「言われたら嬉しい言葉」は要注意・・・

「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」(ジェイ・ハインリックス 著、多賀谷正子 訳)という本の感想、9回目。


マーケティングから身を守るための話が気になった。
マーケティング担当者は、人口統計上のグループ、心理学的に分けたグループを、さらに細かく分類する。そして、あなたの好みや習慣を知ると、あなたのこの先の行動を、驚くほどの正確さをもって予測する。

アップルのコンピューターを購入する人は、おそらく民主党に投票するだろう。部屋のドアにアメリカの国章を貼っている人は、シングル・モルト・スコッチは飲まないだろう。週に3回はジョギングをする人は、洋服にはあまりお金をかけないだろう、という具合に。こうした習慣のなかに、キーとなる言葉は、つまりその人の感情を刺激する言葉が隠れているのだ。

こうしたマーケティングから身を守るために、自分が言われたら嬉しい言葉をリストにしてみよう。たとえば、次のようなものだ。

 教養がある・優しい・思慮深い・人と同じことをしない・洗練されている・国際的・博識

広告に、こうしたキーワードがひとつでも使われていたら、あなたのグループがターゲットにされてるということだ。

 教養がある人のためのスコッチ・ウィスキー
 人とはちょっと違ったドライバーのための車

マーケティングでは、ターゲットが喜びそうなキーワードを巧みに使って刺激してくるということか。

好意を抱いたら注意した方が良さそうだ。

もし、メーカーや商品のファンになってしまったとしたら、まんまと術中に嵌まってしまったということかもしれない。



ということで、何かに好意を抱いたらその対象を疑うようにしたい。裏があるに違いない・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-30 09:12 : 雑記 : 編集

議論では誤った論理を使ってもよい・・・

「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」(ジェイ・ハインリックス 著、多賀谷正子 訳)という本の感想、8回目。


議論では誤った論理を使ってもよい、という話が気になった。
日々繰り広げられる議論において、論理上正しくあることだけにしがみついていると、あなたはルールを守ってプレイしているのに、相手がタックルしてくるような試合になってしまう。ただ、論理の誤りを見抜くことだけで終わっていては、相手に打ち負かされてしまう。レトリックでは、誤った論理を用いることも認められている。

説得することを目的として話をしているかぎり、レトリックでは、正規の論理学で禁じられている誤りも使っていいことになっている。

エンジニアの端くれの自分は論理的であろうと努めているけど、誤った論理でいいと言われるのは新鮮な感じ。

まあでも、改めて考えると、不要な場面でも論理を気にして勝手にがんじがらめになっていることもあるように思うので、必要以上に論理に縛られないようにするべきなんだろう。

特に議論では、論理的に正しいかどうかよりも、相手を説得できるかどうかが問題なのだ。


ということで、議論で相手を説得するために、あえて誤った論理を使うことも試してみたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-30 07:07 : 雑記 : 編集

米大統領も使う心もとないスピーチという作戦・・・

「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」(ジェイ・ハインリックス 著、多賀谷正子 訳)という本の感想、7回目。


「心もとないスピーチの力」という話が印象的だった。
現在行わている説得に関する研究も、クインティリアヌスが提唱した「心もとないスピーチ」の理論を裏づけている。聡明な聴衆は、不器用な演説者に共感する傾向があり、心の中で演説者に成り代わって、演説者の説を論じるのだという。心もとないように見せれば、聴衆の期待を低く抑え、論敵に自分を“見くびらせる”こともできる、とジョージ・W・ブッシュ(彼はこの技法の達人だ)も語っている。

リンカーンは、田舎出身の無骨者というイメージで、争点について明瞭に語ることができる政治評論家にはとても見えなかった。彼の「エートス(人柄)」は、「知性があるかどうかは疑わしいが、信頼できる人」というものだった。それが、演説によって知性も示したのである。

リンカーンならずとも、このテクニックを利用することができる。集団に向かって話をするときには、ためらうような感じで始め、徐々に滑らかに話を展開していくといい。スピーチをするとなると、話しはじめてすぐに聴衆を惹きつけなければならないと考える人が多いが、必ずしもそうではない。たいていの人は、注目を集めるのに5分はかかる。

心もとないスピーチには聴衆を共感させ論敵を見くびらせる力がある、ということのようだ。

さえない自分にとっては救われるような話。

心もとなく見せるまでもなく心もとなく見えてしまうに違いない自分は、自然体でも聴衆の共感を得られそうだ。

同様に、論敵を見くびらせることも自然体でできそうだと一瞬思ったけど、よくよく考えると、心もとなく見えてしまうのは実力相応なので見くびらせることにはなっていない。

すなわち、論敵を見くびらせるためには、ただでさえ心もとなく見えてしまうだろう自分を、なお一層心もとなく見せる必要があるということ。

いやいや、これも違うような。さえない自分にそもそも論敵はいないだろうから(つまり単独最下位レベルだろう)、論敵の心配をする必要はない。

自分が心配するべきは、論敵のことよりも何よりも失職しないかどうかなのだ・・・。



ということで、今後スピーチをする機会があったら、共感以上・失職未満の心もとなさを目指してみたい。

そして、心もとないスピーチを聞いたら作戦ではと疑うようにしたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-30 06:05 : 雑記 : 編集

データ消失の恐怖 記憶だけでやっていけるか・・・

「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」(ジェイ・ハインリックス 著、多賀谷正子 訳)という本の感想、6回目。


古代ギリシャ人の記憶術に関する話が興味深かった。
古代ギリシャ人は記憶について独特の考え方をしており、レトリシャンたちは生涯を通して、記憶術の練習に励んでいた。

たとえば、レトリックを学ぶ人は、まず頭のなかに家を描くよう教えられた。そして、その部屋に自分の考えや表現方法を、自分なりのイメージで収め、そうした家を増やしていき、村を作るのだ。これには、何年にもわたる修業が必要だろう。だが、いったんつくりあげたら、それを生涯使えるはずだ。

古代ローマの紳士は、スピーチをする必要がないときでもこの“記憶の村”を日に一度は訪れて、必要な分野をめぐりあるいてはイメージを頭に定着させていたそうだ。そうしておけば、いざスピーチするとなっても、村のあちこちを訪れるだけでいい。

改めて考えると、文字で書き残せなかった時代は今の時代よりも記憶の重要性は断然高かったに違いない。

今となってはノートやパソコンなどに気軽に書き残せるし、また、本やインターネットですぐに調べることもできるため、頭の中に記憶しなくてもこと足りてしまう。

しかし、事故や災害などで一時的にでもノートやパソコンや本やインターネットなどを参照できなくなるような事態も想定されるのではなかろうか? と改めて考えると怖くなってくる。

たとえ数日間だとしても記憶だけではやっていけないに違いない。家族の電話番号すらわからないのだから・・・。

本当に重要なことだけでも頭の中に記憶しておいた方が良さそうだ。



ということで、(古代ギリシャ人に倣って)頭の中を整理整頓して重要なことを記憶して、定期メンテナンスも実施するように努めていきたい。

まずは家族の電話番号から試してみるとしよう。記憶できるかな・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-28 08:32 : 雑記 : 編集

他人の謝罪は蜜の味・・・

「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」(ジェイ・ハインリックス 著、多賀谷正子 訳)という本の感想、5回目。


「謝罪」に否定的な記述が印象的だった。
謝罪は過去に起きた非難すべき事柄に焦点をあてるだけでなく、目の前の問題の解決も遅らせてしまう。自分を卑下する行動をとっても、相手の存在を持ち上げることにはならない。結局、間違っていたところを直すことで相手を持ち上げることが、長期的な視点から見て、双方に充足をもたらすのである。

どんなときでも謝るのが間違いだ、と言っているのではない。人は謝罪を期待するものだし、謝罪の言葉自体は悪いものではない。ただし、「礼儀にかなうことをする」ということ以上の役割を謝罪に望んではいけない。

堂々としたまま被害者のことを気にかけていると示し、自分が求めている高い水準の話をし、問題を解決すればいいのだ。もし、可能であれば、悪いニュースを誰よりも先に知り、その対策を誰よりも先に打ち出すこと。そして、未来のことに話を向け、前に進むことが大切だ。

謝罪は礼儀的には必要だけど、必ずしも有効ではない、ということのようだ。

必ずしも有効ではない理由は次のようなことと理解した。
1.過去に焦点を当てる謝罪よりも、未来志向の問題解決の方がお互いのためになる
2.謝罪は謝罪者に自己卑下を強いるだけで相手を持ち上げるわけではない


ただ、アメリカ人が書いた本なので日本とは事情が異なるかもしれない。

日本人は謝罪にこだわりがあるように思うし、他人の謝罪を見るのが大好き(他人の謝罪は蜜の味)なようにも思うし、謝罪させて(頭を下げさせて)一件落着の水戸黄門も人気だし、・・・。

というようなことを考えると、日本では、謝罪は礼儀的にも必要であり、必ずしも有効ではないけど、謝罪が無いと許されない、という感じだろうか。


そんな日本おいて、「すみません」が口癖のさえない自分は謝罪という甘い蜜を自ら進んで振る舞うことでなんとか生き延びていると言えるのかもしれず、謝罪は自分にとっては必要不可欠な生命線なのかもしれない。

他人の謝罪は蜜の味の日本に生まれてきたおかげで、さえない自分は(蜜運びという裏の仕事を得て)なんとか生きていけているということか・・・。



ということで、毎度毎度さえない記事ですみません、と頭を下げて一件落着・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-28 07:11 : 雑記 : 編集

省略三段論法は凄い だからあなたも使ってみるべきだ・・・

「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」(ジェイ・ハインリックス 著、多賀谷正子 訳)という本の感想、4回目。


「省略三段論法」というレトリック用に省略化された三段論法が出てきて印象的だった。

もし女の子がプリアピックを運転している人に惹かれるのなら、
そしてもしあなたが女の子にモテたいなら、
あなたはプリアピックを買うべきだ。

アリストテレスは、2番目の文章を捨て、さらに「もし」という部分を省いて、この三段論法を現代風に変えることで、レトリックの論理を生き生きとしたものにした。この短くまとまった、うまい議論は、「省略三段論法」と呼ばれる。省略三段論法では、聴衆の共通認識――信念、価値観、考え方――を取り入れ、それを聴衆を納得させるための第一段階として使う。

女の子はプリアピックを持っている男に惹かれる。
だからあなたもプリアピックを買うべきだ。
※「プリアピック」はスポーツカーの名前という設定


「三段論法」といっても省略三段論法は論理的なものではなく、相手を煙に巻いてもっともらしく見せるためのレトリック上のテクニックであり、故意に“誤った”共通認識を利用する点がポイント、と理解した。

このような省略三段論法は宣伝文句などでよく出てきそうだ。例えば以下のような感じ。

投資は儲かる。
だからあなたも投資をするべきだ。

老後資金は2000万円不足する。
だからあなたも2000万円準備するべきだ。

うなぎは夏バテに効く。
だからあなたもうなぎを食べるべきだ。

省略三段論法は凄い、
だからあなたも省略三段論法を使うべきだ。



ということで、このブログにも省略三段論法を取り入れてみようかな・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-28 05:07 : 雑記 : 編集

中庸の光と影・・・

「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」(ジェイ・ハインリックス 著、多賀谷正子 訳)という本の感想、3回目。


「中庸」の光と影とでも言えそうな、対照的な2つの記述が気になった。
古代ギリシャ人は、いまの私たちよりもはるかに、中庸であることを重んじた。だが、どの時代にあっても、人というのは本能的に、両極端な選択肢の真ん中にあるものを選ぶ。議論に勝つためには、聴衆の目に、論敵の立ち位置が極端なものに見えるようにするといい。

まず、説得できそうな聴衆――何かを決めかねて、中庸にいる人たち――の最も一般的な共通認識を見つけ出す。いつだって最も説得しやすいのは、両極端の意見のあいだにいる人たちである。

すなわち、中庸になると相手を説得しやすくなるというメリットがあるけど、逆に、中庸になると相手に説得されやすくなるというデメリットもある、ということのようだ。

中庸のメリットを得ながらデメリットを回避するためには、中庸に成らずに中庸を演じればよい、ということだろうか。



ということで、極端に走りがちな自分は、必要に応じて中庸を演じることができるように努めていきたい。

ただ、詐欺だらけの社会の中で、間違えても中庸に成らないように気をつけたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-27 08:12 : 雑記 : 編集

説得の極意は柔術にあり・・・

「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」(ジェイ・ハインリックス 著、多賀谷正子 訳)という本の感想、2回目。

議論にも「柔術」の技法が使えるという話が印象的だった。
他人の同意を得るためのひとつの方法は、あなた自身がまず相手に同意すること。戦術として、ということだ。初めに同意したからといって、議論をあきらめたことにはならない。逆に相手の論点を利用して、あなたが目指すものを手に入れればいいのだ。相手の動きをうまく利用して相手のバランスを崩させる、「柔術」という技法を練習することだ。

力技でねじ伏せて同意を勝ち取るのではなく、相手の力を利用して同意を引き出す、ということのようだ。


より具体的な手段として、まずは自分の人柄(演技でOK)で好印象を抱かせ、次に論理で攻めて考え方を変えさせ、最後に感情(欲望)に火をつけて行動に駆り立てる、というようなことが書かれていた(と理解した)。

■説得のターゲット
Step1.聞き手の感情を刺激する
Step2.聞き手の考えを変える
Step3.聞き手の行動を駆り立てる

■説得の手段
Step1.語り手の人柄による説得
Step2.話の論理による説得
Step3.聞き手の感情による説得


さえない理系の自分は、論理的な説得だけで行動を変えさせようとしがちなので要注意。

すなわち、Step1をすっ飛ばしていきなりStep2から入り、そしてStep3がないまま終わってしまうような感じ。

前菜と締めが無いというか、力(論理)でねじ伏せようとしているだけで相手の力(感情・欲望)を利用しようとしてない。



ということで、柔術を意識してもっと相手の力(特に感情や欲望)を利用して1本がとれるように精進していきたい。



書くのは簡単なんだけど・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-27 07:16 : 雑記 : 編集

うまくいかない夫婦は議論よりも口論ばかり・・・

「THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術」(ジェイ・ハインリックス 著、多賀谷正子 訳)という本を読んだ。

レトリック(説得術、自分の考えや思いをうまく相手に伝える技術)について解説する内容であり、大変興味深い内容だった。


まず重要なことは、議論の「目的」を決めることと書かれていた。

それに関連して、うまくいく夫婦とうまくいかない夫婦の違いについての記載があり、印象的だった。
ワシントン大学にある「愛情の実験室」で、ゴットマンはアシスタントとともに、9年にわたって何百組もの夫婦の様子をビデオに収め、すべてのテープをじっくり研究した。(中略) 結婚生活が続いている夫婦は問題を解決して互いの違いを認め合うために議論していたようだ。(中略) 一方、うまくいかなかった夫婦は、同じ時間、相手を攻撃することに費やしていた。(中略) つまり、うまくいっている夫婦は「議論」し、うまくいかない夫婦は「口論」をしていたのである。

すなわち、話し合いの目的はあくまで問題を解決することにすべきであり相手に勝つことではない、ということと理解した。

特に議論における問題解決とは、自分の狙い通りに相手に行動してもらうこと。



また、目的に関連して「時制」に気を付けるべきと書かれており、なるほどと思った。

すなわち、「過去形」を使うのは責任の所在について話し合うとき、「現在形」を使うのは価値観ついて話し合うとき、「未来形」を使うのはこれからの選択(決断)について話し合うときであり、議論では未来形を使うべきとのこと。

過去や現在のことをアレコレ言うよりも、これからどうするかが問題なのだ。



ということで、仕事でなんとかやっていくためにも、円満な夫婦生活を送るためにも、過去や現在のことよりも、将来的な目的ファーストで話し合い(議論)をするべく努めていきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-27 06:11 : 雑記 : 編集

少子化対策は「理性」と「性欲」の闘い・・・

「包括的な少子化対策を望む」という記事が日本経済新聞の社説に掲載されており気になった。


記事からの抜粋。
急速な人口減に直面する日本にとって、少子化対策は焦眉の課題だ。安心して子育てできる社会に向け、各党はもっと包括的な議論を深めるべきだ。

子どもを持つかどうかはもちろん個人の選択だ。

少子化の要因は多様だ。若い世代が安定した仕事につけず、経済の基盤が弱いことも、結婚・出産の大きなハードルになっている。男女ともに仕事と家庭を両立できるよう働き方を変えること、高齢者に偏りがちな社会保障制度を見直すことも欠かせない。

そもそも何のために子供を作るのかと考えてみると、大きく3つあるように思う。
1.社会のため:国や属する社会の繁栄のため
2.遺伝子のため:自分(親)の遺伝子(子孫)の繁栄のため
3.自分のため:自分(親)が生きていくためや幸せのため

ただ、上記抜粋部分にも「子どもを持つかどうかはもちろん個人の選択だ」とあるような個人主義の日本社会では、「3.自分のため」が最優先されるため、「1.社会のため」に子供を作る人なんていないだろうし、「2.遺伝子のため」に子供を作る人も少数に違いない(そもそも遺伝子(子孫)を残すことが遺伝子(子孫)のためなるのか??)。

政府は国の将来の繁栄のために少子化対策を考えるけど、子供を作る当の国民は、子供を作るとしたらそれは自分のためということになる。

したがって、個人主義を維持したまま少子化対策するとしたら、親に対する子供を持つメリットを高める必要がありそうだ。

しかし、その際に問題となるのは、民主主義社会は多数決がベースとなるため、子供を持つ親が少なくなると子供を持つ親を優遇するような政策はできにくくなること。負の連鎖・・・。



いやいや、そんな小難しいことを考えずとも、話はもっとシンプルかもしれない。

すなわち、そもそも本能(性欲)が最大の少子化対策だったけど、人間は理性や避妊技術が発達して本能(性欲)に打ち勝つようになってしまったということかも。

そう考えると、理性や避妊技術にリベンジできるような性欲を育む(注入する?)ことが有効な少子化対策なのかも・・・。



いずれにしてもハードルは高そうだけど、少子化がさらに進むと本能的に危機感を感じるようになって性欲が高まり、問題解決できたりするかもしれない・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-21 09:08 : 雑記 : 編集

年金100年安心問題 ひ孫世代の老後は・・・

『年金「100年安心」の誤解』という記事が日本経済新聞に掲載されており気になった。

記事からの抜粋。
「ゆとりある老後には2000万円程度の自己資金が必要」という内容の金融審議会の報告書が各方面から強い批判を浴び、事実上の撤回に追い込まれた。この騒動は国民の多数が「100年安心」の意味を誤解していたことを示すものである。

そもそも現在の年金制度は15年前に行われた制度改革を前提としている。そこでは少子高齢化が進む中でも年金制度を維持できるように、年金給付額を徐々に削減してくマクロスライドの仕組みが導入された。この結果、年金制度の持続可能性が高まったことを「100年安心」と呼んだのである。

『年金「100年安心」の誤解』を問題視しているけど、そもそも100年程度先のことまでしか考えていないこと自体が問題のような・・・。


100年というと、今アラフォーの自分の世代の老後やその子供世代の老後はなんとかなったとしても、孫世代の老後やひ孫世代の老後はどうなってしまうのだろうか?

国民は自分の老後のことでいっぱいいっぱいだろうし、政治家は一票を持つ有権者の老後が最優先になってしまうだろうから、孫の世代やひ孫の世代やその先のことまで考えている人はいないのかもしれない・・・。


せいぜい100年程度先のことしか考えられないような、中途半端に賢い“人間”が制度を作ろうとするとこうなってしまうのは仕方のないことかもしれないけど、孫の世代が老後を迎えるまでには人間よりもはるかに賢くなった“人工知能”が解決策を提示してくれるのかもしれない。


ということで、孫世代以降のことは人工知能に託して、さえない自分はせいぜい自分自身の老後の準備をしておきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-21 07:07 : 雑記 : 編集

日本企業と中国の類似点 独裁監視社会・・・

番組のタイトルを忘れてしまったけど、NHKのBSにて中国の若者にインタビューを行っていた。

その中で、経済発展(すなわちお金)のためなら監視社会も甘受する、というようなニュアンスのコメントがあり印象的だった(数年前と比べても経済的に豊かになったことを実感できるようだ)。

裏を返せば、お金が伴わなければ監視社会は受け入れられない、ということと理解した。


このような話を聞いて、日本企業に勤めている自分は妙に納得してしまった(外国企業も同様か?)。

と言うのも、自分も、言わば社長による独裁体制の監視社会(人間に点数をつけるのも中国に似ている?)を給料(すなわちお金)のために甘受しているわけであり、給料が無ければサラリーマンなんてやってられない。



そのように改めて考えると、自由で平等な民主主義社会を生きているはずなのに、多くの時間を監視されまくりの不自由で不平等な独裁サラリーマン社会を生きていることになる。

中国との大きな違いは、お金のメリットが無くなれば好きに辞められるところだろうか。



ということで、独裁監視サラリーマン社会から一刻も早く抜け出すために、引き続き資産形成に励んでいきたい。

経済発展が停滞したら、中国はどうなるのだろうか・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-21 06:30 : 雑記 : 編集

「投資が悪」なのは必要ないときだけ・・・

「アメリカ人 異人・変人・奇人」(ニューズウィーク日本版編集部 編)という本の感想、3回目。


「銃は悪」だと思って生きてきた60代の女性が、銃を購入して小鳥を撃ち殺した話が印象的だった。

小鳥が毎日のように家にやってきて窓ガラスを突っついたり引っかいたりの「攻撃」を繰り返して騒がしいので、とうとう体や精神に変調をきたすようになったため実行に及んでしまったようだ。

女性が銃を購入するときのエピソードが特に印象的だった。
大量の書類に記入しながら、私は言った。
「リベラル派の女が銃を買いに来るなんて、珍しいでしょう」
男性は含み笑いを浮かべて答えた。
「(事実を知ったら)驚きますよ。『銃が悪』なのは、銃を必要としないときだけです」

この「○○が悪なのは○○を必要としないときだけ」というフレーズは、いろいろな場面で使えそうだ。

「戦争が悪なのは戦争を必要としないときだけ」

「投資が悪なのは投資を必要としないときだけ」

「ケチが悪なのはケチを必要としないときだけ」

などなどいろいろなパターンが考えられるけど、「悪が悪なのは悪を必要としないときだけ」と言えばすべてが包括されそうだ。



なお、逆に言うと、「正義が正義なのは正義を必要とするときだけ」と言えるかもしれない。

「平和が正義なのは平和を必要とするときだけ」

「貯金が正義なのは貯金を必要とするときだけ」

「節約が正義なのは節約を必要とするときだけ」



ということで、正義や悪は気まぐれだと思うので、そんな気まぐれな正義や悪に惑わされないように、善悪よりも損得を意識して資産形成に励んでいきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-20 08:14 : 雑記 : 編集

無責任な奴ほどよく眠る・・・

「アメリカ人 異人・変人・奇人」(ニューズウィーク日本版編集部 編)という本の感想、2回目。


「環境問題の話を子供にしないで」という米ニューズウィーク誌に掲載された読者からの投稿記事が紹介されており、次の記述が印象的だった。
地球規模の問題は昔からあるのに、最近は子供にも解決の責任があるかのように言われる。テレビで心理学者が言っていたが、この世で最大のストレス要因は、自分でコントロールできない問題に責任を感じることだという。

では、子供がいくつになったら環境問題の話をするべきか。ソベルは「4年生になるまで、悲しい話はしないように」とアドバイスする。10歳くらいになると、友達にペットボトルのリサイクルを勧めるなど、小さな活動ができるようになる。中学生になれば、環境保護政策に働きかけるといった複雑な問題にも取り組める。

「悪い奴ほどよく眠る」(黒沢明氏の映画のタイトル?)とか「善人は早死にする」とか聞いたことがあるけど、責任感の強い人は自分にはコントロールできないことまで責任を感じてしまって大きなストレスを抱え、その結果早死にしてしまうということか。

世界中の悲惨な情報に触れる機会が多い今の時代は、責任感の強い人にとってはストレス地獄なのかもしれない。

逆に、無責任な人はストレスフリーでよく眠ることができるのだろう。

まあでも、無責任すぎても社会生活上問題を抱えるだろうから、責任感のバランスが重要となるに違いない。

(自称)自責の念が強い自分は、必要以上に責任感を感じないように注意していきたい。



と言っても、毎晩ぐっすり眠れていることを考えると、自分は本当は無責任な奴なのかもしれない。

自称自責の念が強いけど、本当は無責任な奴ということか・・・。

なんだか自分が最低な奴に思えてきたけど、そんなことにストレスを感じているようではぐっすり眠れなくなってしまうに違いない・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-20 07:12 : 雑記 : 編集

「退職した夫がうっとうしい」のはアメリカも同じ・・・

「アメリカ人 異人・変人・奇人」(ニューズウィーク日本版編集部 編)という本を読んだ。


アメリカの週刊誌「ニューズウィーク」の投稿記事コーナー「My Turn」に寄せられたアメリカ人読者からの投稿記事を50個ほど紹介する内容(多くが悩み事)。

投稿記事と言っても、編集者が真偽を厳密にチェックし、素人レベルを超える文章に仕上げているとのこと。


その中で特に気になったのが、「退職した夫が家にいる悪夢」という投稿記事。

記事からの抜粋。
私が外出しようとすると、夫は必ず「どこへ行くんだい?」と聞く。答えると、次は「いつ帰るんだい?」。家にいるときでさえ、夫は常に私の居場所を知りたがり、「ジャンはどこかな?」とペットの犬に聞く。

相手に依存しない夫婦なら、老後を共に楽しめるはずだ。だが、私の夫はそういうタイプの人間ではない。女友達に話を聞いてみると、同じような悩みをかかえている人が大勢いた。ある友人の夫は退職したとたん、彼女にべったりになった。マジックテープで夫の体に張りつけられたような気がするという。2人は43年連れ添ってきたが、もう限界かも知れない……と、友人は言葉を濁した。

別の友人の夫は彼女を美容院に送ってくれるばかりか、終わるまで店内で待っている! また別の友人は、夫につきまとわれるのがうっとうしいと言う。ついてこない場所はトイレだけ。彼女が鍵をかけなければ、トイレにまで入ってくるだろう。

日本でもよく聞くような話であり、退職した夫がいわゆる「濡れ落ち葉」になってしまうのはアメリカでもよくある話のようだ。

東洋の日本と西洋のアメリカで共通しているということは、おそらく他の国々でも起きている現象なんだろう。

退職した夫が世界中で邪魔者扱いされているのを想像すると、(自分も含めて)男性が可哀そうな生き物に思えてくる・・・。


また、今は「かまってくれない」と怒られる自分も、退職したら「うっとうしいから放っておいて」と怒られるようになるに違いない。

何事もバランスが難しい・・・。



なお、この話に限らず、ママ友との付き合いがうっとうしいという話や、大学生の文章力の低さを嘆く大学教授の話など、日本でもよく聞くような話が他にもあり、世界中で人々は同じような悩みを抱えて生きているんだなと改めて思った。

そのように考えると外国人も身近な存在に思えてくるけど、逆に考えると、違いを強調するのは対立を煽りたい人の戦略だろうから注意していきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-20 06:13 : 雑記 : 編集

自己中心的なロボットは人間らしく見える・・・

「人造人間の“私”」というフィンランドで制作された番組がNHKの「BS世界のドキュメンタリー」にて放送されていた。

人間の形をしたロボット(人造人間)について紹介する内容。


ロボットを人間らしく見せるための方策に関するコメントが印象的だった。
人間は自分自身にしか興味が無く、自分のことばかり話します。だから、僕が人形の制作を始めたとき考えたのは、人形も自己中心的にするということでした。

人間が従うのは、道理でも真実でもない、ほとんどの場合、自分自身です。だから、道理を理解し、従うものを作ろうというなら、人間の形をしていてもそれはロボットです。一方、自分自身にしか興味のないものを作ったならば、それは人間を作っていると言えるかもしれません。

自己中心的なモノは人間に見え、逆に自己中心的でないモノはロボットに見える、ということのようだ。

そう言われると、人間は、というより自分は確かに自分のことしか考えていない自己中野郎だなと、改めて思った。

漫画やアニメの登場人物(ただの絵)に人間らしさを感じてしまうのは、彼らが自己中心的だからということか。

とすると、読者のことを考慮できていない自己中心的なこのブログも、ブログ自体が人間のように見えたりするのだろうか?



ただ、資産形成のためには、そして円満な社会生活(円満な夫婦生活?)を送るためには、「自己中心的」の強弱のバランスをもっと考えた方が良さそうだ・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-15 08:17 : 雑記 : 編集

サラリーマンのトラウマ・・・

「隠された日本人のトラウマ ~陸軍病院8002人の“病床日誌”~」という番組がNHKのBSで放送されていた。

日中戦争から終戦まで、心を病み精神神経疾患を負った兵士たち8002人の病床日誌(カルテ)を元に、その真実に迫る内容。

番組の中で、埼玉大学教授細渕富夫氏のコメントが特に印象的だった。
一農民兵士が出て行くわけで 突然「人を殺せ」と言われる そのギャップというのはものすごく大きいんですよ 一体なんの意味があるのかと そのストレスが高じて発症に至る 一生背負っていく傷になっているケースが多いと思いますね



自分の場合、「兵士」を「サラリーマン」に置き換えて次のように言えそうだ。

『一農民サラリーマンが出ていくわけで 突然「人を騙せ」と言われる そのギャップというのはものすごく大きいんですよ 一体なんの意味があるのかと そのストレスが高じて発症に至る 一生背負っていく傷になっているケースが多いと思いますね。』

ド田舎出身で根は代々農民であるさえない自分は、農民生活とサラリーマン生活とのギャップからくる精神神経疾患を負ってしまいそうなので要注意。


「人を殺す」ことに比べると「人を騙す」くらいは全然大したことではないと自分に言い聞かせて、一体なんの意味があるのかよくわからないサラリーマン生活を(アーリーリタイアを実現できるまでは)なんとか生き抜いていきたい・・・。





こんなことを考えてしまう自分は、すでに精神神経疾病を負ってしまっているのかもしれない・・・。

隠されてしまわないように注意しなくては・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-15 07:07 : 雑記 : 編集

参院選 各党の公約は・・・

「2019 参院選 各党の公約」という記事が日本経済新聞に掲載されていた。

7/21の参議院議員通常選挙に向けて、以下7政党の公約を紹介する内容。

自民党(120)
公明党(25)
立憲民主党(24)
国民民主党(23)
共産党(14)
日本維新の会(12)
社民党(2)
※カッコ内は参議院の現在の議席数(ちゃーも調べ)


政治には興味関心が薄く、よくわかっていないけど、議席数を見る限りでは自民党が圧倒的。

また、民主党(というより民進党?)が分裂したことは認識していたけど、立憲民主党と国民民主党の議席数はちょうど半分ずつになっているようだ。自民党にとっては敵の力が勝手に半減してくれて好都合といったところか?


自民党が圧倒的な状況なので、個人的には立憲民主党や国民民主党などの野党にはもっと頑張ってほしいと思うけど、野党の公約を見ると不満を感じてしまう。

というのも、どうせ政権を担うことはないのだからと、無責任に有権者受けの良さそうなことを羅列しているだけのように思えてしまう。

例えば、最低賃金を1300円にするとか1500円にするとか、教育や給食を無償化するとか、消費税率引き上げを凍結するとか、・・・。

本人たちも実現できるなんて思っていないだろうし、もっと言うと実現すべきとさえ思っていないのかもしれない。

ということで、野党にはもっと頑張って欲しいなと、なぜだか偉そうに上から目線で思っている勘違いサラリーマンがここにいる・・・。



ちなみに、各党の代表者のさわやかな(一部にこやかな)顔写真が載っているけど、日本の将来について考えたらもっと苦悩に満ちた険しい(さらには絶望的な)表情になってしかるべきではと思ってしまう。

ただ、そんなことを思ってしまうようではサラリーマン生活を生き残れない(絶望して離脱してしまう)に違いない・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-15 06:22 : 雑記 : 編集

老後 お金以上に心配なこと・・・

「認知症と生きる」という記事が日本経済新聞に掲載されており、気になった。

記事からの抜粋。
経済協力開発機構(OECD)の比較では認知症の有病率(2017年)は日本が2.33%で最も高い。警察庁によると、認知症で行方不明後に死亡が確認された人は18年までの5年間で3割増え508人。介護・看病疲れで起きた殺人事件は31件、自殺した介護者は230人に上る。

17年に英医学誌ランセットに掲載された研究では、複数の論文を統計的な手法で解析。遺伝的な要因は7%にすぎず「認知症の35%は予防できる」と指摘し、話題を呼んだ。

英研究チームによると、最大の要因は聴力低下で、耳が遠くなると9~17年後に認知症になる傾向があった。中等教育(12~14歳)の未修了者もリスクが高く、研究チームは「教育を受けることで認知機能が高まると同時に健康に気を配るようになる」と説明する。

年齢相応かもしれないけど、30代半ばあたりから徐々に記憶力が悪くなっている自覚があるため(特に人の名前がとっさに出てこない)、認知症については前々から気になっていた。

老後にお金が足りなくなったとしても頭がはっきりしていたらなんとかなるかもしれないけど、認知症になってしまったらお金があったところでどうにもなりそうにない。

さらに、この記事(介護・看病疲れの殺人や自殺の部分)を読んで、自分の認知症だけでなく家族の認知症も心配になってきた。



とりあえず、耳が遠くなったら要注意のようなので気を付けるとともに、今まで以上に健康には気を付けていきたい。

アルコールをどうするかが悩みどころだけど、認知症になる前に死にたくならない程度にはストレス対策として(という大義名分をつけて)アルコールを飲んでおきたい。せめて、つまみ類だけでも健康的なものにしようかな・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-14 09:33 : 雑記 : 編集

金融機関は高齢者の犠牲の上に・・・

「かんぽ不正、信頼逆手に」という記事が日本経済新聞に掲載されており気になった。

記事からの抜粋。
日本郵政グループで不正販売の広がりが止まらない。かんぽ生命保険では社員が故意に保険料を二重徴収した疑いまで発覚した。高齢者ら住民が郵便局に抱く安心感を逆手にとったとも受け取られかねない事態だ。日本郵便とかんぽ生命の両社長は10日にも記者会見で状況を説明するが、一連の不正は法令に抵触する恐れがあるとの指摘も出ている。

極端に言うと、かんぽ生命は高齢者からお金を騙し取っているということと理解した。

先日の日本経済新聞にも、銀行が投資信託を使って(極端に言うと)高齢者からお金を騙し取っているというような話が載っていた。

現実問題として、金融機関は高齢者の犠牲の上にしか成り立たないのかも・・・。

と言うのも、金利は低いし、他社との競争で手数料などは下げざるを得ないし、若者にはお金がないし、というような状況を考えると、強引にでもお金のある高齢者から取るしかないような・・・。


まあでも、よくよく考えると、お菓子業界(スイーツ業界)は自分のような甘いもの好きの犠牲(糖尿病になりそう)の上に成り立っているだろうし、アルコール業界は自分のようなアルコール好きの犠牲(アル中になりそう)の上に成り立っているだろうし、多くの商売は誰かの犠牲の上に成り立っているのかもしれない・・・。



ということで、あらゆる業界のいろいろな商売の犠牲にならないようにせいぜい気を付けていきたい。

といっても、アルコールや甘いものの犠牲には(自ら進んで)引き続きなり続けそうだけど・・・。





ちなみに、好意的に受け取ると、高齢者への金融資産の偏りを金融機関が是正してくれていると言えるのかも・・・。




なお、このようなニュースを聞くと、「郵便局さえ信じられないのに年金を信じろと言われても・・・」とか思ってしまいそう。

郵政民営化のように、そのうち年金民営化とかなったりして・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-14 07:13 : 雑記 : 編集

「利益重視」という経営理念の潔さ・・・

企業の「利益重視」の姿勢に関する記事が日経ビジネス(2018年11月12日号)に掲載されており印象的だった。

東京エレクトロン相談役東哲郎氏の記事。

記事からの抜粋。
「利益以外に何か、会社の理念はないのですか」。40年ほど前、新入社員研修の時に当時の社長に質問したことを覚えています。上層部がみんな、「利益重視」と口をそろえていたのが不思議だったのです。「その通り」と、社長は答えました。仕事の成果を社員に還元するには、利益を稼ぐ必要がある。そして利益を最終的に税金という形で社会に戻っていく。「悪いことをしているイメージを持ってはダメだ」と。

利益重視の姿勢を堂々と公言していいのかと、心配する人もいるでしょう。結果として「がめつい」とみられる恐れもあります。しかし私は、経営者こそが胸を張って発信すべきだと考えます。さもないと、顧客の前で社員がくじけてしまいかねない。利益は社会に貢献した証です。悪いことをして利益を稼いだとしても、決して長続きしません。

企業を人間に例えると、利益は血液や体力など「命の力」の源泉です。これがないと新しいことは何もできない。経営者はもっと、利益の大切さを自覚すべきです。

「利益重視」の姿勢を公言することに肯定的な内容であり、個人的にはすごく納得できる話。

というのも、サラリーマンとして働いていて最も違和感を感じるのが理想論的な経営理念と利益至上主義的な現実とのギャップの大きさだから。

本心は己の利益のためなのに、そして現実的にも利益を追い求めないと経営は成り立たないのに、経営理念では社会貢献のためと言っているよ・・・。


例えば、かんぽ生命の不正がニュースになっている日本郵政グループのホームページには次のような経営理念が書かれている。
郵政ネットワークの安心、信頼を礎として、民間企業としての創造性、効率性を最大限発揮しつつ、お客さま本位のサービスを提供し、地域のお客さまの生活を支援し、お客さまと社員の幸せを目指します。また、経営の透明性を自ら求め、規律を守り、社会と地域の発展に貢献します。

己の利益のことなんてこれっぽっちも書いていないというのに現実は・・・。



ということで、多くの企業の経営理念は社会貢献のオンパレードだけど、己の利益についても言及した方が個人的にはよっぽど好感が持てるな。

現実問題として利益を追わないと企業は成り立たないのだから。





ちなみに、かんぽ生命のホームページを見ると重要なお知らせとして次のように書かれている。
郵便局やかんぽ生命の名前をかたった詐欺等の金融犯罪にご注意ください。

自虐ネタ?
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-14 06:37 : 雑記 : 編集

「資産形成に信念はいらない」ことはない・・・

「人生に信念はいらない 考える禅入門」(細川晋輔 著)という本の感想、3回目。


本のタイトルにもなっている「人生に信念はいらない」という話が気になった。
私たちの人生に確固たる信念はいらない、と言ったら大袈裟でしょうか。

どうしても、人生の目的であったり、生まれてきた意義であったりと、強固で頑なな柱に憧れをもっていまうかもしれません。

強固すぎる柱は、たしかに揺れに対して強いかもしれません。しかし、想定外の揺れに対しては、意外ともろいものです。折れた柱を元に戻すのは、容易ではありません。それに対して、柔軟にたわむことのできるしなやかな柱なら、そうそう折れてしまうことはないのです。

資産形成に対して信念をもって臨んでいると言えそうな自分は(自称)、注意した方が良さそうだ。

すなわち、株価の暴落などで資産に大きな揺れが生じると、心が折れてしまう恐れがある。

かと言って、信念がなかったら目の前の誘惑に負けてしまって資産形成できないだろうから、ある程度の信念は必要と思う。

つまり、信念が強すぎてもうまくいかず、弱すぎてもうまくいかず、バランスが大切ということだろう。



ということで、暴落などで心が折れない範囲で最大限の信念を持つことを心掛けて資産形成に励んでいきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-13 09:23 : 雑記 : 編集

お金の中に幸せがあるのか 幸せのためにお金があるのか・・・

「人生に信念はいらない 考える禅入門」(細川晋輔 著)という本の感想、2回目。

仏教の臨済宗と曹洞宗の違いが印象的だった。長々と抜粋。
臨済宗は、「公案」と呼ばれる「禅問答」を頭の中で繰り返しながら坐禅をしていきます。一問一問はしごを登るようにクリアし、悟りへと到達していくこの禅風を「はしご禅」、または「看話禅」と称します。

一方、曹洞宗は「只管打坐」の一言で説明がつくと思います。「只管」とは、「ひらすらに」と考えられることが多いようですが、「ただ」という方が、その性質をよく表しています。ただ、ただ坐禅をしていく。この禅を「黙照禅」と称するのです。

個人的な見解ですが、目指すべき「悟り」というものを両宗派がどう捉えているか考えてみると、曹洞宗は現在進行形的に「坐禅」に取り組んでいる姿にこそ、求むべき悟りがあると思います。

それに対し臨済宗は、悟りのための最も有効な手段が「坐禅」となります。坐禅が悟りへの手段の一つでしかないか、坐禅そのものの中に悟りがあるか、そこが大きな違いなのです。

臨済宗では坐禅は手段であり、曹洞宗では坐禅は目的である、というようなことと理解した。


このような話を読みながら、資産形成に励む自分にとってお金は手段なのか?それとも目的なのか?、というような疑問が改めて沸いてきた。

すなわち、人生の目的を「自己満足の最大化」としている自分にとって、お金は自己満足を最大化するための手段なのか?、それともお金そのものが自己満足なのか?


この問題についてアレコレ考えていたら、問題は次のようなこととも思えてきた。

すなわち、「お金は自己満足を最大化するための手段」ということにした方が自己満足を最大化できるのか?、それとも「お金そのものが自己満足」ということにした方が自己満足を最大化できるのか?


いやいや、問題は次のようなこととも思えてきた。

すなわち、「お金は自己満足を最大化するための手段」とブログに書いた方が自己満足を最大化できるのか?、それとも「お金そのものが自己満足」とブログに書いた方が自己満足を最大化できるのか?



自分で書いていながらどうでもよくなってきけど、次のように考えていることにしておこう。

『手段の目的化なんかに陥らずに「お金は自己満足ための手段」と考えている』ようなスマートな自分を演じながらも、『実はついつい「お金そのものが自己満足」だと思ってしまうこともよくある』と白状するようなさえない正直者な一面も見せつつ、じつは『そんなことを考える暇があったらただただストイックに資産形成に励むべし』と本心では思っている、というような・・・。



というような訳のわからないことは考える暇があったら、とりあえず資産形成に励んでおくとしよう・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-13 08:36 : 雑記 : 編集

経済的な悟りを求めて 禅問答より銭問答・・・

「人生に信念はいらない 考える禅入門」(細川晋輔 著)という本をよんだ。

臨済宗の禅僧である著者が、修業時代の話や臨済宗の特徴である禅や公案(禅問答)について書いた内容。


いろいろな宗派がある仏教の中でも、臨済宗は坐禅をしながら公案(禅問答)を解き続けることで悟りに到達する、というような話が興味深かった。

この話を読んで、臨済宗が「坐禅×禅問答」で悟り(精神的な自由?)に到達しようとするなら、自分は「ブログ×銭問答」で経済的な悟り(経済的な自由)に到達しようとしている、と言えそうだと思った。

自分にとって、坐禅をして公案(禅問答)に取り組むよりも何よりも、まずは経済的な問題(衣・食・住の問題)を解決する方が先なのだ・・・。



ということで、経済的な悟りを求めて、今日も朝から銭問答に取り組んでいきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-13 07:14 : 雑記 : 編集

金魚釣りで癒される・・・

「ドキュメント72時間」というNHKの番組で、東京の住宅街にある大正時代から90年以上続く金魚の釣り堀が取り上げられていた。

初夏の暑い日差しの中、小さな池を囲んだ大人たちが目をイキイキさせて金魚釣りに没頭する姿が印象的だった。

金魚釣りと言えども、ちょっとした“狩り”みたいなものだろうから、狩猟採集時代の血が騒いでいるに違いなく、ある意味もっとも人間らしい行動の一つと言えそうだ。

普段の非人間的な仕事や生活から離れて、本来の人間らしさを取り戻しているように(自分には)見えた。


この番組は非常に印象的であり、お酒を飲みながら繰り返し3回くらい観てしまった。

何がそんなに魅力的だったのだろうかと考えてみると、普段のサラリーマン生活との“ギャップ”に魅力を感じてしまったに違いない。

“ギャップ”とはすなわち
速く速く ⇔ のんびりゆっくり
新規進歩 ⇔ 昔変わらず
デジタル ⇔ アナログ
生産的 ⇔ 非生産的
客観的なノルマ ⇔ 自分の好きにしたらええがな
という感じであり、もちろん左がサラリーマン生活で右が金魚釣り。


ということで、金魚釣り的な魅力ある生活を実現するために、さっさとアーリーリタイアできるよう、不本意ながらも非人間的なサラリーマン生活を送りながら資産形成に努めていきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-08 09:13 : 雑記 : 編集

「ここで投信を入れ替え、挽回しましょう」 嘘はどこまで許されるのか・・・

『「脱ノルマ」いばらの道』という記事が日本経済新聞に掲載されており気になった。

ノルマの廃止など、金融機関の営業の見直しに関する内容。

次の箇所が印象的だった。
「営業をしていて、良心がとがめたことは?」。記者の問いかけに三井住友銀行の20代行員はこう打ち明けた。「ノルマで困ると、孫のようにかわいがってくれる高齢者に頼ってしまった」

大口の貯金があっても元本割れリスクのある金融商品などを購入しない“岩盤貯金先”の開拓は難しい。この行員の場合、ノルマを達成するために脳裏に浮かぶのはいつも4~5人の高齢顧客だった。「株価が下がって損が出ます。ここで投信を入れ替え、挽回しましょう」。数年前まではこんな営業をすることもあった。

ここで、良心がとがめたということは、ノルマを達成するために顧客を犠牲にしたことを認めているということだろうから、「株価が下がって損が出ます。ここで投信を入れ替え、挽回しましょう」というような話も本心ではなく、つまり嘘ということになるのだろう。

いったい、嘘はどこまで許されるのだろうか??


そもそも、コミュニケーションを円滑にするために嘘は欠かせないにように思うので(極端に言うとコミュニケーション上手は嘘上手だと思う)、人間社会を成り立たせるために嘘は必要不可欠に違いない。

問題は、その嘘が許される嘘なのか、それとも許されない嘘なのか、ということ。

どんな嘘が許されないのか、普通に考えると、自分の利益のために相手を騙すような嘘は許されないだろう。

しかし、騙される方が悪い、というような話も聞くのでそんなに単純な話ではない。

実際、上記のような銀行員が許されている(罪を追及されていない)ことを考えると、この銀行員の嘘は(自分の利益のために相手を騙しているというのに)許される範囲内ということになりそうだ。

ただ、厳しい目で見ると、この銀行員は銀行の不正の片棒を担いでいるに違いなく、そんな銀行の頭取は不正の親玉ということになり、気まぐれな世論の転び方によってはタダでは済まない可能性を秘めているように思う。

つまり、極端に言うと銀行は詐欺集団なのだ。



このように、すぐに極端な考えをしてしまう自分は、許される嘘と許されない嘘の判断がすごく苦手であり、それがコミュニケーション下手につながっているに違いない。

そんな自分は、「嘘はどこまで許されるのか?」の答えはよくわからず、気まぐれな世論の転び方しだいだと思ってしまう・・・。



ということで、適度な嘘がつけることができるように努めつつ、詐欺には気を付けながら、引き続き資産形成に励んでいきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-08 08:05 : 雑記 : 編集

インデックスファンドはブランドの無いビジネス・・・

第一三共会長中山譲治氏の記事が日本経済新聞に掲載されていた。

「ブランドの無いビジネス」という製薬業界の話が印象的だった。
新薬ビジネスにはブランドが無い、というのが他の業界との最も著しい相違点になる。

会社のブランドでなく科学データのみに基づいて販売する。それからは特許によって独占性が保たれる。

特許が切れれば、他社の同じ化合物が大きな投資(臨床試験)無しで参入してくる。ブランドが無いから、価格差しかない。すぐにシェアを奪われる。

この話を読んでインデックスファンドが思い浮かんだ。

ブランドではなくコストや純資産総額などのデータに基づいて販売するインデックスファンドは、まさに「ブランドの無いビジネス」と言えそうだ。

しかも、製薬業界と違って特許もないため、独占できることもなく価格差しかない。

そのようなことを考えると、インデックスファンドは低コスト競争にさらされてしまうお手本のような商品なんだろう。現実的にもすでに低コスト競争に陥っているようだし・・・。


よくもまあやってるね、と同情されることもあるが、新薬で救われた患者さんの話を聞く時、他の事業にはない強い喜び「命の輝き」を感じる。だからやっていられる。

よくもまあやってるね、と同情しながら、インデックスファンドに救われることを信じて引き続き投資を続けていきたい・・・。



まあでも、「ブランドの無いビジネス」は消費者側もブランドをあてにできないビジネスのため、データを常にチェックする必要があり、つまり、同情する暇があるならデータをチェックする必要がありそうだ・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-08 07:03 : 雑記 : 編集

国の将来を真剣に考える人・・・

「シンクタンクとは何か 政策起業力の時代」(船橋洋一 著)という本を読んだ。

シンクタンクにまつわるアレコレや、シンクタンクに関する日本の課題などを紹介する内容。


そもそもシンクタンクとは何か?

明確な定義は無いようだが、また国によって違いもあるようだが、おおよそ次のようなことと理解した。
1.国内・国際問題の政策志向の調査・研究・提言を行う政策研究機関
2.多くは非営利の民間組織であり、課題設定は自主的に行う
3.調査・研究・提言を行うだけでなく、その実現に向けて行動を起こすシンクタンクもある
4.特に米国では政治への影響力があり、政府への人材供給源になっている

というような感じで、調査・研究がメインの大学や、課題を依頼主から与えられるコンサルティングなどとは違いがあるようだ。

なお、日本はシンクタンク小国であり、シンクタンクのような役割を官僚が代わりに担っている(ただし担いきれていない)とのこと。



改めて考えてみると、日本の将来の政策について誰が真剣に考えているのだろうか?

政治家? 官僚? 学者? メディア? 有権者?

おそらく、自分も含めてすべての人は国の将来なんかよりも目の前の自分の利益(お金や地位や娯楽など)の方が大切だろうから、日本の将来について真剣に考える暇があったら自分の利益について真剣に考えるに違いなく、すなわち、日本の将来のことなんて誰も真剣に考えていないに違いない。

例えシンクタンク大国だったとしても、シンクタンクの人たちも同様に日本の将来よりも自分の利益について真剣に考えるに違いない。



というより、そもそも民主主義の国で国のことが後回しになってしまうのはしかたのないことなのかもしれない。

というのも、国を最優先に考えると人権がおろそかになり、民主主義が脅かされてしまう結果になりそうだから。

つまり、国の将来を真剣に考えて行動を起こそうとしたら、民主主義を脅かすような行動をとらざるを得なくなるに違いない。

とすると、誰かが国の将来について真剣に考えて行動するようになったら、我々の人権が脅かされて返って不都合なことになるのかもしれない。



ということで、国の将来について真剣に考えている人はいないかもしれないけど、それは返って良いことなのかもしれない、ということにしておこう。

ほんとか・・・。




なお、もしかしたら、どこぞの国の独裁者の方がよっぽど真剣に国の将来について考えているのかもしれない。

そんな国には住みたくないけど・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-07 09:11 : 雑記 : 編集

日本人は白人から言われると弱い・・・

「ケント・ギルバート現象」という記事がニューズウィーク日本版(2018年10月30日号)に掲載されていた。

かつてタレントとして活躍したケント・ギルバート氏の一連の著作、『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』など日本の保守派に寄り添う論調の本が生まれた背景に関する内容。

記事からの抜粋。
実際に会ったギルバート本人は、知性とユーモアに満ちた穏やかな性格の人物である。毎週日曜日、末日聖徒イエス・キリスト協会(モルモン教)の教会でオルガンを弾くのを楽しみとする、「善きアメリカ人」だった。

こうした「まっとう」な本人の素顔と、著作に見られる過激な論調のギャップは大きい。このようなギルバートの言説が生まれた背景には、裏方役の日本人スタッフたちの意向に加えて、商業的な視点からセンセーショナルな論調を好む各社の編集長の働き掛けがある。複数の関係者はこう話す。

「『儒教』は、講談社の担当編集者の間渕隆と日本人スタッフがほとんど作った。当初、ケントは『愛国心についての本』と説明されて口述したところ、間渕が儒教を絡めた(中国・韓国批判の)書籍に作り変えた」

間渕は過去に『日本中枢の崩壊』などのベストセラーを生み出してきた敏腕編集者だ。本人への取材は「多忙」を理由に断られたが、18年3月6日付の朝日新聞は、彼が『儒教』を仕掛けた背景をこう伝えている。「『差別意識はない。読者の知りたい欲望に応えた』と話す。東京・新橋の居酒屋で、周りの客が中国人や韓国人への違和感を語っているのを聞き、企画を思い付いた。」「間渕さんは『日本人は白人から言われるのに弱い。ギルバートさんが言うほうが説得力が増すと考えた』という。

この中で、『日本人は白人から言われるのに弱い。ギルバートさんが言うほうが説得力が増すと考えた』という部分が特に印象的だった。

すなわち、「日本の保守派向けの本を白人が書く」のはマーケティング戦略ということのようだ。


確かに、『コミュニケーション強者に支配された日本人の悲劇』なんていうケント・ギルバート氏の本が出たら、コミュニケーション弱者の自分は嬉々として手に取ってしまいそうだ。日本人が書いた場合よりも気になってしまうに違いない。

しかも、図書館で借りるのを待ちきれずにうっかり買ってしまう、というような悲劇が起きるかもしれない・・・。



ということで、本に限らずなんらかの商品やサービスに気を引かれたら、その商品やサービスが自分の気を引くために仕組まれた仕掛けについて勘ぐるように努めていきたい。

なんだか、資本主義社会という釣り堀の中を泳ぐ魚のような心境だ。まんまと釣り上げられないようにしなくては・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-07 08:18 : 雑記 : 編集

リケジョが嫌がる仕事で稼ぐ・・・

「増えぬリケジョ 環境が壁」という記事が日本経済新聞に掲載されており気になった。

記事からの抜粋。
政府は2019年版男女共同参画白書の中で、理工系分野を専攻する女性「リケジョ」が少ない現状を分析した。大学生のほぼ半数を女性が占めていても、工学系を中心に理数系を専攻する人は少ない。女子学生が模範とするような先輩の事例が乏しいことや、現在の女性の労働環境が影響していると結論づけている。

文部科学省の18年度の調査によると、大学で工学系を専攻する女性の比率は15%で、大学全体の45%に比べて低い。04年の10%からあまり増えていない。

リケジョが増えないことを問題視している記事だけど、理工系男子(おじさん)の自分としては返ってひと安心といったところ。

というのも、リケジョが増えてしまうと、さえない自分の仕事を優秀なリケジョに奪われてしまう恐れがあるのだから・・・。


なお、自分の周りを見ても、研究寄りの部署は女性が増えているようにも思うけど、自分のような開発寄りの部署には女性はほとんど増えていない印象。たとえ女性が配属されたとしても、しばらくするといなくなってしまう(他の部署に異動して行ってしまう)のだ。

開発という泥臭い仕事は、仕事嫌いの自分はもちろん嫌なんだけど、リケジョにとっても嫌な仕事なんだろう(自分が勤めている会社特有の問題かもしれないが・・・)。

まあでも、逆に考えると、そんな仕事はリケジョというライバルのいない理工系男子の天国なのかもしれない(天国というより墓場?)。



ということで、リケジョのいない今のうちになんとか稼いで、リケジョが増える前にアーリーリタイアの実現にこぎつけたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-07 07:10 : 雑記 : 編集

投資もブログも6周年 「継続 ひらすら 継続」

2013年6月にこのブログを始めてから6年が経過した。

そして、同年8月に投資を始めてからもうすぐ6年が経過する。

さらに、さえないサラリーマンを始めてから約15年が経過したし、もっと言うと、さえない人間を始めてから約40年が経過した。


そんな節目の先日の日本経済新聞に、「継続 ひたすら 継続」という作家北方謙三氏の言葉が掲載されており印象的だった。

「継続は力なり」という言葉が好きな自分だけど(さえない自分が人並みにできるようになるには継続が大切)、「継続 ひたすら 継続」という言葉も好きになりそうだ。



ということで、「継続 ひたすら 継続」の精神で、これからもブログに投資に仕事に人間もめげずに継続していきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-06 08:20 : 雑記 : 編集

ドラマ「集団左遷」を観たアラフォーサラリーマンが感じたこと・・・

昭和生まれのアラフォーサラリーマンが平成最後の4月から観ていたテレビドラマ「集団左遷」が令和最初の6月に最終回を迎えた。

このドラマを始めて観たときの第一印象は、「この主人公は福山雅治氏に似てるな」というものだったけど、実は本物だったようで、その若々しさに驚いた。

福山雅治氏と言えば、アラフォーの自分は高校時代からその活躍を認識しており、少なくとも自分よりも年上のはず。

調べてみると、ちょうど10歳くらい年上のようで、すなわちアラフィフなのだ。

タイトルに書いた「感じたこと」とは、アラフィフのはずの福山氏が全然アラフィフには見えないこと。身の周りのアラフィフサラリーマンと比較しても若々し過ぎるし、サザエさんの磯野波平氏(54歳の設定)と5歳くらいしか変わらないなんて・・・(あと5年で波平氏のようになるとはとうてい思えない・・・)。



そんなどうでもいいことを考えているうちにこのドラマは終わってしまったけど、その違和感だけはまだしばらく頭の中に残り続けそうだ。

そういう自分は年相応に見られているのだろうか?? ちょっと心配になってきた・・・。





なお、このドラマで福山氏は勤めている会社(銀行)の不正と闘っていたけど、さえない自分は会社の不正について考える余裕なんてなく、自分がいかに生き残るか(給料を確保し続けるか)を考えるだけでいっぱいいっぱいなのだ。

きっと、そういう姿勢が不正につながっていくんだろうな・・・。





ちなみに、このドラマの主人公が波平氏だったら不正と闘っただろうか?

イメージ的に全然勝てそうな気がしないけど・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-06 07:11 : 雑記 : 編集

並外れた満足感を得る方法・・・

「PRINCIPLES(プリンシプルズ) 人生と仕事の原則」(レイ・ダリオ 著、斎藤聖美 訳)という本の感想、7回目。


成功の満足は目標達成からくるのではない、という話が印象的だった。
若い頃、並外れた成功を達成した人を見て、彼らは特別だから成功したのだと思っていた。そういう人たちと個人的に知り合いになって、彼らはみな私や普通の人と同じように、ミスを犯し、自分の弱みと戦い、自分は特別だとか偉大だとか思っていないことがわかった。私たち以上に幸せだとうことはない。普通の人と同じように悪戦苦闘する。途方もない夢を実現した後ですら、栄光よりも苦労することが多い。私の場合もまったくその通りだ。何十年も前に見果てぬ夢と思っていたことを実現したが、私は今日ももがき苦しんでいる。やがて、成功の満足は目標達成からくるのではなく、上手に奮闘できたときに味わうものだと悟った。

単に目標を達成すれば満足感を得られるというわけではなく、その過程の奮闘が欠かせないようであり、つまり、苦労の末に勝ち取った目標達成が満足感をもたらすということと理解した。

ということは、並外れた成功を達成した人も、並みの成功を達成した人も、並み以下の成功を達成した人も、その過程で感じる苦労感が同程度なら、成功で感じる満足感は同程度ということだろうか。

仮にそうだとすると(というより都合よくそういうことだとすると)、サラリーマンとして働いて給料を稼ぐだけでも人並み以上に苦労を感じているに違いないさえない自分は、得られている満足感は人並み以上なのかもしれない。

そう考えると、自分がさえないことについて、それほど悲観することも無いのかも?


ということで、達成できる成功は成功者の足元にも及ばないけど、感じる満足感では成功者を上回ることができるよう、人並み以上に苦労感の多いさえないサラリーマン生活を継続していきたい。

並み外れた苦労の先には、並み外れた満足感が待っているに違いない!!




たとえこじつけだとしても、このように都合良く考えることで、さえないサラリーマン生活を少しでも前向きにとらえることができるように努めていきたい・・・。
関連記事
関連ブログ
にほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 株ブログ インデックス投資へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
2019-07-06 06:06 : 雑記 : 編集
ホーム

プロフィール

ちゃーも

Author:ちゃーも
■自己紹介
・アラフォーサラリーマン
・さえないエンジニア
・お金好き、お酒好き、読書好き

■資産形成の方針
・仕事:開き直ってストイックに稼ぐ
・投資:パッシブに殖やす
・節約:消費するよりアーリーリタイア

■投資の内容
・インデックスファンドの積立投資
 (先進国株式、ゴールド)
・利用している主なファンド
 eMAXIS Slim 先進国株式インデックス
 たわらノーロード 先進国株式
 SMT ゴールドインデックス・オープン(為替ヘッジあり)

資産推移

資産状況202003

検索フォーム