなることを危惧する内容。

その中で、国立情報学研究所教授の新井紀子氏が、才能のある0.1%くらいの人は良いけど99.9%の人は実はなかなか難しい、というようなコメントをしていたのが印象的だった。



上位0.1%になるには、スポーツの世界と同様に努力だけではなく生まれ持った素質も必要に違いなく、そういう意味では、ビジネスマンもアスリートのようになっていくのだろうか。

素質の無い自分がいくら努力をしたところで短距離走でトップレベルになれないように、素質の無い自分がいくら努力したところで上位0.1%に入れるようなエンジニアや経営者にはなれそうにない。

オリンピックやワールドカップに参加できない自分は、トップ選手のプレーを観戦して応援することしかできないのと同様に、ビジネスに参加できない自分(AIやロボットよりも効率が悪いのでいるだけ邪魔)は、トップレベルのエンジニアや経営者の活躍を応援することしかできなくなるのだろう・・・。



ということで、上位0.1%の天才たちに機嫌よく働いてもらって、そのおこぼれを頂戴できるよう、その気にさせる応援力を身に付けておくのが良さそうだ・・・。

なお、応援に限っては、AIやロボットに応援されるよりも、生身の人間に応援された方がうれしいに違いない・・・。
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2018-10-08 07:22 : 雑記 : 編集

日本人の辺境に位置するさえない自分の新たなモチベーション戦略・・・

「演劇入門」(平田オリザ 著)という本の感想、2回目。


異質なよそ者との「対話」ではなく、同質の村社会での「会話」に特化した日本語は、(対話で成り立つ)演劇には不向きだけど、逆に演劇を変革する起爆剤になれるのでは、というような記述が気になった。
日本語は、対話劇を産み出すのに不利な面が多々あるのは否めない。私たちが演劇作品、とりわけ翻訳劇を観るとき、「そりゃ理屈では解るけど、日本人は、そんなに喋らないよ」と感じてしまう、その原因の大半はここにある。「対話」を、西洋人と同じレベルで描くこと自体に無理があるのだ。

新しい文化、芸術、表現は、必ず辺境からやってくる。西洋の蓄積は偉大だが、またその閉塞も深刻である。その閉塞を打ち破るのは、常にその周辺から、蓄積に対して差異を感じ、違和を唱え、変革しようとする者たちである。ならば、西洋演劇の辺境に位置する日本の演劇が、逆に西洋演劇にある種の衝撃を与えることも不可能ではないだろう。

日本人が得意なはずの同質の村社会での「会話」すら大の苦手な自分は、日本人の辺境に位置しているであろうけど、この抜粋部分の話はとても励みになる。

すなわち、辺境に位置するからこそ日本の閉塞感を打ち破る起爆剤になれるのかも、ということ。


ということで、日本の閉塞感を打ち破る起爆剤になることを新たなモチベーションとして(建て前)、夢のアーリーリタイア生活を送ることを真のモチベーションとして(本音)、日本人の辺境に位置するさえないサラリーマン生活を(日本の閉塞感を打ち破る起爆剤になるべくあえて辺境に身を置いているという美談に仕立て上げて)なんとか生き抜いていきたい・・・。



日本の閉塞感を打ち破る起爆剤となるべく、あえてさえないサラリーマンという辺境の地に身を置くような損な役回りを自ら進んで引き受けるような自分って、なんてできた人なんだろう!!

というような都合の良い妄想に浸っておくとしよう・・・。
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2018-10-07 12:23 : 雑記 : 編集

世界のからくりを知って興ざめしたところから人生は始まる・・・

「演劇入門」(平田オリザ 著)という本を読んだ。

演劇を作るためのハウ・ツー本であり、また同時に人間(特にコミュニケーション)について多くの発見を与えようとする本。



演劇が人を騙すからくりを知った上で鑑賞してほしい、というような話が印象的だった。
例えばカナダでは、「テレビがいかに人を騙すか」を、テレビの側から情報開示していくことが法律で定められているという。

同様に私は、「演劇がいかに人を騙すか」というからくりを、すべての人に知ってもらった上で、演劇を鑑賞してほしいと願っている。

私自身、ここに記してきたような戯曲講座を始めた頃には、正直なところ、大きな違和感があった。このようなことを書いたり喋ったりすることは、私が戯曲を組み立てる上で行っているさまざまな操作を種明かしすることに等しいからだ。手品を見せる前に種を明かされているのだから、講座の生徒たちは、次に私の芝居を観るときには興ざめしてしまうのではないかと思ったのだ。例えば、何かの台詞を聞いたときに、「お、ここは遠いイメージから入ってきたな」などと思われたら、作家として、あまりいい気分ではない。

だが、演劇は手品ではない。いや逆に、演劇とはすべての手の内をさらけ出したところから始まる芸術なのではないかと、私は最近考えている。

ここに書かれているような「からくりを知る」というのは、生きていく上でとても重要だと思う。

例えば、社会(国や企業や宗教や学校などなど)が人を騙すからくりを知ったり、また、自分自身(体や脳の仕組みや個性など)や自然科学のからくりを知ったりすること。すなわち、この世界のあらゆるからくりを知ること。

ただ、抜粋部分にも書かれているように、からくりを知りすぎると興ざめしてしまうのではという危惧があるけど、さえない自分が生きていくには興ざめ問題よりもからくりを知ることの方が重要だ。

世界のからくりを知って興ざめしたところから人生は始まる、と開き直っておこう・・・。



ということで、世界のからくりを知るためにこれからも読書を続けて、学んだからくりをこのブログに書き残していきたい。

興ざめブログを目指すとしよう・・・。
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2018-10-07 09:06 : 雑記 : 編集

計算高くリスクを冒す 生存とワクワク感のバランス・・・

『リスクにあなたは騙される 「恐怖」を操る論理』(ダン・ガードナー 著、田淵健太 訳)という本の感想、9回目。

この本を読んで、リスクについて改めてアレコレ考えてみた。



いつ死ぬかわからなかった昔の時代と、「人生100年時代」と言われる今の時代とでは、リスクに対する考え方が異なるに違いない。

すなわち、死が身近にあった昔は、死を回避するためにあえてリスクを冒すことが生き抜くための一つの指針となっていただろう(命を勝ち取るイメージ)。

一方、今となっては、変なリスクを冒しさえしなければ100歳近くまで生き残れる可能性が高いため、リスクを冒さないことが生き抜くための一つの指針となっているように思う(命を守り抜くイメージ)。



そのように考えたとき、(基本的には石器時代の狩人からほとんど進化していないらしい)現代人にとって、リスク回避の今の時代の生き方にしっくりこない部分があるに違いない。

すなわち、リスクをとりたくてうずうずしている一面もあるはずだ。



そう考える理由の一つとして、20代の一時期嵌まっていたバイクの体験がある。

今となっては命を危険にさらすハイリスクな行為のように感じてためらいそうになるけど、当時の自分にとってはそんなリスクよりもワクワク感が勝っていた。

一方、変なリスクを冒しさえしなければ100歳近くまで生き残れる可能性が高い今の時代、ワクワク感を求めるよりもリスクを冒さない方が賢い選択なのかもしれない。

ただ、変なリスクを冒しさえしなければといっても、リスクを全く冒さずに生活することはできない。

すなわち、交通事故や自然災害による事故など、可能性が低いとはいえ日常生活にも色々なリスクがつきまとう。



というようなことをアレコレ考えると、生存とワクワク感のバランスをとって、とるリスクととらないリスクを選択する必要がありそうだ。

ということで、(無謀ではなく)計算高くリスクを冒すべく努めていきたい・・・。









ちなみに、今改めて考えると、バイクは計算高いリスクのとり方とは言えなかったような・・・。
四国カルスト
当時の写真を今見てもワクワクするけど、リスクとりすぎだったかも・・・。
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2018-10-07 00:02 : 雑記 : 編集

人類史上最もリスクが小さい夢のような生活を送れる国「日本」・・・

『リスクにあなたは騙される 「恐怖」を操る論理』(ダン・ガードナー 著、田淵健太 訳)という本の感想、8回目。


現在の先進国で暮らすことは人類史上で最もリスクが小さい、というようなことが書かれており印象的だった。

関連箇所を抜粋。
どのような難題に直面するにしても、先進国に暮らしている者は、これまで生きてきた人間の中で最も安全で、最も健康で、最も裕福な人間であることが、議論の余地なく本当であるのに変わりはない。依然として死を免れることはできないし、死ぬ原因になることが存在する。ときには心配するべきである。ときには怖がりさえするべきである。しかし、「今」生きていられていかに非常に運がいいかを常に思い出すべきである。

確かに、寿命の長さから考えると、歴史的にも国的にも今の日本で暮らすことは人類史上最もリスクが小さいといっても過言ではなさそうだ。

昔の人々や新興国の人々からすると夢のような生活を送っているに違いない。



しかし、さえない自分の実感は、極端に言うと、身の安全は確保されるけど精神的には心配事が尽きずストレスだらけで追いつめられる生き地獄・・・。


心配事が尽きない原因として、恐怖を掻き立てて利益を得ようとする個人や組織によって(メディアを通して)恐怖を抱かされるから、というようなことが書かれており、さらに、その対策は”感情”よりも”理性”を重視すること、というようなことが書かれていた。


ただ、個人的にはその原因と対策がいまいちしっくりこなかったので、原因と対策を自分なりに考えてみた。

アレコレ考えた結果、原因は次の2点がポイントのように思いいたった。
1.命の危険は無いけど競争社会に生きている
2.さえない自分は競争力に劣る

まず、競争社会に生きているので常に競争を強いられる。そして、さえない自分は競争社会では人一倍の苦労を強いられる。

つまり、できる人にとって今の日本は「人類史上最もリスクが小さい夢のような生活を送れる国」(ただし恐怖を抱かされるかもだけど)なのかもしれないが、競争社会で人一倍苦労するさえない自分にとっては「身の安全は確保されるけど精神的には心配事が尽きずストレスだらけで追いつめられる生き地獄」となってしまう・・・。


そして、その対策はというと、やはり競争社会から降りることだろうか。それくらいしか思い浮かばない・・・。

とはいえ、運よく正社員にありついている今は、競争社会になんとかしがみついて競争社会から降りれるだけの資産を築くことに精を出していきたい。アーリーリタイア後の夢のような生活に思いを馳せながら・・・。





ちなみに、さえない自分にとっては、今の目の前のサラリーマン生活をいかに生き抜くかでいっぱいいっぱいであり、メディアから流されているであろう恐怖は(それに比べると)たいした問題ではないのだ・・・。
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2018-10-06 16:14 : 雑記 : 編集

ニュースはバブル? 皆が注目しているコトを気にせずにいられるか・・・

『リスクにあなたは騙される 「恐怖」を操る論理』(ダン・ガードナー 著、田淵健太 訳)という本の感想、7回目。


メディアが誇張したニュースをヒステリックに伝える理由が3つ挙げられていた。

1.読者の獲得や視聴率向上のため
2.昔よりも忙しくなった記者が(誇張された)元ネタの真偽を確かめなくなったため
3.記者自身も誇張されたヒステリックな情報に心を動かされるため

このさえないブログにも当てはまりそうなことばかりで大変納得でき、ニュースを見るときは改めて注意したいと思った。


特に注意したいと思ったのは、気にすべきニュースなのか?、ということ。

中でも皆の注目を集めているようなニュースは、皆が注目を集めているということだけでも気になってしまいそうになるが(進化の過程で身につけた生き抜く知恵の一つなのだろう)、本当に気にすべきニュースなのだろうか?

逆に、(取り上げられていないけど)もっと気にすべきニュースは無いのか?


このようなことをアレコレ考えると、ニュースは記者自身や世間一般的に興味関心がある出来事を面白おかしく伝えるもの、程度に考えていたほうが良さそうだ・・・。





ちなみに、上記した”皆が注目を集めているというだけでも気になってしまいそうになる”というのは、「バブル」に通じるものがありそうだ。

すなわち、中身はともかく皆の注目が集まれば集まるほど、他の人も気になってしまいさらに注目度が高くなる。

ニュースとして取り上げられるような出来事は、そもそもそういうものなのかもしれない・・・。



ということで、ニュースとは記者自身や世間一般的に興味関心がある出来事を面白おかしく伝えるうちにバブル状態になったもの、と解釈しておこう・・・。
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2018-10-06 13:03 : 雑記 : 編集

狂信的なテロ集団が大量破壊兵器を使わない理由・・・

『リスクにあなたは騙される 「恐怖」を操る論理』(ダン・ガードナー 著、田淵健太 訳)という本の感想、6回目。


テロのリスクに関して、日本のオウム真理教をとりあげた大量破壊兵器の話が興味深かった。

狂信的なテロ集団が大量破壊兵器を使うのは困難であり、もっぱら銃や爆弾などのローテクに頼る、というようなことが書かれていた。


なぜ大量破壊兵器を使うのが困難なのか? その理由は次の3つと理解した。

1.狂信的なテロ集団に大量破壊兵器を渡そうとする人はいない(自分が犠牲になる恐れがある)

2.大量破壊兵器を開発できるような優れた頭脳は狂信的なテロ集団に参加しようと思わない

3.優れた頭脳が参加したとしても、狂信的なテロ集団に身を置くと正常な思考が損なわれる



オウム真理教をとりあげた箇所が印象的だったので長々と抜粋。
世界の関心が凶悪なイスラム原理主義者に向いているため忘れられやすいが、テロの世界で大量破壊兵器を手に入れ、用いた最初の狂信者は、日本のカルトであるオウム真理教に属していた。

最盛期に六万人の信者を抱えていたその資産は恐ろしく大きなものだった。日本以外に、オーストラリアとドイツ、ロシア、さらにはニューヨークにさえ事務所があった。少なくとも現金で数億ドル持っており、ことによるとその額は一〇億ドルに達していたかもしれなかった。

そして、このカルトは高度な技術を持った信者を抱えていた。オウム真理教は日本の最高レベルの大学で生物学と化学、物理学、工学の分野の大学院生を積極的に勧誘し、彼らにお金で買える最高級の装置と設備を提供した。

最終的にオウム真理教は、最も恐れられているバイオテロ兵器の中の二つを用いて大量死をもたらす試みを合計九回行った。そして一人も殺せなかった。オウム真理教でさえ、その資源をすべて使っても、致死性の病原菌を毒性の高い状態で単離し、広範囲に散布することに対する実用上の多くの障害を乗り越えられなかったのである。

そういうわけで、オウム真理教は化学兵器と神経ガスに重点を移し変えた。こちらの方では、かなりの成功を収め、マスタードガスと青酸ソーダ、VX、サリンを相当量生産した。このうち、最後の二つは最も致死性の高い神経ガスの中に入る。一九九五年に最終的にオウム真理教の施設に警察が踏み込んだとき、このカルトは推定で四二〇万人を殺せるだけの量のサリンを持っていた。

上記の事実は恐ろしいことだが、妙に安心を抱かせることでもある。結局のところ、何百万人も人を殺そうとしているカルトが、多くの障害を取り除いて、少なくとも理論的にはまさに何百万人を殺せる兵器を手に入れた。それでいてなお、オウム真理教は大量死を引き起こすことに失敗したのである。

「オウム真理教の事件が示唆しているのは、いかに直観あるいは一般的な考えに反するとしても、化学兵器や生物兵器を効果的に兵器化し散布する試みにおいて、どの非国家主体も技術上の重大な困難さに直面することである」とギルモア委員会は結論を下した。こういった試みの失敗を決定づけているのは、宗教的熱狂によって強められる陰謀組織内部の環境であるとギルモア委員会は指摘している。「オウム真理教の科学者は、社会的、物理的に隔離され、被害妄想が進む指導者に支配されたため、現実から逃避し、健全な判断ができなくなった」

中学生くらいのある時期、テレビがオウム真理教一色だったことはよく覚えているけど、世界的にも類まれなテロ集団だったとは・・・。





ちなみに、上記2つ目と3つ目の理由に関して、狂信的なテロ集団は”熱狂”であり、優れた頭脳は”冷静”だろうから、それら二つは水と油の関係で合わないのだろう。

逆に考えると、自分のようなさえない頭脳には狂信的な社会の方が合うのかも・・・。

ということで、この狂信的な社会を元気に生きていくとしよう・・・。
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2018-10-06 09:09 : 雑記 : 編集
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プロフィール

ちゃーも

Author:ちゃーも
■自己紹介
・アラフォーサラリーマン
・さえないエンジニア
・お金好き、お酒好き、読書好き

■資産形成の方針
・仕事:開き直ってストイックに稼ぐ
・節約:消費するよりアーリーリタイア
・投資:パッシブに増やす

■投資の内容
・インデックスファンドの積立投資
 (先進国株式、ゴールド)
・利用している主なファンド
 eMAXIS Slim 先進国株式インデックス
 たわらノーロード 先進国株式
 SMT ゴールドインデックス・オープン(為替ヘッジあり)

資産推移

資産状況202006

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