選択は意志が主役というポジティブ幻想社会・・・

「中動態の世界 意志と責任の考古学」(國分功一郎 著)という本を読んだ。

哲学の専門家が「中動態」について解説した本。



「中動態」については改めて書くとして、「意志」と「選択」に関する記述が気になった(この記事の最後に関連個所を抜粋)。

次のように理解した。

「選択」には、「意志」の他にも様々な要素(置かれた状況やそれまでの経緯や無意識など)が関わっているはずなのに、「意志」の影響力が過大評価されている。その結果、「責任」という考え方が生じる。

すなわち、「選択」の主役である「意志」には「責任」がある、という考え方になる。



そのようなことを考えていると、先日ブログに書いた「ポジティブ幻想」という言葉を思い出した。
「錯覚の科学」という放送大学の番組(全15回)の14回目「自己の錯覚」が大変興味深かった。

「ポジティブ幻想」という言葉が出てきた。

すなわち、精神的に健康な人は現実を自分に都合よく歪めて認識しているとのこと。

例えば、(現実はどうであれ)自分は平均的な人より良い特性を備えた人間だと思い込んだり、自分の影響力を過剰に認識したり、過度に楽観的になったり、など。

一方、抑うつな人はより客観的に正しく認識する現実主義的。

この中の「自分の影響力を過剰に認識する」というのは、すなわち、「自分の”意志”の影響力を過剰に認識する」ということだろう。

その結果、「選択」の担い手の一つに過ぎない「意志」を、「選択」の主役だと思い込んでしまう。

すなわち、「選択」の主役である「意志」には「責任」がある、という考え方には、ポジティブ幻想がベースにあるに違いない。



自分はそもそも「責任」という考え方にしっくりきていなかったが、それはポジティブ幻想が弱いからなのだろう、と腑に落ちた。

そういう自分には、「選択は意志が主役というポジティブ幻想社会」は生きづらいけど、まあでも、そういうゲームだと割り切って生きていくしかなさそうだ・・・。






以下、関連個所の抜粋。
選択がそれまでの経緯や周囲の状況、心身の状態など、さまざまな影響のもとで行われるのは、考えてみれば当たり前のことである。ところが抽象的な議論になるとそれが忘れられ、いつの間にやら選択が、絶対的な始まりを前提とする意志にすり替えられてしまう。過去から地続きであって常に不純である他ない選択が、過去から切断された始まりと見なされる純粋な意志に取り違えられてしまうのだ。

たとえば、ある人が何かを選択するにあたり、その選択行為が明確に意識されるよりも前の時点で、脳内で何らかの活動が始まっていたことが実験によって証明されたとしよう。これによって否定されるのは、単に、選択の開始地点は人の明晰な意識のなかにあるという思い込みに過ぎない。そして、ある選択が、行為として行われた時点に至るまでのさまざまな要素によって影響を受けているのは当たり前であって、そんなことはわざわざ指摘するまでもない。また、脳内で起こることをすべて意識できるはずがないのだから、選択が意識されるよりも前に、脳内で何らかの活動が始まっているのも当然である。

さまざまな要素が参与しているのだから、意識された思考が選択を決定するわけではないだろうが、意識が選択とまったく無関係なわけでもないだろう。意識されない思考が意識される思考に影響を与え、意識される思考もまた意識されない思考に影響を与える、そのような相互作用を思い描くことができる。

選択は無数の要素の影響を受けざるをえず、意識はそうした要素の一つに過ぎないとしたら、意識は決して万能ではない。しかし、それは無力でもない。

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2018-02-03 07:17 : 雑記 : 編集
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