宗教は信じる 哲学は疑う サラリーマンは信じるふりをして全てを疑う・・・

「知識ゼロからの哲学入門」(竹田青嗣 著)という本を読んだ。

素人向けの哲学入門書。


「宗教のテーブル」「哲学のテーブル」という言葉が印象的だった。長々と抜粋。
私は哲学の基礎方法を説明するのに、よく「哲学のテーブル」と、「宗教のテーブル」の話をする。たとえば、ちょっと変わった人(始祖)がいて、謎めいた言葉を語り出す。人びとは、この人は少し常人離れしてはいるがすごくすぐれたところを持ち、しかもその言うことは、人間が生きるうえでとても大事なこと、欠いてはならないことが言われているぞ、と感じる。そういう共同的な「信」が現れると、「宗教のテーブル」が成立する。

「宗教のテーブル」は、教祖の言葉を信じる人びとのコミュニティになるが、「哲学のテーブル」は出入り自由であり、多様な生活、多様な価値観を持った人が自分の興味にしたがって集まる。このことがとても大事だ。そして、いろんなテーマを提出し、「原理」(キーワード)を示し合って、”この問題については、誰が見てもこう考える以外にはない”、といえるような考え方のすじ道を探して進むのだ。したがって哲学は、「真理」を見出すゲームではなく、むしろ、つねにより大きな「共通了解」を”つくり出す”ための「洞察のゲーム」というのがふさわしい。

いち素人の理解としては、宗教は「信じる」ことが肝で、哲学は「疑う」ことが肝。

宗教は信じる人を増やすことで発展し、哲学は疑い合うことで発展していく。

宗教では信じる人が救われて、哲学では疑う人が報われる。



一方、「信じる」と「疑う」というキーワードで考えたとき、サラリーマンはどちらだろうかと考えてみると、表向きは経営層や上司の言うことを「信じる」ふりをして、かつ、内心では全てを「疑う」ことを強いられているように思う。

言わば「信者の顔をした哲学者」になることを求められているような・・・。

なんだか矛盾しているように思うが、矛盾がお金を生むと割り切ってサラリーマン生活を送っていきたい・・・。





というより、サラリーマンの世界に限らず、人間社会を生き抜くためには「信者の顔をした哲学者」になること(信じているふりをしながら疑うこと)が必須に違いない・・・。
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2018-07-01 05:21 : 雑記 : 編集
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ちゃーも

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