お金は幻想でその本質はバブルらしいけど 自分も幻想で・・・

『仮想通貨は「究極の貨幣」』という経済学者岩井克人氏へのインタビュー記事が日経ビジネス(2017年11月20日号)に掲載されていた。


以下のような抜粋部分を読んで、次の2点を改めて感じた。
1.お金(の価値)は幻想である
2.その幻想は周りの人々と共有することで成り立っている

貨幣の価値を支えているものは、人々の間に醸成される予想および相互信頼にほかならない。

貨幣の本質はバブルそのものだ。多くの人が貨幣の価値を信じなくなった時、バブルは崩壊し、貨幣は価値を失う。

現在、どの中央銀行も貨幣の価値そのものを保証していないが、供給量の調整を通じて貨幣システムを安定に維持しようと努力している


お金を幻想と捉えるなら、極端に言うと、自分やら周りの世界やら何から何まですべてが幻想と言えそうだ。

ただ、ここで重要だと思うのは、それが周りの人々との共有で成り立っている幻想かどうかという点。

例えば、お金(の価値)は周りの人々との共有で成り立っている幻想であり、また、社会生活を営んでいるならば自分を取り巻く世界(をどのように捉えるか)も周りの人々との共有で成り立っている幻想と言えそうだ。



では、自分(の価値)という幻想はどうだろうか?

これには「主観」と「客観」というキーワードが関係ありそうに思う。

すなわち、周りの人々の視点に立って客観的に自分(の価値)を捉える(幻想する)とき、それは周りの人々との共有で成り立っている幻想と言えそうだ。

一方、主観的に自分(の価値)を捉える(幻想する)とき、それは周りの人々との共有で成り立つ幻想では無いと言えそうだ。



何が言いたいかというと、自分の価値を前者(共有で成り立つ幻想)で捉える場合、その価値の本質はお金と同様バブルであり、いつ崩壊するかわかったものではない(例えば、ゴーン氏の客観的な価値のバブルは崩壊した??)。

したがって、自分の価値は後者(主観的な幻想)で捉えるべきであり、周りからの価値バブルには惑わされないようにするべきと考える。



なお、もっと言うと、「客観」には上記の「周りの人々の視点の客観」の他に「神の視点の客観」があるように思うけど、神の視点(人間(自分や周りの人々)以外の視点という意味、宇宙人の視点でも良い)に立って客観的に自分(の価値)を捉える(幻想する)とき、それは周りの人々との共有で成り立つ幻想では無いと言えそうだ。

そして、自分の価値を捉えるには、この神の視点が最も良いように思う(上述した主観的な幻想はあまりに独りよがりになりそうな恐れがあるので・・・)。





というような、独りよがりな主観的な幻想を書いて自己満足・・・。







最後に整理してみる。

お金(の価値):周りの人々との共有で成り立つ幻想(バブル崩壊の危機)

自分(の価値):神の視点に立ちたい幻想(神の視点に立てない危機)

自己満足:主観的で良い幻想(変人あつかいされる危機)
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2018-12-09 07:18 : 雑記 : 編集
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ちゃーも

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