ブログを書くことの弊害? そして対策・・・

前回に続いて「フランクリン自伝」(ベンジャミン・フランクリン 著、鶴見俊輔 訳)を読んだ感想。

下記抜粋部分を読んで、ブログを書くことには次のような弊害がありそうだと感じた。
弊害1:ブログで書いた内容は批判の対象となり攻撃される材料になる
弊害2:書いた内容に自分自身が縛られて動けなくなったり改善しようとしなくなったりする


これら2つの対策を考えてみた。

対策1:当たり障りのある攻撃的な内容は書かない
対策2:前言撤回は一貫性の無さではなく成長の証だと都合よく解釈する


と書いたものの、そもそもこのブログはほとんど読まれていないため攻撃される心配はないのだけど(おそらく一番の読者は自分、自分では世界で一番面白いブログだと勝手に思い込んでいる)。

まあでも念には念を入れて、つかみどころの無い妄想で煙に巻くとしよう。

また、「しょせん自己満妄想ブログだよ」とか、「いつでも前言撤回するよ」とか、あらかじめ宣言しておくのもよさそうだ。


ということで、今まで以上の自己満妄想前言撤回ブログを目指すことをひっそり宣言しておこう。





以下抜粋。

説教が巧みなある宗教家に関する記述。
かれが書いたものとか、それを印刷したものは時おり敵側に乗ずるすきを与えた。説教のときに言ったことならば、不用意な意見でも誤ったことでもあとで説明したり、こういうことをいっしょに述べるつもりだったと言って、前にいったことを変えることもできるし、また否定することもできるのだが、ラテン語の諺にもあるように『書いたものはあとに残る』のである。批評家たちはかれの書いたものを激しく攻撃して、その言い分にはいかにももっともだと思えるところがあるので、かれの熱心な信者はふえるどころか、逆に減っていくばかりだった。私が考えるところでは、もしかれが何も書かなかったとしたら、かれは信者もたくさんいる有力な宗派を後世に残し、かれの名声は死んだあとまでもますます高まっていただろう。書いたものが何も残っていなければ、非難したり、その人格にけちをつけたりするもとのものがないのだから、かれの信者は熱狂的な祟敬の心でかれに関するたくさんのすばらしい話を勝手に作りあげて、自分たちの望みどおりの人物にこしらえあげてしまえるからである。


ある宗派の創立者から聞いた話の記述。
もし、信仰の告白を一度刷り物にして公表してしまうと、わたしたちはそれにしばられて、動けない気持ちになり、もうそれ以上改善して行こうという気がしなくなるのではないかと恐れているのです。そして、私たちの後継者が、自分たちの長老たちや創設者が行ったことは神聖なものだとして、それにそむくことは絶対にいけないことだと思い込んでしまったら、なおのことかれらはもう改善して行こうという気がしなくなるのではないかと、それをとっても恐れているのです。

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2017-07-29 06:04 : 雑記 : 編集
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ちゃーも

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