「善」は報われるか? 「強欲」は報われるか?

「善と悪の経済学」(トーマス・セドラチェク 著、村井章子 訳)という本の感想、3回目。

「善は報われるのか」という問題が取りあげられていた。

その中で、古今いろいろな学派について「善は報われる」と主張する度合いを比較していた。

その順番を以下に示す。
(上側ほど善は報われると主張する、すなわち、欲よりも善を重視する)
1.イマヌエル・カント
2.ストア派
3.キリスト教
4.ヘブライ思想
5.功利主義
6.エピクロス派
7.現代の主流派経済学
8.マンデヴィル

参考に「1.イマヌエル・カント」の説明箇所を抜粋
カントは、現世における見返りを求めることは何によらず批判すべきだと考え、それは行為の徳性を貶めると主張した。(中略)カントにとって、善行とは無私であるからこそ、つまり絶対的な倫理規範への純粋な忠誠心に従って行われるからこそ、善行だった。カントの倫理学は功利主義に真っ向から対立する。

反対の「8.マンデヴィル」の説明個所を抜粋
マンデヴィルは強欲必要論の支持者であり、強欲は社会の進歩に必要な条件だと考えていた。強欲なしには進歩はない、あるいはわずかな進歩しか期待できない、というのが彼の主張である。強欲なしで、どこまで行けると思っているのか、とマンデヴィルは問う。



善の要素ゼロ(すなわち100%悪)では社会生活を送れないだろうし、また、無欲では生きる意欲を失いそうなので、「善」と「欲」は両方とも多かれ少なかれ必要に違いない。

「善」を選ぶか「欲」を選ぶかという問題ではなく、人生の目的を達成するために「善」という手段や「欲」という手段をうまく使いこなすような姿勢が大切なのだろう。

つまり、臨機応変に、必要な場面では「善」になり、必要な場面では「強欲」になる。



ただ、その場合の「善」は「偽善」で、「強欲」は「偽強欲」と言えそうだ。

すなわち、報われそうだからという理由でなろうとする「善」は「偽善」であり、「強欲」は「偽強欲」に違いない。

「善」や「強欲」は報われるのかもしれないが、「偽善」や「偽強欲」は報われるのだろうか?

もしかして偽報われ?

まあでも、とりあえずは報われると信じて「偽善」や「偽強欲」を使いこなすべく励んでいきたい・・・。
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2018-03-03 06:10 : 雑記 : 編集
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ちゃーも

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