変人には変人の資産形成がある・・・

「コンビニ人間」(村田沙耶香 著)という本を読んだ。


普段はノンフィクションばかり読んでいるけど、久しぶりに小説を読んでみた。

この本を読んでみようと思った理由
1.芥川賞受賞作品でありながら気軽に読めそうだったこと
2.コンビニは学生時代にバイトしていたためタイトルが気になったこと
3.著者が同世代なこと


どんな話なのかを知らずに読んだけど、初めは正常に思えた主人公(コンビニでバイトしている30代の女性)の異常ぶりが話が進むにつれてどんどん際立ってくるような内容だった。

変わり者(普通の人からすると異常)との自覚がある自分は、話の途中くらいまでは共感できる内容だったけど、後半は変わり者の自分からしても異常に映る内容だった。正常な人は前半から異常さを感じるのだろうけど・・・。


そもそも絶対的な正常なんてなく、正常は多数決で決まるようなものなんだろうけど、人間社会を生きていく上で多数派に身を置くことは重要なのである程度の正常さは必要不可欠に違いない。

まあでも、正常どストライクの人もなかなかいないだろうから、ほとんどの人はある程度の異常さ(多数派から外れているという意味で)を持ち合わせているのだろうけど。


逆に、その異常さ(多数派との違い)が武器になることもあるだろうから、異常さも一概に悪いとは言えない。

例えば、歴史上の偉人たちは異常な人のオンパレードだろうし、また、こんな本を書けてしまう著者も異常度の高い人に違いなく、その異常さを活かして芥川賞をとれるような本を書くことができたのだ。


自分も、自分の異常さを活かした資産形成ができるように心掛けていきたい。

そのような視点で改めて考えてみると、既に異常さを活かした資産形成ができているようにも思う。

例えば
1.異常なまでのケチさを活かして節約する
2.異常なまでの我慢強さ・ストイックさを活かしてさえないサラリーマン生活を続ける
3.異常なまでの受け身体質を活かしてインデックスファンドの積立投資を継続する


ということで、これまで以上に異常さを活かした資産形成を目指していきたい・・・。
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2019-11-30 13:26 : 雑記 : 編集

6年半でリスク資産比率が40%突破・・・

2013年8月にインデックスファンドの積立投資を始めてから約6年半(正確には6年4カ月)が経過した今、株価が好調なこともありリスク資産の比率が40%を突破した。

記念に、これまでのリスク資産比率の推移と資産の推移のグラフ(金額は秘密)を貼り付けておきたい。

なお、リスク資産は外国(先進国)株式のインデックスファンドのみであり、現在保有しているのは下記3つ。
1.eMAXIS Slim 先進国株式インデックス
2.たわらノーロード 先進国株式
3.企業型確定拠出年金で利用できるファンド(詳細は秘密)

■リスク資産比率の推移
リスク資産比率201911

■資産の推移
資産状況201911


これからも同様のペースで積立て投資を続けていきたい。

このペースでいくと、リスク資産比率が50%になるまでにあと3年ほどかかりそうだ。

ただ、これまでがおおむね好調だっただけに今後が怖い・・・。
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2019-11-30 09:34 : 雑記 : 編集

ブランドを制するものが世界を制する・・・

「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(田中信彦 著)という本の感想、5回目。


焼き物(磁気)のブランドである中国の「景徳鎮」、日本の「有田焼」、そしてドイツの「マイセン」の格差に関する話が印象的だった。
技術の蓄積とブランド構築ができずに衰退し、低価格品に甘んじている景徳鎮。懸命の努力で品質は世界トップレベルだが、ブランド力では欧州に及ばない有田。最後発ながらブランド力をいかんなく発揮し、品質、価格とも世界のトップをいくマイセン。単純化しすぎと言われるかもしれないが、何やら世界経済の縮図をみているようである。


景徳鎮(中国)と有田焼(日本)に格差が生じた背景については、次のような要因があると書かれていた。
「一意専心」「一所懸命」で専門性を高めることこそ、人生の「スジ」と考える日本人。専門性が高まることは人生の選択肢を絞ることであり、むしろリスクとみて「いつでも辞められる状態にしておく」ことこそが「安定」と考える中国人。中国人の生き方は個人としては一定の合理性があるが、企業や国家という組織、集団にとってはその内部に能力の蓄積が進みにくく、効率が悪い。

確かに、日本では専門性が評価されうように思うし、自分も専門性を高めようとしてきたように思う。

もっというと、日本では○○道と言われるようなその道を究めようという姿勢が強いように思うし、自分も道を究めたがっているように思う。

そのように道を究めようとする一方で、ブランド力を高めることがおろそかになっているため欧州(ドイツのマイセン)に負けている、と言うことなんだろうか。


欧州のブランド力の強さの源泉については書かれていなかったけど、よくよく考えるとキリスト教からしてブランド力の賜物に違いない。すなわち、キリスト教が人を惹きつけるのはそのブランド力故だろう。

極端に言うと、欧州の歴史はブランドの歴史と言えるのかもしれない。ブランドを制するものが欧州を制するというような・・・。

それは妄想にしても、金儲けのためにブランド力は重要に違いないので、これからはブランド力をもっと意識していきたい。


ということで、「ブランドを制するものが世界を制する」と考え、有田焼よりもマイセンを目指して資産形成に励んでいきたい・・・。
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2019-11-30 08:40 : 雑記 : 編集

14億人の面子バトル・・・

「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(田中信彦 著)という本の感想、4回目。

「面子(メンツ)」に関する話が興味深かった。

関連箇所を長々と抜粋。
中国語でよく使われる言い回しに「面子が大きい」という言い方がある。「あの人は本当に面子が大きいね」とか「私は彼ほど面子が大きくないから・・・・・・」といった使い方をする。「面子が大きい」という言い方は日本語ではなじみがないが、要するにこれはその人の「問題解決能力が高い」ことを意味する。つまり「他の人にはできないことが、その人にはできる」ことである。

日本人にとっては「面子が立たない」という言葉は、ちょっと無礼なことをされたくらいの感覚で、そこに「上下」「勝負」の要素はあまりない。だが、中国の人にとっての「面子」は、自分という人間が人格を肯定されるか否定されるか、くらいの意味をもつ。(中略)量で比較するが発想や行動を強く支配するゆえに「面子」が絡むと対人関係が「勝ち負け」になってしまう。(中略)大小、上下、高低、強弱、言い方はさまざまあるが、詰まるところ評価の軸が事実上、1本しかない。そこで勝てればいいが、負けることは耐えがたく、許されない。

さらに、「面子」を漫画「ドラゴンボール」に出てくる「戦闘力」に例えた言い回しが印象的だった。
中国の「面子」とは、「スカウター」を付けた14憶人が、いつでもどこでも「量」を巡る真剣勝負をしている国だ、ということなのである。
※「スカウター」とはドラゴンボールに出てくる(単眼の)眼鏡のように身につける相手の「戦闘力」を測るための電子機器


つまり、中国では人の評価軸が「面子」の大小に集約されており、その唯一の評価軸である「面子」をかけて14億人が日々戦いを繰り広げている、ということのようだ。

そして、今現在その面子争いのトップに立っているのが習近平国家主席といったことろだろうか。


一方、日本の場合、戦いを勝ち抜くというよりも、皆と同じであることの方が重視されている(これまでは重視されてきた)ように思う。

戦後の経済成長期のように国全体が豊かになる時代はそれ(皆と同じ)で良かったのかもしれないが、国全体が貧しくなっていく恐れがあるこれからの時代は「戦いを勝ち抜く」ような発想が重要になってくるに違いない。


ということで、「金儲け力」スカウターを身に付けて、「金儲け力」バトルの勝者になるべく精進していきたい・・・。
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2019-11-30 07:30 : 雑記 : 編集

西洋には神様 日本には世間様 中国には・・・

「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(田中信彦 著)という本の感想、3回目。


西洋や日本では外部的な力が人々の行動を律するけれど中国はそうではない、というような話が印象的だった。

関連箇所を長々と抜粋。
西洋の市民社会がキリスト教を基盤に確立されてきたものであり、特に宗教改革以降の西洋社会の飛躍的な経済発展が、キリスト教の価値観と密接に結びついていることに異論のある人はいないだろう。私の理解するところでは、西洋社会でキリスト教の果たしてきた役割とは、神という存在が人々の行動を律することにあった。

日本社会では、本来の意味の宗教はあまり普及しなかったが、その代わりに「世間様」という全能の神様がいて、常に個人の行動を監視している。子供の頃から人は「そんなことをすると世間様に笑われるよ」と叱られ、悪人は「そんなことをしても世間様はお見通しだ」と言われる。これも外部的な仕組みの力で人の行動を管理する発想である。

中国社会に生きる人々、特に支配階層の意識を大きく規定してきたのは儒教である。(中略)儒教とはざっくばらんに言ってしまえば「自己修養の教え」である。つまり人は自らを厳格に律して、深く修養し、「立派な人」にならなければならない。極端に言えば、全ての人が「立派な人」になれば、世の中は丸く収まる。そういう社会を目指すべきだ――というのが儒教の基本的な考え方である。(中略)つまり伝統的な中国社会の観念では、人は自らの力によって、自ら立派な人になるべきであって、それができる人こそが立派な人である。第三者の力や「仕組み(神や仏も含む)」に依存することで自らを律しなければならないようでは、それは本当の立派な人ではない――ということになる。

すなわち、「神様」や「世間様」のような外部的な力が人々の行動を律する西洋や日本とは異なり、自らの行動は自分自身で律するというのが中国の儒教的な考え方のようだ。

「自らの行動を自分自身で律する」というのはすばらしいことのように思えたけど、以下のような弊害があるとのこと。
当然ながら、全ての人が「私は自分で自らを律することができる人間である」ことを示そうとするだろう。それは人々の間に「仕組み」とか「システム」の力を借りることを潔しとしない気風を生む。要するに、「私はマニュアルなどなくてもきちんと挨拶できる」「私は人に指図されなくても、ちゃんと結果を出せる」ことが、「立派な人」の条件であると考えるようになるのである。(中略)しかしながら、こんなことができる人がそうそういるものではない。他者に管理監督をされることなく、自己修養を積み続けられる人など極少数だ。自己評価は甘くなる。自己正当化を図る。何か都合のよい理由を見つけてきては「自分のせいではない」と思う。「中国的自己修養」の教えの限界はここにある。

極端に言うと、西洋が神様に従い、日本が世間様に従うとすれば、中国はオレ様に従う、という感じだろうか。

まあでも、西洋は神様に従うといっても個人主義的な面もあるだろうから、神様(外部的な力に律せられる)とオレ様(自分自身で律する)のバランスがとれているのかもしれない。


自分は、世間様に従う方に偏り過ぎた人生(世間様に従順すぎる人生)を送っているように思うので、今さらながらもっとオレ様に従う(自分自身で律する)べく努めていきたい・・・。
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2019-11-30 05:40 : 雑記 : 編集

「仕事」で稼ぐか「投資」で稼ぐか・・・

「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(田中信彦 著)という本の感想、2回目。


お金を稼ぐことに対する日本人と中国人の考え方の違いが印象的だった。
日本人は、お金を稼ごうとした時、頭にまず出てくるのは「仕事」であり「働くこと」である。仕事や労働は収入をえるための手段であると同時に、時にはそれ以上に、それ自体が価値を持っている。よい仕事をして世間に認められれば結果的にお金が入ってくる――と考える。それをコツコツ蓄積して資産をつくる。

一方、中国人は「お金が欲しい」と思った時、まず考えるのは「投資」である。現実に何らかの仕事に就いて働くとしても、それは投資の原資を稼ぐとか、その業界や市場の知識を得るために働くのであって、頭の中には常に投資(=お金に働かせる)という観念がある。

今でこそ「投資」をしている自分も、資産運用に目覚めるまでは「稼ぐ」と言えば「仕事」だった。

日本社会では、世間一般的にも「稼ぐ」と言えば「仕事」のように思うし、さらに、抜粋部分に書かれているように「仕事」をすること自体に価値があると考えている節がある。


自分はサラリーマンとして仕事をすることに価値を見い出せないけど、生活費や投資資金を稼ぐには「仕事」をせざるを得ないし、また、収入源の分散としての「仕事」には価値があるように思う。


ということで、収入源を「仕事」に分散する必要がなくなるほどの資産を築ける日(アーリーリタイアできる日)を夢見ながら、「仕事」と「投資」のバランスがとれた資産形成に努めていきたい・・・。
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2019-11-30 00:05 : 雑記 : 編集

「べき論」に縛られる日本人・・・

「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(田中信彦 著)という本を読んだ。

ものごとを判断する際、日本人は「どうするべきか」で(画一的に)判断し、中国人は「どれだけあるか」で(臨機応変に)判断する、というような話。

この本では、前者を「スジ」で考える、後者を「量」で考える、と表現している。


確かに、(中国人についてはよくわからないけど)自分も含めて日本人は「どうするべきか」で判断する傾向が強いように思う。

もっと言うと、「こういう場合はこうするべき」というような正解が社会全体で決まっていると考えて、その正解に沿った行動をとろうとしているように思うし、さらには、周りの人たちをもその正解に従わせようとするように思う。

「べき論」(正解至上主義)に縛られて(自分を縛って、周りの人たちと縛り合って)窮屈な生活を送っているようなイメージ・・・。


なお、「スジ」で考えることと「量」で考えることそれぞれのメリット/デメリットについて、以下のように書かれていた。

「スジ」で考えるメリット
行動が計画的になる
仕事の「前始末」をするので、スムーズに進むことが多い
行動後の問題の発生率が低い


「スジ」で考えるデメリット
決断に時間がかかる
前例にとらわれやすい、変化しにくい
心配過多で、杞憂に終わることが多い。結果的にムダが出る
「万一の事態」を先回りして考えるので、製品やサービスがオーバースペックとなり、過剰品質に陥りやすい


「量」で考えるメリット
決断が速い
現状の変化に対応し、臨機応変な行動をする
(結果的に)効率的である
現実に問題が出た時、初めて対応するので、うまくいっている間はムダな行動がない


「量」で考えるデメリット
規範性が低い。人によって、状況によって言うことが変わる
継続性に乏しい。一つのことを続ける根気に欠ける
ものごとの本質を追求する姿勢が弱い
同じ失敗を繰り返しやすい

「スジ」思考にも「量」思考にもメリットとデメリットがあるということであり、「スジ」思考と「量」思考のバランスが大切ということなんだろうと理解した。



ということで、「スジ」で考えがちな自分の思考の癖を自覚し、「スジ」思考と「量」思考のバランスをとって究極的には良いとこ取りできるように精進していきたい・・・。
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2019-11-29 22:48 : 雑記 : 編集

ロック・ミュージックがソビエトを崩壊に導いた?

「ロックが崩した冷戦の壁」というアメリカで制作された番組がNHKの「BS世界のドキュメンタリー」にて放送されており気になった。


旧ソビエト連邦では(冷戦状態にあった)西側のロック・ミュージックは禁止されていたようだが、若者の間で広がっていったようであり、ロック・ミュージックを求めるそんな若者のエネルギーがソビエト連邦を崩壊に導いた(一助となった)というような話。

元KGB幹部のコメントが印象的だった。
敵の体制を倒すための最も有効な手段の1つはイデオロギーや文化を絡めた攻勢です まさにこれが冷戦時代に起こりソビエトの崩壊を招いたのです


なお、1985年に政権に就いたミハイル・ゴルバチョフ氏は若者の支持を得るためにロック・ミュージックの統制を弱めていったとのことで、ソビエト連邦崩壊の直前には以下の動画のような西側のロックコンサート「モンスターズ・オブ・ロック1991」がモスクワ近郊で開催されるまでになっていたようだ。

アメリカのロックバンドに対する旧ソ連の人たちの熱狂ぶりが印象的だった。




ということで、音楽(などのソフト)が持つ力の大きさ(恐ろしさ)を改めて感じた・・・。
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2019-11-26 22:40 : 雑記 : 編集

「リッチ礼賛主義」というプロパガンダ・・・

「プロパガンダ ウソを売る技術」というカナダ・ドイツで制作された番組がNHKの「BS世界のドキュメンタリー」にて放送されていた。


「プロパガンダ」に関する大変興味深い内容だったが、現在の資本主義社会に関する次のコメントが特に印象的だった。
私が北米に住む自分の身の周りで、特にプロパガンダ的だと思うのは、最も流行している主流のカルチャー。それは例えば、ハリウッド映画だったり、住宅リフォーム番組や家探しの番組だったりします。消費志向の強い、理想的なライフスタイルを代表するものです。

世界で最も成功しているプロパガンダは、みんなお金持ちになりたがっているというリッチ礼賛主義でしょう。

資本主義は人を羨み妬む心を生み出します。人口の1%が理想的な生活を享受し、残りは苦しんでいる。そんな風に見える社会の中で生きているため、多くの人が恵まれていないと感じています。しかし、それは幸せな生活の誤ったイメージをすり込まれているせいです。

確かに、現在の資本主義社会を生きる人々の一番の願望は「リッチになりたい」(金持ちになりたい&消費したい)ということなのかもしれず、そのような願望を抱くのはメディアを通したプロパガンダの影響なのかもしれない。

幸い?にもケチな自分は消費したいとはあまり思わないけど、金持ちになりたいとは思ってしまうので、プロパガンダの影響を受けているに違いない。


ということで、プロパガンダは身の周りにあふれているという認識を持ち、踊らされないように気を付けていきたい。

リッチ礼賛主義の他にも、例えば、幸せ礼賛主義や労働礼賛主義や自己実現礼賛主義や生存礼賛主義や資本主義礼賛主義や自国礼賛主義やなどなどたくさんのプロバガンダがありそうだ・・・。
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2019-11-24 10:17 : 雑記 : 編集

投資の常識は変わっていく・・・

「変わる投資の常識」という記事が日本経済新聞の「大機小機」というコラムに掲載されていた。

債券投資と株式投資の常識が変わった、というような話が印象的だった。
従来、投資に関する教科書では、債券投資は利払いに伴うインカムをより重視し、株式投資は配当よりも価格変動に伴うキャピタルゲインを期待するとされてきた。

こうした教科書的な前提は変わってしまった。今日、日本ではマイナス金利に伴い10年程度までの年限でマイナス金利になったなか、債券のインカムに依存できず、むしろマイナス金利ゾーンでの価格変動、キャピタルゲインを期待する投資になっている。一方、マイナス金利でも配当はマイナスにならないなか、株式の配当の重要性が高まり、株式はインカムを重視して投資する考えが生じている。

アラフォーの自分は、まだまだ数十年は投資を続けるつもりだけど、投資の常識はこれからもどんどん変わっていくのだろう。

自分は外国(先進国)株式のインデックスファンドへ投資しているけど、投資の常識が変わるとその影響を受けるに違いない。

まあでも、投資の常識だけはでなく、社会の常識も仕事の常識もどんどん変わっていくだろうから、都度対応が必要になりそうだ。



ということで、常識の変化には注意しながら、とりあえず外国(先進国)株式への投資とさえないサラリーマン生活を続けていきたい・・・。
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2019-11-24 01:02 : 雑記 : 編集

「パターン認識」 VS 「ゼロベース思考」

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』(山口周 著)という本の感想、5回目。

「パターン認識能力」がアダになる、というような話が印象的だった。
私たちがこれから直面することになる状況の多くは、過去の問題解決において有効だった手段が必ずしも使えない状況、パターン認識力の高さが、そのまま問題解決の能力に繫がらない、むしろ状況を見誤らせることになる状況です。

このような状況において、まず必要なのは、何が起きているのかを虚心坦懐に「見る」ということでしょう。

つまり、これまでに身につけてきたパターン認識力を一旦脇に置いて、いわゆる「ゼロベース思考」をとりいれる必要がある、というようなことと理解した。


まあでも、いつもゼロベースで考えていたら時間がいくらあっても足りないだろうから、時間短縮の手段であるパターン認識とのバランスが重要に違いない。

ただ、普段はパターン認識に偏り過ぎているように思うので、もっとゼロベース思考をとりいれた方が良さそうだ。



ということで、パターン認識とゼロベース思考のバランスをとるよう努めていきたい・・・。
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2019-11-23 21:27 : 雑記 : 編集

あてにするべきは「客観的な内部のモノサシ」・・・

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』(山口周 著)という本の感想、4回目。

以下3点のような状況になりつつある今の時代、「客観的な外部のモノサシ」よりも「主観的な内部のモノサシ」が重要になる、というようなことが書かれていた(そして、そのためには「美意識」を鍛える必要があるということ)。

1.論理的情報処理の限界 (論理的に考えても答えを出せなくなってきた)
2.自己実現欲求市場の浸透 (消費が自己実現の手段となってきた)
3.ルールの時代遅れ化 (ルールが時代の変化に追いつけなくなってきた)


なお、「客観的な外部のモノサシ」よりも「主観的な内部のモノサシ」というのは、より具体的には次のようなこと。
・ 「論理」 よりも 「直観」
・ 「法律」 よりも 「倫理・道徳」
・ 「市場調査」 よりも 「審美感性」


つまり、今の時代は「客観的な外部のモノサシ」はあてにならないため、あてにするべきモノサシを自分自身で作り上げる必要がある(そして、そのためには美意識が必要)、というようなことと理解した。


「客観的な外部のモノサシ」はあてにならないだろうことも、あてにするべきモノサシは自分自身で作り上げるべきだろうことも納得できたけど、ただ、作り上げるべきモノサシが「主観的」という点には納得できなかった。

というのも、あてにするべきモノサシは自分自身で作り上げるべきだとしても、(社会生活を送ろうとするならば、独りよがりでは駄目という意味で)それは「主観的」というよりも「客観的」である必要があるように思うから。

すなわち、「客観的な外部のモノサシ」ではなく、「主観的な内部のモノサシ」でもなく、「客観的な内部のモノサシ」といったところだろうか。



ということで、「客観的な内部のモノサシ」を作り上げられるようにせいぜい精進していきたい・・・。
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2019-11-23 20:47 : 雑記 : 編集

己の体と頭を最大限に使いこなすために・・・

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』(山口周 著)という本の感想、3回目。


「セルフアウェアネス=自己認識」という言葉が出てきて気になった。
ビジネスを率いるリーダーを育成する、というのがビジネススクールの目的ですが、では今日求められるリーダーの素養として、最も重要度が高いものはなんでしょうか?

コーン・フェリー・ヘイグループは、全世界で実施しているリーダーシップアセスメントの結果から、変化の激しい状況でも継続的に成果を出し続けるリーダーが共通して示すパーソナリティとして、この「セルフアウェアネス=自己認識」の能力が非常に高いということを発見しました。

セルフアウェアネスとはつまり、自分の状況認識、自分の強みや弱み、自分の価値観や指向性など、自分の内側にあるものに気づく力のことです。

なぜセルフアウェアネス(自己認識)が重要なのか?

本を読んでもなぜ重要なのかよく理解できなかったけど、自分という道具を最大限に使いこなすために違いない、と勝手に理解した・・・。


改めて考えてみると、お金よりも何よりも、自分にとって一番重要な道具は自分の体と頭だろうから、その道具(自分の体と頭)の特性をよくよく理解して、最大限に使いこなすことが重要だ。

プロは安価な道具を渡されてもそれなりのことができるように、自分もさえない体と頭を渡されてもそれなりのことがでるように(少なくともサラリーマン生活をなんとか生き抜けるように)なりたい。


ということで、自分の体と頭の使いこなしに関してはプロ並みになれるよう、自己認識に努めていきたい・・・。



ただ、自己認識しようとすると、自分のさえなさ加減を再認識して嫌になってきそうだけど・・・。





ちなみに、セルフアウェアネス(自己認識)の手段としてマインドフルネスが挙げられていた。
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2019-11-23 19:11 : 雑記 : 編集

意思決定の基準は「言い訳」できるかどうか・・・

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』(山口周 著)という本の感想、2回目。

「アカウンタビリティー」(説明責任、理由を説明できること)に関する次の話が印象的だった。
後で責められた際に言い訳できるかどうか、という観点に沿って意思決定がなされるのであれば、これはリーダーシップの放棄でしかありません。

改めて考えると、約15年のサラリーマン生活で培ってきた自分の意識決定の基準は正に「うまくいかずに後で責められた際に言い訳できるかどうか」となってしまっているように思う。

口下手な自分の場合は特に、「口下手な自分でも言い訳できるかどうか」が重要なポイントとなる。

さえない下っ端の自分にとって、リーダーシップよりも何よりもとにかく生き残ることが重要だ。



ということで、引き続き「口下手な自分でも言い訳できるかどうか」を意思決定の基準にして、さえないサラリーマン生活をなんとかしのいでいきたい・・・。





なお、アカウンタビリティー(説明責任)に関する次の話も印象的だった。
ある意思決定をしようというとき、アートとサイエンスの間で主張がぶつかると、サイエンス側がアート側を批判することは非常に容易であるのに対して、アート側がサイエンス側を批判するのは非常に難しい

アカウンタビリティとは要するに「言語化できる」ということだ、とはすでに指摘しましたが、忘れてはならないのは、言語化できることは、すべてコピーできるということです。

アカウンタビリティー(説明責任)を重視する経営では、アート(直観)よりもサイエンス(論理)が優位となってしまったり、他社にすぐ真似される結果になってしまったり、というような弊害があるということのようだ。

とはいえ、アカウンタビリティー(説明責任)重視は今後も続くだろうから、上記のように引き続き「口下手な自分でも言い訳できるかどうか」を仕事上の意思決定の基準にしていきたい・・・。
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2019-11-23 06:06 : 雑記 : 編集

美意識を鍛えて混迷の時代を生き残る・・・

『世界のエリートはなぜ 「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』(山口周 著)という本を読んだ。

経営における意思決定には、論理(理性・サイエンス)だけではなく直観(感性・アート/美意識)も必要、というような話。


なぜ論理だけでは駄目なのか? 次のような2つの問題点が指摘されていた。

1.論理に頼ると皆が同じような答えにたどり着いて差別化できない
2.ますます複雑化していく世界において論理では答えを出せない


そう言われるとその通りと思う内容。

ただ、論理に頼ると皆が同じような答えにたどり着くというよりも、論理的に答えを出せないから周りの答えを真似してしまうと言うほうがより正しいような。

というのも、お店に並んでいる商品は異なるメーカーでも似通ったモノが多いように思うけど、それらは論理的に導かれた解だから似通っているというよりも、他社の売れ筋を真似をしただけに違いない。

ただし、スペック競争やコスト競争に限っては、論理によって皆が同じような答え(高スペック、低コスト)にたどり着いた結果なのかもしれない・・・。


このように、論理だけでは他者(他社)優位な答えを出せないため、直観が重要になり、そのためには美意識を鍛える必要がある、ということ(と理解した)。

まあでも、よくよく考えると、美しいと感じる機能はそもそも生き残るためにあるに違いない。

というのも、人は美しいと感じるモノを選択する傾向にあり、進化論的に言えば生存に有利となるモノに美しいと感じる遺伝子が生き残ってきただろうから。

そしてまた、人が美しく身なりを整えようとするのは周りから選択されようとするからであり、ある意味他人の美意識を逆手に取っていると言えそうだ。



ということで、サイエンス以上にアートが苦手な自分としては、論理と直観のバランスをとるべく、生き残るための武器としての美意識を鍛えるべくと努めていきたい。

美のかけらもないこのブログも、もう少し美にこだわって読者の美意識を逆手にとっていきたい・・・。
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2019-11-23 05:10 : 雑記 : 編集

無様な失敗を直視できない・・・

「一勝九敗」(柳井正 著)という本を読んだ。

ファーストリテイリングの柳井正氏が、ユニクロの成長の軌跡を振り返りながら経営に対する考え方や試行錯誤の実態を紹介する内容(出版は2003年)。


「失敗」に関する記述が印象的だった。
失敗は誰にとっても嫌なものだ。目の前につきつけられる結果から目を逸らし、あるいは蓋をして葬り去りたい気持ちにもなるだろう。しかし、蓋をしたら最後、必ず同じ種類の失敗を繰り返すことになる。

ほとんどの人は、成功した時も失敗した時も分析しない。何かボヤっと「成功してよかった」、あるいは「失敗してまずかったなあ」としか考えない。実行した個々の内容を具体的に分析し、因果関係がはっきりわかるまで考え抜くことが必要だ。抽象論ではなく、具体論で考える必要がある。また、次の段階で成功するためには、徹底分析した経験の蓄積が必要となる。

改めて考えてみると、自分はすぐに失敗から目を逸らしてしまう傾向があり、それゆえ同じ失敗を繰り返してしまっているように思う。

また、成功した時もなぜ成功できたのか考えることもない。

すなわち、失敗からも成功からも学ぶことができておらず、ゆえに成長できていない・・・。



ということで、同じ失敗を繰り返す残念な人を脱することができるよう、これからは仕事上の無様な失敗も直視して徹底分析するよう心掛けていきたい。




まあでも、いつもブログに書くだけで満足してしまって結局何もしない、というような失敗を繰り返しているような・・・。

まずはこの失敗を直視するところから・・・。
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2019-11-23 00:27 : 投資 : 編集

脳の弱点・・・

「世界のエリートが学ぶリーダー論」という記事がニューズウィーク日本版(2019年6月18日号)に掲載されており気になった。

米ジョージタウン大学教授サム・ポトリッキオ氏が説くリーダー論。

リーダーになりたいなんて思っていない自分も、以下の内容は生き残る上で参考になりそうだ。
21世紀の優れたリーダーは、自らの脳が命じることにとらわれない方法を見つける必要がある。

実のところ人間の脳は、複雑な世界を生き抜く上で、私たちを迷わせるように配線され、設定されている。こうした人間の脳が本来的に持つ弱点や欠点にとらわれず、それらを克服できる人はカリスマを持ち、困難なジレンマに対処できる人だとみなされるだろう。

つまり、本能に導かれるままに行動するのではなく戦略的に行動するべき、というようなことと理解した。

狩猟採集の時代から進化していない(とどこかで読んだことがある)人間の本能に従っていては、当時から大きく変わってしまった今の社会を生き残れないのは当然なんだろう。

「本能に殺される」というくらいに極端に考えて、自分自身の時代遅れの本能には警戒していきたい。



といことで、ますます変化していくであろうこれからの時代をなんとか生き残っていくためにも、本能の言うことには疑いを持ち、戦略的に行動するよう心掛けていきたい・・・。

といっても、自分の戦略もあてにはならないだろうから、本能と戦略のバランス(良いとこどり)が重要なんだろう・・・。




なお、脳の弱点とその処方箋について、以下のような記述があった。

■脳の弱点
1.気が散りやすいこと
2.仲間内を大事にしてよそ者を敵視する傾向があること
3.確実性を好むバイアスがあること(理解不能なことに無理やり答えを出して自信を持つ)
4.考えることをさぼる癖があること

■処方箋
1.未知の分野に飛び込み、多種多様な人々と接すること
2.無知を自覚して自分の知らないことを追求すること
3.競争とは何かを再定義すること(競争の目的は奪うだけでなく高め合うことであるべき)
4.マルチタスクよりユニタスクを重視すること
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2019-11-18 07:06 : 雑記 : 編集

いったい何を言いたいのか・・・

「心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術」(海保博之 著)という本の感想、5回目(最後)。


この本で特に印象的だったのは次の箇所。
誰かは不明であるが、こんなうまいことを言った人がいる。「まず初めに、あなたが言わんとしていることを言え。次にそれを言え。そして最後に、何を言ったかを言え。」至言である。

最初につける概要は、読み手に方向づけを与えるもの、最後につける要約は、知識への定着を与えるものというように、内容に区別をつけることにはなる。

説明下手との自覚があり、「いったい何を言いたいのか・・・」と常に思われているに違いない自分にとって、初めに概要を言って最後に要約を言うというのは要チェックポイントに違いない。


実は、本を読んでこのブログに書いてもその内容をすぐに忘れてしまうことが多いけど、「まず初めに、あなたが言わんとしていることを言え。次にそれを言え。そして最後に、何を言ったかを言え。」だけは肝に銘じて精進していきたい・・・。
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2019-11-18 06:05 : 雑記 : 編集

説明の詳しさとわかりやすさは両立しない・・・

「心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術」(海保博之 著)という本の感想、4回目。


『「説明の詳しさ×説明のわかりやすさ=一定」法則』という話が出てきて気になった。

すなわち、詳しさとわかりやすさは両立せずに反比例の関係にあるということ。

確かに、わかりやすさを重視するときは話を簡単化する必要があるし、逆に、専門的な詳しい説明をするときはわかりやすさが犠牲になってしまう。

そのように考えると、説明するときには詳しさとわかりやすさのバランスを考えることが重要なんだろう。



まあでも、このようなことは一般的なサラリーマンにとっては常識的なことに違いない・・・。

自分は、そのような基本的なことがわかっていない上に、さらに(上記式の)右辺の「一定」値(それがすわなち説明能力なんだろう)が低すぎるに違いない・・・。



ということで、詳しさとわかりやすさのバランスに気を付けると共に、説明力の底上げをするべく精進していきたい・・・。
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2019-11-17 18:40 : 雑記 : 編集

片付けができない人は貯金ができない説・・・

「片付けができない人は、100%貯金ができない」という記事がプレジデント(2018年12月17日号)に掲載されており気になった。


個人的には納得しかねる内容だった。
私はFPとして20年間、いろいろな方の家計と向き合ってきましたが、お金が貯まらない人には明確な共通点があります。それは「部屋が片付けられてないこと」。20年のキャリアの中で、部屋が散らかっていてお金を貯められる人は一人もいませんでした。

自分は、部屋や机を散らかし放題で職場でもよく注意されるけど(整理整頓にはルーズ)、ケチな性質ゆえか貯蓄率は高いと思う(お金にはシビア)。

すなわち、片付けはできないけど貯金はできる、というこのFPさんのデータには無い稀有な人のようだ。



まあでも、よくよく考えたら「片付けはできないけど貯金はできる人」は稀有でもなんでもないのかもしれない。

というのも、片付けができない人には下記2タイプ存在しうるが、これら2タイプのうち、FPに相談するのはタイプ1の人たちだけであり自分のようなタイプ2の人たちはFPに相談する必要が無い。

したがって、このFPさんが接する片付けができない人は、お金が貯まらないタイプ1の人たちだけだろうから、「片付ができない人は貯金ができない」と勘違いしてしまうのも無理はないのかも。

タイプ1:部屋の片づけができない かつ お金が貯まらない
タイプ2:部屋の片づけができない かつ お金が貯まる



ということで、片付けはできないけど貯金はできる、という稀有でもなんでもなさそうな自分は、これからも整理整頓はともかくお金にはシビアに元気に生きていくとしよう・・・。
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2019-11-17 16:42 : 雑記 : 編集

インデックス投資の醍醐味・・・

「混迷世界の投資術」という週刊ダイヤモンド(2018年11月3日号)の記事の感想、2回目。


「投資の醍醐味」という表現が出てきて気になった。
自らの頭で考えて能動的にお金を増やす投資の醍醐味を味わうためには、相場や経済ニュースを見たり、投資の知識を養ったりすることが必要だ。

「自らの頭で考えて能動的にお金を増やす」ことが投資の醍醐味だとすると、インデックス投資などのパッシブ運用では投資の醍醐味は味わえないということになりそうだけど、パッシブ運用にはパッシブ運用なりの醍醐味があるように思う。

自分が思うパッシブ運用の醍醐味とは、投資さえしておけば後は能動的な行動をとらなくても勝手にお金が増えてくれること(減ってしまうこともあるだろうけど)。

勝手にお金が増えてくれるというよりも、神の見えざる手がお金を増やしてくれるというべきか、あるいは世界中の人々がお金を増やしてくれるというべきか。要は、よくわからないけど自分ではない何かが勝手にお金を増やしてくれる。


そんなうまい話があるのかと疑ってしまうけど、(自分の能動的な働きよりも)疑わしくてよくわからない自分ではない何かの働きに賭けるところもパッシブ運用の醍醐味と言えそうだ。



ということで、インデックス投資などのパッシブ運用でもパッシブ運用なりの醍醐味は味わえるように思うけど、お金が増えるかどうかが一番の問題であり、醍醐味が味わえるかどうかは重要ではないんだけど・・・。
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2019-11-17 06:06 : 雑記 : 編集

コア・サテライト戦略の勧め・・・

「混迷世界の投資術」という記事が週刊ダイヤモンド(2018年11月3日号)に掲載されており気になった。


「コア・サテライト戦略の勧め」というような内容。
「長期・分散・積み立て」。森信親・前金融庁長官の肝いりで今年から始まった積み立て型の少額投資非課税制度「つみたてNISA」の影響もあり、資産形成を行う際の考え方として冒頭の三つのコンセプトが基本となることは、個人投資家へ徐々に浸透してきた感がある。

ただこのところ、そうした方法こそが投資の王道だと絶対視するかのような風潮が広がっていることに対し、「もっと幅広い投資の考え方があってよいはずだ」と異を唱える向きも出てきた。

ここで基本的な手法に挙げられるのが、「コア・サテライト戦略」と呼ばれる考え方だ。簡単に言えば、運用資産を「守り」に主眼を置いたコア部分と、「攻め」の役割を持たせるサテライト部分に分けて投資する戦略を指す。

資産の中心的な部分(コア)の目的は、長期にわたって安定的に資産価値を増やしていくことだ。一方、残りの一部資金(サテライト)は、コア資産より一定のリスクを取りつつ、より機動的に運用する形でリターンの上積みを目指す。この考え方は多くの機関投資家が採用しており、個人投資家も取り入れることが可能だ。

この抜粋部分には、「コア」と「サテライト」について次の2つの説明が書かれている。

1.コア=守りの資産(安定的に増やす) / サテライト=攻めの資産(リターンの上積みを目指す)
2.コア=中心的な資産 / サテライト=一部の資産

安全資産(貯金など)と外国株式(インデックスファンド)を現在約60:40の割合で保有している自分は、改めて考えると前者の意味(守りか攻めか)ではコア・サテライト戦略と言えるのかもしれない。安全資産がコアで外国株式がサテライト。

ただし、後者の意味(中心か一部か)ではコア・サテライト戦略というよりもコア・コア戦略と言えそうだ。安全資産がコアで外国株式もコア。

すなわち、「守り」と「攻め」という相反する2つの中心(コア)をもった運用をしていると言えそうだ。


このように改めて考えてみると、資産運用面ではなかなかバランスがとれているように思う。



一方、それに比べて実人生面(サラリーマン生活面)では「守り」オンリーの言わば1コア戦略でバランスが悪すぎのような・・・。

もっと「攻め」の要素も取り入れた方が良さそうだ。



ということで、資産運用面ではコア・コア戦略を続けつつ、実人生面(サラリーマン生活面)ではサテライト的に一部に「攻め」の要素を取り入れたコア・サテライト戦略を目指してみたい・・・。
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2019-11-17 00:06 : 雑記 : 編集

知的好奇心を利用するために・・・

「心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術」(海保博之 著)という本の感想、3回目。

人間に備わっている知的好奇心(知りたいという欲求)に関する話があり、次の箇所が印象的だった。
知的好奇心のわいてくるのは、基本的には次のようなケースである。(中略) 入力された情報のうち、処理できたものと処理できないものとが、「適当な割合」で混ざるようなケースである。処理できないものが多すぎても少なすぎても、知的好奇心はわかない。

すなわち、まったくわからない対象に知的好奇心はわかないし、逆に、既に知り尽くしている対象にも知的好奇心はわかない。知的好奇心がわくのは適度にわかって適度にわからない対象に対して、ということのようだ。

そして、この「適度に」が難しく、人間は適度を超えてわからない対象には不安を感じるようにできているとのこと。


確かに、普段の読書を思い返してみると、知らないことばかり書かれている本(理解するのに苦労する)や既に知っていることばかり書かれている本(改めて読む必要がない)よりも、知らないことと知っていることが適度なバランスで書かれている本に対して面白いと感じる(続きを読みたいと感じる)ように思う。



ということで、知的好奇心を刺激するために、本を選ぶときは知らないことと知っていることが適度なバランスで書かれていることに注意して選ぶようにしていきたい。

本に限らず、新しいことに挑戦するときは少しずつ足を踏み入れていくのが良いのだろう。



また、ブログを書くときも、読者の知的好奇心を刺激(利用)できるよう精進していきたい。

そして、フェイクニュースなどに知的好奇心を悪用されないようにも気をつけたい・・・。
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2019-11-16 08:04 : 雑記 : 編集

「わかる」とはどういうことか? 連想と抽象化・・・

「心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術」(海保博之 著)という本の感想、2回目。


「わかる」とはどういうことか? 次のような説明があった。
わかるとは、入力情報が、人間の情報処理系の中で適切に処理されて、頭の中に格納されている既有の知識に同化させることができたか、あるいは既有の知識をうまく調節できることである。

同化とは、ちょうど食物を消化、吸収するようなもので、入力情報を長期記憶の中にある知識(ピアジェのことばを使えばスキーマ)の中に取り込むことである。

調節とは、歯もまだ十分にはえていない乳児が少し固いものを食べるときのようなもので、既有の知識の中にうまく取り込めない情報が入ってきたときに、既有の知識の組み立てを少し変えたりして、何とかしてその新しい入力情報を取り込むことである。取り込めるように、既有知識の変更ができたとき、調節に成功、そして「わかった」ということになる。

この話を読んで自分なりに解釈すると、「連想」と「抽象化」がポイントのように思った。

すなわち、まずは「目の前のわかりたい状況」を「過去の記憶」と照らし合わせて、似たような状況が無かったかを探す(連想)。

そして、似たような状況があれば、それら2つ(目の前の状況 + それに似た過去の記憶)を包括する上位概念をつくり出す(抽象化)。

例えば、赤い自動車だけを知っている人(他の色の自動車を知らない人)が、青い自動車を始めて見たときに、記憶の中の赤い自動車を思い出し(連想)、色に関わらない「自動車」という上位概念をつくり出すこと(抽象化)によって目の前の青い自動車が何なのかを理解しようとする。


このように「連想」と「抽象化」で考えると、抜粋部分の「同化」とは「目の前の状況」と「それに似た過去の記憶」の乖離が小さい場合(すぐに連想できるし抽象化の度合いが小さくて済む場合)、逆に、「調節」はそれら2つの乖離が大きい場合(なかなか連想できないし大きな抽象化が必要となる場合)、というような程度問題と考えることができそうだ。



ということで、「わかりやすい表現」にするために、(それに似た過去の記憶を)受け手側が連想しやすい表現にするよう心掛けていきたい・・・。
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2019-11-16 07:14 : 雑記 : 編集

わかってもらうための初めの一歩・・・

「心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術」(海保博之 著)という本を読んだ。

「わかりやすい表現」について、心理学の知見を基に解説する内容。


この本を読んで、相手にわかってもらうためにはまず次の2つを知る必要があると理解した。

1.人間共通の性質(わかるメカニズム)
2.相手の人特有の性質(知識レベルや性格や世界観)

つまり、人間には共通する部分と人それぞれの部分があるため、それら2つを知る必要がある。

そして、わかりやすい表現もそれに対応して、人間に共通するわかりやすい表現と、その相手に特化したわかりやすい表現がある。


このように書くと当たり前のように思うけど、普段の自分はそんな当たり前のことをまったく考えていないように思うので、今後は意識していきたい。

特に、あまり他人に興味が無い(ように思う)自分は、相手に合わせて説明の仕方を変えるというのがまったくできていないように思うので、わかってもらうための初めの一歩と考えて「相手に合わせて説明の仕方を変える」ことを特に意識していきたい・・・。
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2019-11-16 06:21 : 雑記 : 編集

毎月自由に使うお金はどのくらいか・・・

『毎月自由に使えるお金 「1万円未満」が3割』という記事が先日の日本経済新聞に掲載されており気になった。

インターネット接続大手ビッグローブが実施した「お金に関する意識調査」の結果が紹介されていた。
毎月、自由に使える金額は「1万円未満」が23%で最も多かった。「2万~3万円未満」(18.8%)、「1万~2万円未満」(14.9%)と続いた。

このうち「自由に使えるお金はない」との回答も8.4%にのぼった。

アーリーリタイアを夢見る自分としては、例え自由に使えるお金があったとしてもアーリーリタイア資金にとっておきたいところ。

そんな自分が毎月どのくらいのお金を自由に使っているのかと改めて考えてみると、5千円~1万円くらいであり、ケチな自分にしてはそこそこ(調査結果を見るとある意味人並みに?)使っているようだ。そのほとんどはお酒だけど・・・。



ということで、今をなんとか生き抜くためにそこそこの消費はしつつも、将来を見据えて貯金や投資に励んでいきたい。

というより、ただの酒好きのケチ野郎なだけかもしれないが・・・。
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2019-11-10 08:16 : 雑記 : 編集

因果関係は空想の産物 疑ってかかるべき・・・

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』(伊神満 著)という本の感想、3回目。

「相関関係」と「因果関係」の違いに関する話が興味深かった。関連箇所を長々と抜粋。
・「相関関係」は生のデータの中に勝手に存在している
 ので、見つけるのは簡単だ、だが問題は、
・相関関係と「因果関係」は全くの別物だ
 という点にある。

では因果関係を発見するには、どうしたらいいのだろうか? 残念ながらそれは不可能である。極論すると、
・「因果関係」は、私たちの頭の中にしか存在しない。

相関関係ならばデータの中に勝手に生息しているが、因果関係はそれとは根本的に異なる性質の「概念」なのである。そして何をもって「論理的」で「科学的」な因果関係(の証明)とみなすかは、時代によって分野によって、ときには人によっても違う。

「因果関係を証明する完全無欠で絶対確実な統計手法」などというものは存在しない、と、そういうふうに一旦割り切っておいた方がいい。

私のUCLAにおける博士課程の指導教授であったエド・リーマー氏(専門は国際貿易の理論と実証、そして計量経済学)はこう言った。
「相関関係はデータの中にある。しかし因果関係は、我々の頭の中にしかない」
相関関係は「現実」だが、因果関係は「空想の産物」である。

「因果関係」(原因と結果の関係)は普段何気なく使っている概念だけど、厳密に「因果関係」を証明するのは困難であり、普段「因果関係」と言われているものは厳密に証明されたものではなく極端に言うと「空想」に過ぎない、というようなことのようだ(と理解した)。

なんらかの因果関係について聞いたり読んだりしたら、まずは疑ってかかった方がいいのかもしれない。

例えば、老後資金が不足する原因は投資せずに貯金するからだろうか?

地球温暖化の原因はCO2の排出だろうか?

酔っぱらった原因はお酒を飲んだからだろうか?


このようにブログを上手く書けない原因は文才が無いからだろうか・・・。
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2019-11-10 07:03 : 雑記 : 編集

ブロガーは都合のいいことしか書かない・・・

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』(伊神満 著)という本の感想、2回目。

「顕示選好の原則」という経済用語が出てきて気になった。関連箇所を抜粋。
人間は自分に都合のいいことしか喋らないから、何を言ったかではなく、実際に何を行ったかによって判断しなければならない。それが経済学者の手口である。

「人々の趣味・好みを、実際の行動パターンから読み解く」
というこの着眼点を、経済学用語では「顕示選好の原則」という。
私たちの好み(選考)は私たちの行動に表れて(顕示されて)しまうはずだ、という意味だ。
だからたとえばアマゾンやグーグルは、商品の閲覧・購入履歴、検索履歴、GPS上の足跡から、私たちの好みについて相当いろいろ推理していることだろう。

「人間は自分に都合のいいことしか喋らない」というのは、書くことについても同様だろうから(つまり人間は自分に都合のいいことしか書かないだろうから)、読書好きな自分も要注意。

まあでも、そういう自分も、このブログには自分に都合のいいことしか書いてないに違いないけど・・・。


ということで、本やブログなどを読むときは、著者にとって都合よく書かれているのが当然と考えて、真の姿を推測しながら読むように心掛けていきたい。

そして、このブログでは引き続き自分に都合のいいことを書き続けていきたい・・・。
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2019-11-10 00:02 : 雑記 : 編集

必死のパッチで資産形成・・・

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』(伊神満 著)という本を読んだ。

クレイトン・クリステンセン著「イノベーターのジレンマ」という1997年のベストセラーに感銘を受けつつも物足りなさ(説明不足さ)を感じた著者が、経済学の理論と実証分析手法を用いて詳細を検討する内容。

結論を導く過程の紹介に重点が置かれていたが、結論としては次のようなことが書かれていた。
①既存企業は、たとえ有能で戦略的で合理的であったとしても、新旧技術や事業間の「共喰い」がある限り、新参企業ほどにはイノベーションに本気になれない。(イノベーションのジレンマの経済学的解明)
②この「ジレンマ」を解決して生き延びるには、何らかの形で「共喰い」を容認し、推進する必要があるが、それは「企業価値の最大化」という株主(つまり私たちの家計=投資家)にとっての利益に反する可能性がある。一概に良いこととは言えない。(創造的「自己」破壊のジレンマ)
③よくある「イノベーション促進政策」に大した効果は期待できないが、逆の言い方をすれば、現実のIT系産業は、丁度良い「競争と技術革新のバランス」で発展してきたことになる。これは社会的に喜ばしい事態である。(創造的破壊の真意)

個人的に特に気になったのは①。

すなわち、既存企業が有能で戦略的で合理的であっても、本気になれないと新技術の競争には勝てないということ。

逆に、それに賭けるしかない新参企業は、例え能力で劣ったとしても新技術の開発に必死になるので勝つことができる。


これは、さえない自分が生き抜くためのヒントになりそうだ。

つまり、能力で劣っているとしても生き抜くことに必死になれば勝つこと(生き抜くこと)ができるに違いない。


ということで、生き抜くために必死のパッチで資産形成に励んでいきたい・・・。





ちなみに、響きが良かったので「必死のパッチ」という表現を使ってみたけど、必死さを強調したいときに用いる関西地方の方言らしい・・・。
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2019-11-09 09:14 : 雑記 : 編集

知るも地獄 知らぬも地獄・・・

「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」(ユヴァル・ノア・ハラリ 著、柴田裕之 訳)という本の感想、9回目(最後)。


歴史や科学を知ってしまうと、人生に意味は無いこと、自分に自由意識なんてないこと、自分が抱いている世界観は錯覚にすぎないこと、子孫を残し続けてもどうせ滅びるだけのこと、などの不都合な真実に気付いてしまい夢も希望もなくなってしまいそうだと、この本を読んで感じた。

一方、歴史や科学を知らないと、歴史や科学を学んだ人に生存競争で負けてしまって生き残れないに違いない。

極端に言うと、(歴史や科学を学んで)夢も希望を抱けなくなった世界を生き延びるか、(歴史や科学を学ばずに)夢や希望を抱いたまま死んでいくか・・・。

知るも地獄、知らぬも地獄・・・。



この問題も、結局はバランスが大切ということになるのだろう。

すなわち、歴史や科学をどの程度学ぶのかのバランスが大切。

夢や希望を無くしてしまわない程度に、かつ、生存競争に負けて死んでしまわない程度に学ぶ必要がある。

ただし、生存力(特に人間社会をうまく泳いでいく力)が低い自覚のある自分は、夢や希望を犠牲にしてでも歴史や科学から学んでなんとか生き抜いていく必要がありそうだ。



ということで、歴史や科学から少しでも多くを学ぶべく引き続き読書を継続し、(ある意味開き直って)夢や希望の犠牲の上に生存力を身につけていきたい・・・。
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2019-11-09 08:12 : 雑記 : 編集

庶民の価値はどんどん低下していく・・・

「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」(ユヴァル・ノア・ハラリ 著、柴田裕之 訳)という本の感想、8回目。

人間全員に価値を認めることが合理的だった、というような話が印象的だった。
自由主義が支配的なイデオロギーになったのは、たんにその哲学的な主張が最も妥当だったからではない。むしろ、人間全員に価値を認めることが、政治的にも経済的にも軍事的にもじつに理に適っていたからこそ、自由主義は成功したのだ。近代以降の産業化戦争の大規模な戦場や現代の産業経済の大量生産ラインでは、一人ひとりの人間が大切だった。ライフル銃を持ったり、レバーを引いたりする、一つひとつの手に価値があった。

すなわち、権力者にとって、経済的に成功するためにも軍事的に成功するためにも庶民の力は重要であり、そんな庶民の力を効果的に引き出すためには自由主義的な体制が適していた、ということのようだ。

しかし、ロボットやAIがますます発展していくこれらからの時代、権力者にとっての庶民の価値はどんどん低下していく運命にある。

すなわち、大勢の庶民よりも一人の天才や一台のロボット(AI)の方がお金をたくさん稼いだり人をたくさん殺したりできるようになっていく(すでになっている)。


ということで、これからの時代、庶民である自分の価値はどんどん低下していくだろうから、少しでも価値が残っており仕事に就けている今のうちに少しでも多くの資産を形成しておきたい・・・。
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2019-11-09 00:02 : 雑記 : 編集

公的年金の損得勘定・・・

「人生の4大リスクに備える」という記事が先日の日本経済新聞に掲載されており気になった。

公的資金は下記「人生の4大リスク」に備えるための保険とのこと。
1.長生き
2.けがや病気
3.大黒柱の死
4.インフレ

このような話を改めて聞くと魅力的な保険商品のように思えるけど、気になる点は受け取れる金額が決まっていないこと。

記事には次のような記述があり、「払い損」にはならないと思わせふうだったけど、公的年金は下方修正されることが多いような・・・。
年金が「払い損」になると思っている人も多い。しかし厚生労働省のデータでは、今の20~30歳代でも払った保険料より将来多くもらえる。税金などで財源が補われているからだ。


ということで、損得勘定から判断すると公的年金をどうすべきかよくわからないけど、従順な自分はこれからも年金保険料をきちんと納めていくことだろう。

といっても、サラリーマンの自分に選択肢は無いだろうけど・・・。
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2019-11-04 14:12 : 雑記 : 編集

ドイツの専門大学は就職予備校・・・

「ドイツの専門大学 就職特化」という記事が先日の日本経済新聞の「就活のリアル」というコラムに掲載されており気になった。

ドイツの専門大学について紹介されていた。
ここでは確かに技能系の職務教育も行われているが、特筆すべきは、ホワイトカラー系のいわゆる「会社人」教育のシラバス(講義概要)だ。3年制の下で、まず最初の1年は、会社の中で行われている仕事について、座学で学ぶ。営業・経理・人事・総務・企画・広報・宣伝などの実務を、現役実務者が教えるのだ。

こうして6職務程度を座学で学ぶ。次のステップとして学んだ実務の中から2カ月ずつ3職務について企業実習を行う。そして、最後の年では1職務に絞り企業実習を続けながら終了課題を仕上げる。

日本の教育界ではよく「大学を就職の予備校にするな!」という言葉が叫ばれる。ただ、ドイツではまさに「大学は就職の予備校」化しているのだ。

ドイツの専門大学は、極端に言うとサラリーマン養成所のようだ。

大学教育と言えば、リベラルアーツの重要性を指摘する記事を見かけることもあるが、それとは対極的な考え方と言えそうだ。

すなわち、実学を重視するのか、それとも、虚学を重視するのか。

あるいは、効率を重視してすぐに役立つ専門的なことを教えるのか、それとも、長期的な可能性を重視してベースの部分をしっかり育てるのか。

はたまた、資本の自己増殖に貢献できる人を育てるのか、それとも、教養の自己増殖に貢献できる人を育てるのか。


結局はバランスが大切という話になりそうだけど、個人的にはもっと実学重視(就職重視、お金教育重視)の教育を受けた方が良かったように思う。

何はともあれ、まずは目の前の生活を成り立たせるためのお金を稼げるようになることが重要だ・・・。
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2019-11-04 06:28 : 雑記 : 編集

経済発展はチキンレース・・・

「エネ転換で温暖化抑制を」という元米副大統領アル・ゴア氏の記事が先日の日本経済新聞に掲載されていた。

気候変動問題を危惧する内容であり、冒頭から次のような厳しいことが書かれていた。
9月にニューヨークで開いた気候行動サミットをみる限り、予想を上回る気候変動の進展に世界各国の対応は後手にまわっている。気候の危機は、人類文明にとってこれまで直面してきたあらゆる危機の中でも最も危険な脅威だ。私達が迅速に対応しないと、人類文明を終わらせかねない潜在的なリスクを伴っているからだ。

気候変動問題は深刻な問題なんだろうけど、その問題の大きさほどには騒がれていない(人類は動揺していない)ように思う。

人類のメンタルの強さの故か、あるいは鈍感力というやつか?

おそらくは、経済を成長させることが最優先で気候変動問題の対応どころではない、というのが正直なところなんだろう。(ちなみに、自分は資産形成が最優先で気候変動問題への対応どころではない)

他の国に先駆けて気候変動問題に対応してしまうと、経済的にはマイナスになってしまうだろうから、経済競争で負けてしまうことになるに違いない。


しかし、そうかといって、気候変動問題への対応が遅れてしまっても取り返しのつかないことになる。

すなわち、いわゆるチキンレースのような状況に陥っているのだろう。



そのようなことを考えると、メンタルが弱くて敏感でチキンな人が気候変動問題の救世主になり得るのかもしれない。

まあでも、誰もそんな人の言うことは聞きそうにないけど・・・。
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2019-11-03 08:39 : 雑記 : 編集

日本企業は共産主義の二の舞か・・・

「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」(ユヴァル・ノア・ハラリ 著、柴田裕之 訳)という本の感想、7回目。

共産主義が資本主義に負けた原因に関する話が印象的だった(前回と同じ箇所)。
資本主義が共産主義を打ち負かしたのは、資本主義のほうが倫理的だったからでも、個人の自由が神聖だからでも、神が無信仰の共産主義者に腹を立てたからでもない。そうではなくて、資本主義が冷戦に勝ったのは、少なくともテクノロジーが加速度的に変化する時代には、分散型データ処理が集中型データ処理よりもうまくいくからだ。共産党の中央委員会は、二十世紀後期の急速に変化を遂げる世界にどうしても対処できなかったのだ。すべてのデータを一つの秘密の掩蔽壕に蓄積し、すべての重要な決定を高齢の共産党首脳陣が下すのであれば、大量の核爆弾は製造できても、アップルやウィキペディアは作れない。

この部分を読みながら、日本企業も共産主義のようだと思えてきた。

すなわち、上記共産主義と同様に次のように言えそうだ。
「日本企業の取締役会は、二十世紀後期の急速に変化を遂げる世界にどうしても対処できなかったのだ。すべての重要な決定を高齢の経営陣が下すのであれば、スペックアップ品の大量生産はできても、アップルやウィキペディアは作れない。」

日本企業も共産主義のように崩壊してしまうのだろうか? すでに一部の企業は崩壊済み?

例え勤めている日本企業が崩壊してしまったとしても、自分の生活は崩壊してしまわないようにせいぜい精進していきたい。

そのための一手段という意味でも、引き続き資産形成に励んでいきたい・・・。

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2019-11-03 06:05 : 雑記 : 編集

永遠の真理よりも今を生き抜く真理・・・

「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」(ユヴァル・ノア・ハラリ 著、柴田裕之 訳)という本の感想、6回目。

社会体制に関する話が興味深かった。
自由主義が支配的なイデオロギーになったのは、たんにその哲学的な主張が最も妥当だったからではない。むしろ、人間全員に価値を認めることが、政治的にも経済的にも軍事的にもじつに理に適っていたからこそ、自由主義は成功したのだ。近代以降の産業化戦争の大規模な戦場や現代の産業経済の大量生産ラインでは、一人ひとりの人間が大切だった。ライフル銃を持ったり、レバーを引いたりする、一つひとつの手に価値があった。

資本主義が共産主義を打ち負かしたのは、資本主義のほうが倫理的だったからでも、個人の自由が神聖だからでも、神が無信仰の共産主義者に腹を立てたからでもない。そうではなくて、資本主義が冷戦に勝ったのは、少なくともテクノロジーが加速度的に変化する時代には、分散型データ処理が集中型データ処理よりもうまくいくからだ。共産党の中央委員会は、二十世紀後期の急速に変化を遂げる世界にどうしても対処できなかったのだ。すべてのデータを一つの秘密の掩蔽壕に蓄積し、すべての重要な決定を高齢の共産党首脳陣が下すのであれば、大量の核爆弾は製造できても、アップルやウィキペディアは作れない。

言わば「社会進化論」というような話であり、強い社会でもなく、正しい社会でもなく、時代に適合した社会が生き残る、というようなことと理解した。

自分も、強くなろうとするのではなく、正しくあろうとするのでもなく、時代に適合することを第一に考えるべきと改めて感じた。

また、理系的な思考に毒された?自分は永遠の真理を求めてしまいがちに思うけど、永遠の真理を求めようとするよりも時代に適合した真理を求めることが重要なんだろう。

すなわち、永遠の真理よりも何よりも、今を生き抜けるかどうかが一番の問題だ・・・。



ということで、時代とともに変化していくサラリーマン生活に適合した真理を追い求め続けて、アーリーリタイアを実現できるまでなんとか生き抜いていきたい・・・。
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2019-11-02 07:04 : 雑記 : 編集

世界観の分散投資 意味のない世界に複数の意味を見い出せ・・・

「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」(ユヴァル・ノア・ハラリ 著、柴田裕之 訳)という本の感想、5回目。

「意味のない世界のために意味を見い出せ」というフレーズが人間至上主義に関する話の中で出てきて印象的だった。
人間至上主義は、過去数世紀の間に世界を征服した新しい革命的な教義だ。人間至上主義という宗教は、人間性を崇拝し、キリスト教とイスラム教で神が、仏教と道教で自然の摂理がそれぞれ演じた役割を、人間性が果たすものと考える。伝統的には宇宙の構想が人間の人生に意味を与えていたが、人間至上主義は役割を逆転させ、人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然だと考える。人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけではなく森羅万象の意味も引き出さなくてならないという。意味のない世界のために意味を見い出せ――これこそ人間至上主義が私たちに与えた最も重要な戒律なのだ。

一三〇〇年には、ロンドンやパリやトレドの人々は、何が善で何が悪か、何が正しく何が間違っているか、何が美しく何が醜いかを、人間が決められるとは思っていなかった。善や正義や美を創造し、定義しうるのは、神だけだった。

今日では事情は大違いだ。私たちが意味の究極の源泉であり、したがって、人間の自由意志こそが最高の権威であると、人間至上主義は何世紀もかけて私たちに納得させてきた。私たちは何かしら外的なものが、何がどうだと教えてくれるのを待つ代わりに、自分自身の欲求や感情に頼ることができる。私たちは幼い頃から、人間至上主義のスローガンをこれでもかとばかりに浴びせかけられる。そうしたスローガンは、「自分に耳を傾けよ、自分に忠実であれ、自分を信頼せよ、自分の心に従え、心地良いことをせよ」と勧める。

神を崇拝する伝統的な宗教が信じられていた時代、それらの宗教が世界観を決めていたが、人間性を崇拝する人間至上主義となった現代では、人間(各自)が世界観を作り上げる必要がある、というようなことと理解した。

すなわち、「何が善で何が悪か、何が正しく何が間違っているか、何が美しく何が醜いか」を神に代わって人間(各自)が判断する。


さらに、今後人間至上主義に取って代わるだろうと(この本の別の箇所で)書かれているデータ至上主義の時代なると、データ(イメージしやすい表現を使うとAI)が世界観を決める、ということなんだろうと理解した。

すなわち、「何が善で何が悪か、何が正しく何が間違っているか、何が美しく何が醜いか」を神や人間に代わってデータ(AI)が決めるようになる。



それら3つの時代(神様、人間、AI)は大きく異なるように見えるけど、まあでも、都合の良い世界観を信じ込まされて利用されたりぼったくられたりしないように注意が必要という点では、いずれの時代も共通するように思う。

そういう意味では、投資で身につけた考え方を活かして、世界観も分散しておくのが良さそうだ。

例えば、ある宗教の世界観と自分で考え出した世界観とAIが示す世界観を三分の一ずつ採用したり、あるいは、自分で考え出した(大きく異なる)五つの世界観を五分の一ずつ採用したり、など。



ということで、「意味のない世界に意味を見い出せ」ではなく、「意味のない世界に“複数の”意味を見い出せ」を実行するべく努めていきたい・・・。
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2019-11-02 05:08 : 雑記 : 編集

神が死んで自由意志も死んでデータは・・・

「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」(ユヴァル・ノア・ハラリ 著、柴田裕之 訳)という本の感想、4回目(ようやく最後まで読み終わった)。

次のような話が興味深かった。

昔、人間は宗教を信じており、神様の教えが絶対だった。
しかし、科学が発展するにしたがって、神様は存在しないことに気がついた。

近代以降、人間至上主義の時代になり、神様の教えよりも自分の経験と感性を重視するようになった。
しかし、科学のさらなる発展によって、自由意志は存在せず人間を含む生物は生化学的なアルゴリズムに過ぎないことが今ではわかっている。

そして、これからはデータ至上主義の時代へ移行していくだろう。



ここで、データ至上主義とは、データ(データ処理)が示すことを絶対視するような思想であり、関連する次のような記述が印象的だった。
ロックやヒュームやヴォルテールの時代に、人間至上主義者は「神は人間の想像力の産物だ」と主張した。今度はデータ至上主義が人間至上主義者に向かって同じようなことを言う。「そうです。神は人間の想像力ですが、人間の想像力そのものは、生化学的なアルゴリズムの産物にすぎません」。一八世紀には、人間至上主義が世界観を神中心から人間中心に変えることで、神を主役から外した。二一世紀には、データ至上主義が世界観を人間中心からデータ中心に変えることで、人間を主役から外すかもしれない。

神様を信じるか? 自分を信じるか? データを信じるか? と問われると、確かにデータを信じると答えてしまいそうに思う。

神様はいないように思うし、仮にいたとしても信じられないし、また、さえない自分ももちろん信じられないし、(理系だから特にそう思うのかもしれないが)最も信じられそうなのはデータということになりそうだ。

ただ、神も自由意志も死んでしまった(否定される結果になってしまった)ように、次はデータが死んでしまう(否定されることになる)番なのかもしれないが・・・。



ということで、データの運命は気になるけど、このブログもデータ至上主義の片棒を担いで無駄なデータ(ブログ記事)をせっせと残していくとしよう・・・。




なお、人類は幸福や不死やさらには神になることを目指すだろうとこの本の冒頭に書かれていたけど、その結果どうなるのかについてデータ至上主義に絡めて次のような予測が書かれていた。
データ至上主義が世界を征服することに成功したら、私たちはどうなるのか? 最初は、データ至上主義は人間至上主義に基づく健康と幸福と力の追求を加速させるだろう。人間至上主義のこうした願望の充足を約束することによって、データ至上主義は広まる。不死と幸福と神のような創造の力とを得るためには、人間の脳の容量をはるかに超えた、途方もない量のデータを処理しなければならない。だから、アルゴリズムが私たちに代わってそれをしてくれる。ところが、人間からアルゴリズムへと権限がいったん移ってしまえば、人間至上主義のプロジェクトは意味を失うかもしれない。人間中心の世界観を捨てて、データ中心の世界観をいったん受け入れたなら、人間の健康や幸福の重要性は霞んでしまうかもしれないからだ。はるかに優れたモデルがすでに存在するのだから、旧式のデータ処理マシンなどどうでもいいではないか。私たちは健康と幸福と力を与えてくれることを願って「すべてのモノのインターネット」の構築に励んでいる。それなのに、「すべてのモノのインターネット」がうまく軌道に乗った暁には、人間はその構築者からチップヘ、さらにはデータへと落ちぶれ、ついには急流に呑まれた土塊のように、データの奔流に溶けて消えかねない。

すなわち、人間至上主義がそのきっかけとなった幸福や不死の追求は人間至上主義を捨て去る(データ至上主義に移行する)ことにつながるだろう、というようなことであり、つまり、幸福や不死やさらには神になることは実現しないだろう、ということのようだ(と理解した)。

さえない自分は、もちろん神になんてなれないうちに不幸のまま死んでしまうのだろうけど、そんなさえない人生をめげずになんとか生き抜いていきたい・・・。
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2019-11-02 00:02 : 雑記 : 編集
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ちゃーも

Author:ちゃーも
■自己紹介
・アラフォーサラリーマン
・さえないエンジニア
・お金好き、お酒好き、読書好き

■資産形成の方針
・仕事:開き直ってストイックに稼ぐ
・投資:パッシブに殖やす
・節約:消費するよりアーリーリタイア

■投資の内容
・インデックスファンドの積立投資
 (先進国株式、ゴールド)
・利用している主なファンド
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