「株式」という神様を信じられなくなった人は「現金」という神様にすがる?

「教養としての宗教入門 基礎から学べる信仰と文化」(中村圭志 著)という本を読んだ。

明日に「希望」を持つことも一種の宗教のようなもの、と言うような記述がありなるほどと思った。

関連箇所を長々と抜粋。
 まず、我々は、宗教を信じている人も、信じていない人も、ふつう、明日に向けての「希望」をもって暮らしている。現在、健康な人が、「自分は明日には重病にかかっているかもしれない」などとは、普通考えないものだ。仕事のスケジュールを立てるときも、家族揃ってのキャンプを準備するときも、当然、明日もまた今日と同じく健康で幸せでいることを前提にしている。
 これはまあ、自然なことである。しかし、厳密に考えれば、こうした「明日信仰」は根拠のない希望だともいえる。古典的仏教の立場からすると、あらゆる未来の予測は、非合理的なものだ。来年のことを言うと、鬼が笑う。誰にも未来のことはわからない。
 つまり仏教のお坊さんに言わせれば、ふつうの人が普通に明日のことを信じているのも、一種の宗教のようなものだということになる。みんな、潜在的に「明日」という名のうすーいカミサマを信じて生きているのだ。


この考え方をパクると、将来のリターンに「希望」をもって株式投資することも、一種の宗教のようなものなのだろう。「株式」という名の神様を信じて投資するのだ。

一方、現金(円)の価値は普遍的という「希望」をもって貯金することも、一種の宗教のようなものだろう。「現金(円)」という名の神様を信じて貯金するのだ。



このように考えると、日本人が株式投資に消極的なのは、「株式」という名の神様を信じきれないためと考えることもできそうだ(バブル崩壊の経験(信じたのに裏切られた経験)からか?)。

逆に、デフレが続いたこともあり、「現金(円)」という名の神様への信頼は絶大なものがありそうだ。



なお、今現在、世界の株価は好調なようで、「株式」という名の神様への信仰は勢いを増しているかもしれない。

さらには、「貯蓄から投資へ」のスローガンのもと、国を挙げて「株式」信者を増やそうとしているようだ。すなわち「株式国教化政策」・・・?

ただ、今後株価が低迷すると、裏切られた過去の記憶が甦り、「株式」信仰が一気に下火になって「現金(円)」信仰がより一層強固なものになってしまうかもしれない・・・。

でも見方を変えると、「現金(円)」という名の信頼できる(と思っている)神様がいることは、日本人にとって救いになっているのかもしれない。





と言うことで、「信じる」という行為は非合理的で宗教の始まりかもしれないが、人間が生きていくためには(根拠無く)いろいろなものを信じる必要がありそうだ。

「生きる」というのはある意味宗教的な活動なのだ・・・。






ちなみに、「信じる」と「疑う」の程良いバランスをとるのはすごく難しそうだな。信じすぎると躓きそうだし、疑い過ぎると希望がなくなりそうだし・・・。
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2017-10-21 06:37 : 雑記 : 編集
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