理系サラリーマンの落とし穴? 自分が勝手に落ちているだけかも・・・

「哲学の教科書」(中島義道 著)という本の感想、3回目。


哲学と科学の違いになるほどと思った。
科学と言っても物理学から文学論までさまざまにありますが、そこに共通する骨組みは比較的はっきりしている。まず、科学は「客観性」をーーさしあたり実現しなくともーー求めます。客観性とは、同じ条件のもとにおいてはすべての(あるいは大部分の)人が対象を同じように把握するであろう、という信念から成っております。そこには私固有の意味づけや印象は除外されます。

非常に簡単化して言いますと、哲学とはあくまでも自分固有の人生に対する実感に忠実に、しかもあたかもそこに普遍性が成り立ちうるかのように、精確な言語によるコミュニケーションを求め続ける営み、と言えましょう。哲学的議論は、一方で普遍的な論証のかたちをとりますが、他方でそれが論証として成功してもそれだけでは充分ではなく、個人としての相手の実感に訴えかけねばならない。全身で「なるほど」と思わせなければならない。

次のように理解した。

科学は、周りとわかり合えることを前提としており、客観的に正しいと認められたわかり合える考え方(物理の法則や数学の公理)を出発点として考えたり、あるいは、その出発点となる客観的に認められる考え方を作り上げようとしたりする。

一方の哲学は、周りとわかり合えるかどうかに関係なく、また、出発点となる客観的に正しいと認められた考え方があるわけでもなく、普遍性があるであろう考え方をゼロから自分で勝手に考える。



改めて考えてみると、理系の自分は上記科学的な考え方に染まってしまっており、すなわち、出発点となる客観的に正しいと認められた周りとわかり合える考え方があり、自分はその考え方を出発点として考えればよいと思い込んでいる節がある。ある意味演繹的な考え方。

一方、サラリーマン社会を含めた現実社会では、客観的に正しいと認められたわかり合える考え方なんてなく、普遍性があるであろう(周りを説得できるであろう)考え方をゼロから自分で作り上げる必要がある。演繹的というより帰納的な考え方。




ということで、サラリーマン社会においては、理系的な仕事をしているとはいえ、科学的に正しいかどうかよりも周りを説得できるかどうかを重視するような哲学的?な考え方を自分で勝手に考えていきたい・・・。
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2018-07-28 16:26 : 雑記 : 編集
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ちゃーも

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