お金の中に幸せがあるのか 幸せのためにお金があるのか・・・

「人生に信念はいらない 考える禅入門」(細川晋輔 著)という本の感想、2回目。

仏教の臨済宗と曹洞宗の違いが印象的だった。長々と抜粋。
臨済宗は、「公案」と呼ばれる「禅問答」を頭の中で繰り返しながら坐禅をしていきます。一問一問はしごを登るようにクリアし、悟りへと到達していくこの禅風を「はしご禅」、または「看話禅」と称します。

一方、曹洞宗は「只管打坐」の一言で説明がつくと思います。「只管」とは、「ひらすらに」と考えられることが多いようですが、「ただ」という方が、その性質をよく表しています。ただ、ただ坐禅をしていく。この禅を「黙照禅」と称するのです。

個人的な見解ですが、目指すべき「悟り」というものを両宗派がどう捉えているか考えてみると、曹洞宗は現在進行形的に「坐禅」に取り組んでいる姿にこそ、求むべき悟りがあると思います。

それに対し臨済宗は、悟りのための最も有効な手段が「坐禅」となります。坐禅が悟りへの手段の一つでしかないか、坐禅そのものの中に悟りがあるか、そこが大きな違いなのです。

臨済宗では坐禅は手段であり、曹洞宗では坐禅は目的である、というようなことと理解した。


このような話を読みながら、資産形成に励む自分にとってお金は手段なのか?それとも目的なのか?、というような疑問が改めて沸いてきた。

すなわち、人生の目的を「自己満足の最大化」としている自分にとって、お金は自己満足を最大化するための手段なのか?、それともお金そのものが自己満足なのか?


この問題についてアレコレ考えていたら、問題は次のようなこととも思えてきた。

すなわち、「お金は自己満足を最大化するための手段」ということにした方が自己満足を最大化できるのか?、それとも「お金そのものが自己満足」ということにした方が自己満足を最大化できるのか?


いやいや、問題は次のようなこととも思えてきた。

すなわち、「お金は自己満足を最大化するための手段」とブログに書いた方が自己満足を最大化できるのか?、それとも「お金そのものが自己満足」とブログに書いた方が自己満足を最大化できるのか?



自分で書いていながらどうでもよくなってきけど、次のように考えていることにしておこう。

『手段の目的化なんかに陥らずに「お金は自己満足ための手段」と考えている』ようなスマートな自分を演じながらも、『実はついつい「お金そのものが自己満足」だと思ってしまうこともよくある』と白状するようなさえない正直者な一面も見せつつ、じつは『そんなことを考える暇があったらただただストイックに資産形成に励むべし』と本心では思っている、というような・・・。



というような訳のわからないことは考える暇があったら、とりあえず資産形成に励んでおくとしよう・・・。
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2019-07-13 08:36 : 雑記 : 編集
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ちゃーも

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・インデックスファンドの積立投資
 (先進国株式、ゴールド)
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