アリにとってエサを運ぶのは「労働」なのか?「遊び」なのか?それとも・・・

「仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える」(泉谷閑示 著)という本の感想、3回目。


もっと遊ぶべしというようなことが書かれており気になった。

著者の言う「遊び」とは、「頭」と「心=身体」をともに満足させる行為のようだ。表現を変えると「理性」と「感情」をともに満足させる行為。



ただ、個人的には次のように分類して名前(「」の中)をつけた方がしっくりくる。
1.感情を満足させる行為 → 「遊び」
2.理性を満足させる行為 → 「労働」
3.感情も理性も関係しない行為 → 「呼吸」(良い名前を思いつかなかった・・・)

このように分類すると、著者の言いたいことは、「遊び」にも「労働」にもなる行為(感情と理性の両方を満足させる行為)をとるべしということだろう。

理性の奴隷となって日々労働にこき使わている自分は、もっと「遊び」の要素を取り入れた方が良さそうだ・・・。



なお、アリがエサを運ぶ行為は「労働」なのか?「遊び」なのか?、と考えてみると、おそらくそのどちらでもなく「呼吸」なのだろう。

すなわち、人間が無意識のうちに息をするように、アリは無意識のうちにエサを運んでいるに違いない。運びたいから運ぶ(遊び)わけでもなく、運ぶべきだから運ぶ(労働)わけでもない。




仕事を楽しむ(遊び)とまでいかなくても、アリのように無意識のうちに息をするような感覚で仕事ができればな・・・。







以下、関連箇所を長々と抜粋。
頭はコンピューターのように計算や情報処理を行う場所で、自然原理とはまったく異なる動きをします。よって、これが優勢になってしまうと、内なる自然である、「心=身体」が抑え込まれてしまいます。このように、人間という動物は他の動物と違って、「頭」という非自然を併せ持っているいるという点で、とても特殊な動物です。

しかし、この非自然である「頭」があるからこそ人間なのであり、物事をただ「味わう」ことでは飽き足らずに「意味」まで求めてしまうのも、そのような存在だからなのです。つまり、「味わう」ところまでは「心=身体」が行うけれども、「意味」を感じるとなると、どうしても「頭」との協働が必要になってくるわけです。

「心=身体」が感じ取った感覚を「頭」がありのままに受け取って、それをもとに様々な好奇心を発動させたり、抽象化や概念化を行って、そこから普遍的真理を抽出したりすること。これが「意味」が析出してくるプロセスです。

ともすれば「心=身体」を抑え込み支配的に振る舞いがちな「頭」なのですが、このように協働的な「頭」の用い方ができた時、そこに至福の喜びが訪れます。古代ギリシャ人が「観照生活」を最も人間らしい過ごし方と考えたのは、そのためでもありました。

このように「頭」と「心=身体」が対立せずに、互いが相乗的に喜び合っている状態。これを、私たちは「遊び」と呼ぶのです。

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2018-08-10 07:10 : 雑記 : 編集
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